王宮に薬を届けに行ったなら

目が覚めたのは、動かした体が一瞬沈み込む感覚だった。使用人宿舎の自室のベッドはここまでフカフカではない。
違和感にハッと目を開けると、オウガのにやけた顔が目の前にあった。驚いて悲鳴が出そうになったのをとっさに飲み込む。

「あれ、もう目が覚めたのか。睡眠薬の耐性でもあったのか? さすがは薬師だな」

オウガは舌打ちしながらもニヤニヤと顔は崩さない。私は混乱しつつも、自分が大きなベッドに押し倒されているという事実だけは理解できた。

どうしてここに?
あぁ、そうだわ。オウガ様と食事をしていて……。

何か起きているのかわからない恐怖を感じながら、自分に起こったことを思い出す。

そうか、さっきの飲み物は睡眠薬だったのね……。で、これは一体……? 食堂ではなく、ベッドがあるということは、ここはオウガ様の部屋……?

自分の状況がわかるとサッと青ざめた。

まさか……。

「オ、オウガ様……、おやめください」

刺激しないよう、やんわりと制止をかける。この状況、体勢から最悪なことばかりがよぎる。頭が真っ白になりそうだ。自分でも体が震えてくるのがわかる。

しかしオウガは不思議そうな顔をした。

「どうして俺が止めなければならない? お前は誰にものを言っているんだ?」

本当に私が何を言っているのかわからない、といった様子だ。説得して通じる相手ではない気がしてきた。

この状況をどうしよう。

ベッドに押し倒されており、オウガは私の上に覆いかぶさっている。体格差もあるので力ではかなわないだろう。

もう、いっそのこと激しく暴れて抵抗してみるか……?

いや、下手したら私は明日の朝にでも処刑されるだろう。それだけはまずい。命は惜しいもの。

でも、このままやすやすと体を奪われるわけにはいかない。そもそも初めての相手がオウガだなんて最悪だし気持ち悪すぎる。

考えただけで吐き気がする。

どうしよう……。どうしたら……。

パニックになりそうな頭を必死に動かす。

飲まされたのは睡眠薬にはある程度耐性はあったから、少し頭がぼんやりするけれど、思ったよりも早く目覚めることができたみたい。
それは幸いだった。
いや、だからと言って、抵抗が出来ないならどうしようもできないのだけど……。

何か策はないのか。考えながらじりじりと逃げようと体を動かすが、オウガの脂肪たっぷりの太い腕が囲って邪魔をする。

「君は俺の好みではないけれど、まぁまぁ美人だし俺の側室にしてやってもいいぞ」

光栄だろうとでも言わんばかりに偉そうだ。

誰があんたの側室なんかになるもんか。

そう言ってやりたいところだけれど、口にしたら即、首をはねられそうな剣呑さがあるので口をつぐむ。そもそも男の力にかなうはずがない。

頭の中はいたって冷静なのに、体は小刻みに震えている。

誰か助けて。

しかし、ここはオウガの塔だ。人払いはしているはず。暴れても叫んでも助けは来ないだろう。

自分でなんとかしなければ……。

ベッドは広く、手を四方に伸ばしたところであるのはクッションくらい。

このクッションを投げつける?

少しは逃げる隙が出来るかもしれない。
そう思って、クッションの端を握りしめた時だった。

コンコンと扉が控えめにノックされる。オウガは一度無視するが、ノックは何度もしつこく繰り返された。チッと舌打ちをし、オウガの体が私の上からどく。

今のうちに、と思うが体がだるくて重くて、思うように動かなかった。

せっかくのチャンスなのに……!

私は悔しくて唇を噛む。

「誰だ!」
「オウガ様、申し訳ありません。早急にお知らせしたいことがございます」

おずおずと声をかけられ、オウガは不快そうに眉を寄せながら渋々扉を開ける。

「なんだ? 知らせたいこととは……」
「俺の来訪だ」

扉を開けて目の前にいた人物に、オウガが大きく体を震わせると、その体躯を押しのけるようにしてカザヤ様が部屋に押し入ってきた。
その後ろにはバルガとワサト隊長の姿もある。

カザヤ様! どうしてここに?

驚いたが、ワサト隊長を見て私の言葉を届けてくれたのかと察した。

「あ、兄上。なぜここに……」

オウガは奥にいる私が見えないように、急いでとカザヤ様の前に立つ。しかし、オウガは小柄なので背の高いカザヤ様には私が丸見えだ。

カザヤ様は私と一瞬目が合うと、ホッとしたように細め、それからオウガには殺気を込めた冷たい視線を送った。

「どうして俺がここに来たか、お前は聞かずともわかっているのではないか?」
「……ここは俺の塔です。いくら兄上とはいえ、勝手な真似は遠慮していただきたい」

あくまでも、ここでは自分が優位なのだという姿勢を崩さないオウガは、軽く手を上げて自身の衛兵たちを呼び寄せる。

「別に争うつもりはない。ただ、彼女を返してもらいたいだけだ」
「返すなど物騒な物言いは止めていただきたい。ラナは自分の意志でここに居る。そうだよな?」

オウガは威圧的な視線をよこす。

カザヤ様の両隣にはバルガとワサト隊長が控えているが、オウガの衛兵は次々と部屋に入ってきて彼らを取り囲んでいる。
私の返答により、状況はあっさりと変わるだろう。

どうしたら……。

ピンと張り詰めたような空気感に、冷や汗が自然と流れる。喉の奥がカラカラだ。

何かを言わなければ。
そう思い、口を開こうとした時、それをオウガが遮るように話し出した。

「そもそも、ラナは兄上の物ではありませんよね? 何の権利があってここへ来るんですか? この状況、見てわかるでしょう? 俺のベッドにラナがいる理由が」

口角を上げて嫌な笑みを浮かべるオウガに、カザヤ様は殺気を込めたまなざしで見返す。一瞬、オウガや周囲の衛兵がその迫力にたじろぐがそこで怯むような真似はしない。

「これからお楽しみの時間なんです。出て行ってもらえますか?」

そう言い放つと、オウガは私の元へ小走りで戻り胸元を掴んで私の体を引き起こす。弾みで上半身が起き上がるが、薬がまだ効いており力がうまく出ず、オウガに寄りかかるような体勢になってしまう。

「それとも、そこで見ていますか? この女がどんな風に乱れ嬌声を上げ、体を開くのか……。そこで見ていたいですかね? 俺はそれでもかまいませんよ。兄上が執着するものを手に入れられた喜びに、ますます興奮しそうだ」

下卑た笑みを浮かべながら、ねちっこい話し方でカザヤ様を揶揄うように挑発する。睨み続けていたカザヤ様がゆっくりと剣を抜いた。
それを見て、オウガが片眉をあげる。

「おや、そんなことをしてもいいんですか? 兄上が少しでも動いたら、この女がどうなるか……。わからないなんて言わせませんよ?」

自分が優位に立っているのが分かっているので、その話し方もどこか余裕がうかがえる。

オウガは私を後ろから抱きかかえる様に立つと、ゆっくりと私の頬から首筋を撫でた。その不快感と恐怖に体がソワッと鳥肌を立てる。

いや! 怖い! 気持ち悪い!

吐き気がするくらいに不快だ。カザヤ様に触れられた時とは大違いである。さらには首筋の冷たいナイフの感覚に体が震えた。

「やめて……ください」

必死に声を出すが、これ見よがしにオウガは私の耳に顔を寄せた。

「やっ……!」
「白い肌だ。兄上はまだこの肌に触れていないのだろう? まず俺がどんな味がするのか味見してやるよ」

オウガの唇が私の首筋に触れた瞬間、カザヤ様が動いた。

「カザヤ様!」

バルガの制止の声も、衛兵がカザヤ様を止めるよりも一瞬早く、カザヤ様の剣先がオウガに届く。

一瞬の出来事に動けなかったオウガは、悲鳴を上げてナイフを握っていた腕から血を吹き出し、呻きながら膝をついた。

「クソッ!! 衛兵!! 奴をとらえろ!!」

鬼のような形相で叫ぶオウガに、衛兵は少し動揺しつつもカザヤ様をとらえにかかる。

「お前たち、国王陛下を捕らえるというのか!?」

ワサト隊長の声が響くが、衛兵はオウガに逆らえないのか、カザヤ様になだれ込むように向かっていった。
ワサト隊長とバルガが、カザヤ様を庇うように前に出る。

「カザヤ様!!!」

床に倒れ込んだ私は必死に手を伸ばす。

嫌だ!! カザヤ様に触れないで!! 止めて!! 誰か助けて!! 誰か!!

言葉にならない心の声が悲鳴となって口から出る。

その時だった。

私の右腕につけていた腕輪が強く大きく金色の光を発した。

「うわっ! なんだ!?」
「あっ! 目がっ!」

それは閃光のように周囲の目をくらませた。部屋の中にいたもの全員が、驚きとあまりの眩しさにうめき声を発して顔をそむける。

その一瞬、腕輪から大きな蛇のような黒煙が立ち上った。
モクモクと大きくなった蛇は、部屋全体に広がり、赤く光る双眸は私の隣で腕を抑えて蹲るオウガを捕らえた。

「な、なんだ、これは……!?」

驚いている間もなく、その蛇がオウガに襲い掛かった。

「や、やめろ!! ぎ、ぎぃやぁぁぁぁ!!!」

オウガは絶叫を上げながら、黒い蛇の煙に飲み込まれていく。黒い煙の中からしばらく絶叫が聞こえていたが、ほどなくして静かになると、黒い煙の蛇も霧散して消えていった。

消えた煙の中から、床に倒れるオウガが見えた。

「これは……」

一瞬の出来事に、部屋の中にいた者たちは一様に唖然として、目の前の状況を飲み込めなかった。

オウガは髪が真っ白になり、頬もこけ、目が窪み、人が変わったかのように、まるで生気がなくなったうつろな目をしている。
そう、まるで蛇に吸い取られたかのようだ。
一瞬で様相が変わったその姿に、その場の全員が絶句した。

「どういうことだ、これは……」

一体、何が起こったの……!?

私の腕輪はパリンという音を立てて割れ、床に落ちると粉々に砕け散る。
私はそれをただ茫然と見つめるしかできない。

どういうこと? まさか、腕輪が守ってくれたというの?

一体何が起こったのかさっぱり理解できなかった。ただ何か怖いことが起きてしまった。それだけはわかる。

静寂の中、一番最初に動いたのはカザヤ様だった。

「ラナ」

私の名前を呼びながら、大きな体が震える私の体を抱きしめてくる。

「カザヤ様」

カザヤ様の大きな体と香りに包まれ、私はやっと呼吸が上手くできるようになった。

「ラナ、大丈夫か?」
「カザヤ様……、今のは一体……?」

自分の腕と砕けた腕輪を交互に見るが答えは出ない。何が起こったのかただ唖然としていると、小さな笑い声が聞こえた。

「それは呪具よ」

ハッと声の方を振り返ると、シュウ前王妃が微笑みながら部屋の入口に立っていた。