月夜の道に響くのは、私達二人の足音だけ。
 陛下は私の手を引きながら、お祭り会場をぐるりとまわると明かりの少ない道を進んでいく。
 賑やかな大通りを外れてしばらく進んでいけば、見覚えのある小さな門に辿り着いた。

 ――ここ、初日にセジュンさんと入ってきた門だわ。

 どうやら裏門らしい入り口を潜り、手を引かれるままに邸内を進むと、いくつかの建物を過ぎた先に開けた場所に出る。
 まず目に飛び込んできたのは大きな泉だった。
 空に浮かぶ月を反射する湖面に、周りを囲むように咲く桜の薄紅色が映り込んでいる。
 吹きつけた風が湖面を揺らせば、ふわりと舞った花弁が水面を滑った。

「綺麗……」
「そうだろう。邸内でも一等美しい場所だ」

 思わず漏らした言葉に、隣から満足げな声が返ってくる。

「せっかくなら、東屋で休憩するか」

 彼に手を引かれながら湖畔を進み、渡り廊下に繋がる桟橋を進めば、水上にある東屋へと辿りついた。
 咲き誇る桜にぐるりと囲まれ波打つ湖面に月が映っている様は、あまりに幻想的で、まるで夢の中にいるような心地になってしまう。

「どうだ、雰囲気のいい場所だろう?」

 その声に周囲を見回していた私は、隣に立つ彼を見上げた。
 こちらの視線に気付いた彼は、ふっと笑い交じりの吐息を漏らす。

「おや、私を口説く気にでもなったか?」
「か、からかわないでください!」
「はは。からかっているつもりはないが、そなたの反応が面白くてついな」

 湖面へと顔を向けた彼の視線を追って、波打つ湖面を見つめる。
 そこには、輝く月と薄紅色の花弁が湖面を彩っていた。

「……すごく綺麗です。こうして月夜の中で見るのも素敵ですがライトアップされても綺麗だと思いますし、日中だったら観光地になりそうですね」
「ライトアップ? カンコウチ?」
「あっいえ! 私の世界の話で……お祭り会場にあったような明かりがあっても綺麗かなと思いますし、その、一般に開放したらお金も取れそうかなと思いまして……」
「はは、そうか。人の国が通貨を使用するのは、そなたの世界も同じようだな」

 妙に納得したような様子で夜空を見上げた横顔を見て、ふと以前から抱いていた疑問が口を突いて出る。

「……レイゼン様は、どうして今回の取引をご提案されたのですか?」
「どうして、と言うと?」

 こちらに向けられた眼差しに、つい視線を逸らすと湖面を見つめながら口を開いた。

「ここ数日過ごしている間、取引の内容についてずっと考えていました」

 彼の心を射止めれば、ヨナ姫達を見逃し、私を元の世界に帰してくれるというこの取引。
 提案されたときは断る余地もなかったため、何の疑問も抱かず受け入れるしかなかったが、よく考えてみれば矛盾があることに気付く。

「私達の取引は、レイゼン様の花嫁として御心を射止めることができれば、逃げた二人を見逃し私を元の世界に帰す約束だったはずです」
「そうだな」

 私の言葉に、彼は静かに相槌を打つ。

「今の取引内容だと、レイゼン様が私を好きになってくださったら、私を手放すことになりますよね?」
「確かに、そうなるな」
「その場合、レイゼン様が辛い思いをするだけではありませんか?」

 彼は、私が心を射止めることができれば元の国に返してくれると言った。
 つまり仮に私が条件を満たした場合、彼は想い人である私を、二度と会うこともできないだろう異世界に送り返すことになる。

「この取引には、何か別の意図があるのではないかと考えてしまうんです」