「私はハルカを手放すつもりはない」

 その言葉に、喜びに視界が馴染みそうになる。
 こちらの様子に目を細めたレイゼン様は、視線だけをセジュンさんに向けた。

「覚悟もなく、好いた女を譲るべきではなかったな」

 レイゼン様の言葉と共に、二人の間に静かに風が吹き抜ける。
 セジュンさんはずっとヨナ姫のために行動をしていた。
 彼の弟と恋仲になったヨナ姫を愛してしまったがために、自分の身を削ってでも相手の幸せを願おうとするその行動が、なんとなくレイゼン様と似ているように感じてしまう。
 愛する人の幸せを願えることは素晴らしいことだと思う。
 しかし、だからといって、その代替えを求めるという彼の行動は納得できるものではなかった。

「ハルカを私の元へ連れてきた温情で、逃げ出した者達を含め今回の一件については一切罪に問わぬ。どこへなりとも去るがよい」

 静かな声が、その場に響く。

「ただ、今後私から花嫁を奪おうとした場合、一切の温情をかけるつもりはない。よくよく肝に銘じておくように」

 レイゼン様の言葉に、セジュンさんは力なくその場に座り込んだ。
 彼の生気のない虚ろな目を見て、思わず口を開く。

「あの」

 私の声に、二人は驚いたようにこちらを振り返る。
 その視線に緊張しながらも、その場で深く頭を下げた。

「この世界に迷い込んだばかりだった私を、ここまで連れて来てくださったこと、心から感謝しています」

 私の声に、セジュンさんはバツが悪そうに視線を逸らす。

「それは――」
「ヨナ姫のためだったということはわかっています。それでも、ここにこなければレイゼン様とお会いできませんでしたから」

 セジュンさんの言葉に重ねるように告げると、笑顔を向ける。

「最後までヨナ姫様の身代わりを務めることができず申し訳ありませんでした」

 初めは、セジュンさんから依頼された偽りの関係だった。
 『身代わりの花嫁』としてレイゼン様と出逢い、正体を見抜かれてからも、元の世界に帰るまでの『期間限定の花嫁』を務めることになった。
 『花嫁』として過ごした一週間の間、この世界のことを知りレイゼン様自身のことを知り、これまで周りに流されてばかりだった私が、ようやく自分の意思で自らの居場所を選ぶことができた。
 ふわりと柔らかな風が周囲を包む。
 その暖かな陽気に背中を押されるように、私はぐっと拳を握った。

「私は私自身の意思で、龍帝陛下の花嫁となることを選びます」

 そう口にした瞬間、ぽんっと弾けるような音を立てて宙に花が舞う。
 何が起こったのかと目を瞬けば、ぽんっぽぽんっと続けざまに白い花弁が舞った。

「えっと……?」
「狸の仕業だな」

 囁くようなレイゼン様の声に視線を動かせば、渡り廊下の向こう側にココさんの姿が見える。
 そして彼女が指先を弾くたびに宙に現れる花弁が、まるで紙吹雪のように周囲に舞っていた。

「あやつなりの祝い方なのだろうよ」

 その声と同時に、ふっと微笑むような吐息が漏れ聞こえる。
 顔を上げれば、陽光を背にこちらに微笑みかけるレイゼン様の笑顔があった。

「ハルカ。私の花嫁となることを選んでくれたこと、心より感謝する」

 そう口にした彼は私の手を取り、その甲に唇を寄せた。

「そなたは今後、神龍族の番として悠久の時を生きていくことになるだろう」

 レイゼン様がずっと気にしていたその事実に、私は静かに頷き返す。
 その反応を見て、彼は嬉しそうにその瞳を細めた。

「これからの長いときを、幾久しく私と共に生きてくれるだろうか」

 その問いに返す答えは、既に決まっていた。

「もちろんです」

 そう口にした瞬間、ふわりと身体が浮く。
 レイゼン様に抱き上げられた私の目の前には、彼の嬉しそうな笑みがあった。
 視界には、ひらひらと舞い散る白い花弁が映る。
 霞がかった青い空には、温かな日差しが降り注いでいた。