春の夜風が、仕切り布を揺らす。
 従者の提灯の明かりが部屋の前に映れば、緊張に背筋が伸びた。
 その手によって布を引かれれば、そこには昨夜顔を合わせて以来の青年が現れる。
 明るい月夜の下、黄金色の瞳が細められた。

「やあ、我が愛しの花嫁」

 存外朗らかなその声に、緊張しながらもゆっくりと頭を下げる。
 さらりと嘘を口にする相手に、引き攣りそうになる口元をなんとか抑えた。

「……ようこそおいでくださいました」

 笑みを返した彼がスッと片手を上げると、側にいた二人は深く頭を下げ、こちらに目配せをした後に部屋を退出していく。

「ああ、そうだ。土産を持参したぞ」

 彼がそう口にすると、従者は手にしていた物を私達の間に置いた。
 神棚に置くような小さな台の上には白い紙が敷かれ、その上には色鮮やかな粒が転がっている。
 薄桃、翠、白と春を閉じ込めたような色彩の粒を前に目を瞬いていれば、ふっと笑いを含んだ吐息が耳に届いた。

「口にしてみるといい」
「えっ」
「はは、毒など入っておらぬ」

 毒とまでは思っていなかったが、見ず知らずの食べ物を前に躊躇していた私を見て、彼はその手に一粒掴むと口に放り込む。
 気付けば連れ立ってきた従者は既に退室しており、室内は私と彼の二人きりになっていた。
 他に誰もいないならばと覚悟を決める。
 真似るように一粒掴んで口に含めば、口の中にじんわりと甘みが広がった。
 舌の上でゆっくり溶けながら甘みを広げるどこか懐かしいその味は、なんとなく金平糖を連想してしまう。

「……美味しいです」
「はは、それは良かった。そなたが何を喜ぶかわからなかったからな」

 目を細めて笑う相手の言葉に、つい首を傾げてしまいそうになる。
 花嫁となることを条件としてみたかと思えば手土産を用意してみたり、彼の行動の理由がわからなかった。

「あの――」
「なんだ、聞きたいことがあるのか?」

 陛下はにこやかな笑みを浮かべて首を傾げる。

「花嫁となるとのことでしたが、私は一体何をすればいいんでしょうか」
「おや、言葉の通りだが?」

 きょとんと目を丸くされて、言葉に詰まってしまった。

「その……心を射止める努力というのは、一体どんなことなのかなと」
「ふむ」

 そう口にした彼は、不意にその手をこちらに伸ばす。
 指先が頬に触れ、ゆっくりと輪郭を撫でた。

「逆に問うが、そなたはどういうことだと思う?」

 目を瞬くだけの私に、彼はその瞳をゆっくりと細める。

「どこまで許されるかということだ」
「どこまで……?」

 頬を撫でていた指先は輪郭を滑り、その親指が私の唇へと添えられた。

「そなたの世界の言葉では何というのだろうな? 愛し合うもの同士の行為を指すならば、性交、情交、まぐわい、交合……他に何がある?」

 その言葉に、思わず目を見開く。
 一部は聞き馴染みがなかったものの、彼の言いたいことは理解できた。

「あ、あの!」
「どうした?」

 私の声に、彼はにこやかな笑みを浮かべる。

「私の世界では想いを通わせ合う男女であっても、初夜までに色々手順を経る必要があるんです! 出会ってからお互いを知り合って、それから恋人になってと順を経てそういう関係を結ぶので――その、つまり、昨日の今日でそういった関係になるのは、少し唐突じゃないかなと!」

 それは事実半分でもあり言い訳でもあった。
 花嫁というからには何かしらそういった事は関わってくるのではないかとは薄々考えてはいたが、元の世界に戻る取引のためだけに、自身の初めてを捧げるのは何か違う気がしてしまう。
 彼にとっても、いつか迎える本当の花嫁との行為が初夜になるほうがいいのではないだろうか。
 そんなことを考えていれば、向かいの彼が楽しそうな笑みを浮かべた。

「ほう、では最短でどのくらい時間がかかる?」

 思いのほか前のめりな返答に、思わず口端が引き攣りそうになる。

「ええと、明確な時間がわかりかねますが……私の世界だと普通は一ヶ月以上はかかるのではないかなと」
「おや、それでは私との取引は失敗する前提になるな」
「えっ」

 思わず漏れた声に、陛下はくっと声を漏らすと肩を震わせて笑い始めた。

「はは、冗談だ。嫁入り前の娘を傷ものにするのは本意ではない」

 その言葉にほっと肩の力を抜けば、顎を捕らえていた彼の指先がつっと首筋をなぞった。

「ただ、色事抜きでどうやって私の心を射抜くつもりなのか興味はあるな」
「が、頑張ります!」

 陛下の言葉に被せるようにして、前のめりに声を上げる。
 正直男性経験のない私が色事に挑んだとして、相手の心を射止められるはずもないだろう。
 それならば、わからないなりに全力で彼に好かれる努力をするしかない。

「まずは、お互いを知り合うところから始めましょう!」