王宮に薬を届けに行ったなら


私は明日に備えないと。今のうちに薬の補充をしておこう。

私は無理矢理気持ちを切り替えて、マリア先輩と共に薬師室へと足早に戻った。
すると、不意に物陰からスッと人が現れる。

「キャッ!」

驚きで小さく悲鳴が出て身構えるが、その見知った顔にホッと胸を撫でおろした。

「シュウ前王妃様がお呼びです」

シュウ前王妃付きの侍従は私にそう声をかけると、着いてくるよう促した。
何度も顔を合わせたことがあるので知っている侍従だが、ひっそりと待たれると不気味さを感じてしまう。

あぁ、また今日もお話の相手か……。

こんな時だ。正直、乗り気ではない。こんな日はカザヤ様の身を案じながら一人で過ごしていたかった。

帰りたい〜……。

内心ため息をつくが、私に拒否権はない。


渋々、侍従の後をついていつもの様に部屋に向かうと、シュウ前王妃は紅茶を入れて待っていてくれた。

「ようこそ。今日は特に忙しかったらしいわね。だからハーブティーを入れてみたわ。珍しい味のお茶なのよ。少しでも心が安らぐといいんだけど」
「私のために……。ありがとうございます」

気遣いは純粋に嬉しい。お礼をするとシュウ前王妃は満足そうに微笑む。

今日の出来事は耳に入っているようだ。まぁあれだけの騒ぎになったのだ。当然だろう。

「そういえば、この間ね」

前王妃はいつものように私を相手に話を弾ませる。時々、薬師として相談に乗るので、ただの暇つぶしというわけでもなさそうな気はするが、やはり話し相手の域はでない。

カザヤ様の事が気になりつつも、そんな様子を見せるわけにはいかない。私は仕事モードになりながら、前王妃の話に耳を傾ける。

それにしても……。

私は前王妃の顔を眺めた。

今日は特にシュウ前王妃の顔色がいまいち……。あまり体調がよろしくないのかしら?

もともと色白だが、今日はさらに青白く見える。昨日は専任医師から睡眠安定剤を処方するよう言われていた。

眠れないからだと聞いていたけど、寝不足が原因……?

「夜は眠れていますか? 昨日の睡眠安定剤はどうですか?」

そう聞くと、シュウ前王妃は「そうねぇ」と小首をかしげた。

「まずまずよ。おかげで少し寝れたわ。最近、一人で寝ようとすると気分が落ち込んでしまうのよ。どうしてかしらね」

言葉とは裏腹に可笑しそうにフフフと笑われる。

「あぁ、そうだ。ラナ、今日はここに泊まってくださらない?」
「えぇ!?」
「それがいいわ。あなたがいたら、安心してよく眠れるかもしれないし! すぐに準備させるわね」
「待っ……」

シュウ前王妃はそう言うと、こちらの言葉も聞かずに侍女に準備をするよう命令した。

嘘でしょ。泊まるなんて緊張する。私が眠れないよ。

しかし、準備はあれよあれよと進み、こちらはただ唖然とするだけだ。

きっと拒否権はないんだよね。

仕方ないかと肩を落とすと、前王妃は私を見つめ、顔は笑顔のまま声のトーンを落とす。

「もう遅いし、今日は泊まった方がいいわ。……今日は外が騒がしくなるでしょうし……」

呟くような言葉に眉を顰める。今のはどういうことだろう。

「外が騒がしいとはどういうことでしょうか? 前王妃、何かご存じなのでは?」

そう聞いても、シュウ前王妃は微笑むだけで答えようとはしてくれない。

「心配いらないわ。この塔は守られているから、絶対に何も起こらないもの」

前王妃はそれだけ言うと、侍女の元へ行ってしまった。

どういうこと?

前王妃の言葉が引っかかる。

外が騒がしくなるってどういう意味?
まさか昼間の件と関係があるのかしら。だとしたら、カザヤ様の身になにか……?

確かめたくても前王妃は何も言わないだろう。それどころか、今夜は私を部屋から出す気はなさそうだ。
残された私は窓の外に目をやる。暗く静かな夜が広がるだけだった。

「カザヤ様……」

私は不安でざわつく胸を押さえた。


そしてこの日、私は前王妃の塔内の客室に泊まった。カザヤ様が心配で眠れないと思っていたが、意外にもベッドに入るとストンと眠りに落ちてしまった。

目が覚めると、もう朝陽がとっくに昇っていた。熟睡してしまったようだ。

ベッド上で覚醒しきらない頭がそう伝えてくれる。しかし、おかしい。普段、寝起きは良いほうなんだけど、こんなに頭がボーッとしてスッキリしない朝は珍しいのだ。

「まさか……」

寝る前に出されたお茶に何か入っていたのかしら?

軽い頭痛にそう感じ、私は一人ため息を落とした。

やられた……。絶対そうだ。さしずめ、睡眠安定剤といったところか。
私が気が付かないよう珍しい味のお茶に混ぜたんだ。

とはいっても、何か盛られたことに気が付かなかったなんて薬師失格だわ。

「私のバカ」

ため息をついて重い体を叱咤し、支度を済ませると部屋がノックされた。入ってきた侍女に促されてリビングへ行くと、シュウ前王妃が朝食が置かれたのテーブルの前に座っている。

昨日よりは顔色が良さそうだ。

「おはようございます」
「おはよう、ラナ。よく眠れたようね。さぁ、朝食にしましょう」

満足そうに微笑む顔に、やはり私の予想通りだったのだろうと思う。

一体どうして? そこまでしなくても、夜中に出ていったりしないのに。

頭痛はするが、出されたお水を飲んだら落ち着いてきた。

朝食も促されたので、多少警戒しながらも美味しくいただく。

食べ終えた頃、シュウ前王妃は「あぁ、そうだ」と世間話をするような軽い口調で話し出した。

「昨夜、カザヤ様が襲撃されたそうよ」
「え……」

口調に反して重い内容に目を見開く。

「襲撃……? あ、あの! それでカザヤ様は……!?」

騎士団の人数が減り、襲撃の可能性は高かった。
当然、それなりに備えているだろうが、でも本当に襲撃されるなんて……!

心配でたまらない。私は震える手を押さえる様に、膝の上でギュッと握りしめる。

「カザヤ様が心配?」
「それはもちろん……」
「カザヤ様が好きなのねぇ」

面白がるような声に何も言えずに俯く。
今は私の気持ちなどどうでも良かった。ただカザヤ様の安否、怪我の有無だけが気になる。

「カザヤ様はご無事ですか!?」
「カザヤ様は無事よ。ただ少し怪我はしたみたい」
「怪我!? どこに!?」

青ざめながら思わず立ち上がると、シュウ前王妃は吹き出して笑った。

「そこまでは知らないわ。でも、どうやらあなたをお呼びのようよ」

前王妃は部屋の隅を見ると、侍従が小さく頷いて扉を開けた。そこにバルガが礼をとって待っていたのだ。

「バルガ様……」
「お迎えね。じゃぁまたね、ラナ」

ひらひらと手を振るシュウ前王妃を横目に、私は急いでバルガに駆け寄ると、共に前王妃の塔を出た。

その足取りは落ち着いている。

側近のバルガが慌てていないということは、きっとカザヤ様は大丈夫だ。私を呼ぶ前に医師にも見せているだろうし……。

そう言い聞かせながら、前を歩くバルガの背中を見つめる。
怪我はしていないようだけれど、服は煤とほこりにまみれ疲れている様子が見て取れた。

「バルガ様。昨夜、襲撃があったとお聞きしました。カザヤ様のお怪我のご様子は……?」

黙ったままのバルガに恐る恐る聞くと、歩みを止めずにチラッと振り返る。

「襲撃があったのは今朝方のことです。カザヤ様は腕にお怪我をなさいました。怪我自体はたいしたことはないのですが、どうやら剣の刃に毒が塗られていたようで、先程から熱が出ています」
「毒……」

サッと青ざめるが、バルガは大丈夫だという風に首を振った。

「医師によると咄嗟によけた為、かすった程度なので心配はいらないと。ただカザヤ様がラナをずっと呼んでいるんですよ」

私を……?

カザヤ様の部屋に近づくにつれ、警備がとても手厚くなる。騎士たちは一晩で回復した人が多かったようだ。これならもう心配はいらないだろう。

ホッとしていると、部屋の前まで来ていた。促されながら寝室へ向かうと、カザヤ様が熱い息を吐きながら寝込んでいた。

「カザヤ様!」

思わずベッドサイドへ駆け寄る。それに気が付くと、目を開けて体を起こしたので咄嗟に押し戻す。

「駄目です! 寝ていて下さい!」
「ラナ、来てくれたか。お前は何もされていないか?」

真っ先に私の心配をするカザヤ様に、じわっと涙が浮かんでくる。

私のことはどうだっていいのに。何かされたのはカザヤ様の方じゃない……。

「はい。私は昨夜、前王妃様の塔に泊まっておりましたので何も……」
「シュウ前王妃の塔か……」

それを聞いて、スッと目を細めどこか考える様に遠い目をする。そしてふっと私に視線を戻すと、温かい瞳で見つめられた。

「ラナが無事でよかった」
「私が何かされることなんてありません。それよりカザヤ様の方が心配です」

心配で涙目の私にカザヤ様は笑い出す。

「心配ない。少し毒に当てられて熱がでただけだ。ラナが来てくれたからもう元気だよ」

そう笑うが、目はトロンとして顔も赤く、吐く息も辛そうだ。

あぁ、それでも……。カザヤ様が無事でよかった……。生きていて良かった……。

思わずその大きな手を取る。カザヤ様の温もりを感じ、ホッと息を吐いた。

「ラナ……?」

ハッとして顔を上げると、カザヤ様が驚いたように目を見開いている。

しまった! なんて失礼なことを!

「申し訳ありません!」

慌てて手を離すと、ちょうど寝室が開いてカザヤ様の専任医師に呼ばれる。
薬を取ってくるよう言われ、赤い顔を隠すようにカザヤ様を振り返らず急いで薬師室へと戻った。そこで処方通りに解毒薬と痛み止めと消毒薬を持ってくる。

心配だったからって、どさくさになんてことを……。
手を握るなんて大胆な真似をしてしまったわ。

自分の行いに恥じながら戻ると、カザヤ様は穏やかな笑みを浮かべて待っていた。
目線を外し、恥ずかしさをこらえながら持ってきた薬の説明をする。

「これは解毒薬です。すでに飲んでいらっしゃるかと思いますが、お昼と夜にも忘れず飲んでください。あと、お怪我したところの消毒をし直しますね。毒によるかぶれや炎症を抑える塗り薬も塗布しますね」

準備をしながらカザヤ様に怪我した腕を出すよう伝える。

「わかった」

私をじっと見ていたカザヤ様は、おもむろにガバッと着ていた服を脱いだ。

「……っ」

目の前にさらされた上半身に胸がうるさくなりだす。 鍛えぬかれた上半身は逞しく、均等が取れていて男らしい姿に言葉が詰まった。  

直視しちゃった!

自分の頬が熱くなるのが良く分かった。

脱がなくても、腕を出すだけで良かったんだけど……。

赤くなった顔を見られたくないので、やや俯き加減で消毒を行う。
左の上腕に5センチ程の切り傷があった。深くはないようで、これなら縫う必要もない。

消毒していると頭の上からカザヤ様の視線を感じるので顔なんて上げられない。緊張して手が震えそうになるのを、心の中で叱咤しながら消毒をして包帯を巻いた。

はぁ、やっとできたわ。

包帯が巻き終わると、フワッといい香りがする。カザヤ様の香りだと気が付いた時には、手元に影がおりてとても近い位置で見降ろされていた。

「ラナ……、こっち見て」

柔らかく低く甘い声が聞こえてくる。
初めて聞く声色にドキッと指先が震えた。雰囲気ががらりと変わったことに気が付かないほど、私は鈍感ではない。

誰かに助けを求めたい気分だが、あいにくこの部屋はカザヤ様と2人きりだ。

急になに? どうしよう……。上手く顔があげられない。
だって、絶対にすぐ目の前にカザヤ様のお顔があるもの!

静かな部屋に、私の心臓の音が聞こえてしまいそうだった。

「ラナ……」

強請るような言い方。まるで甘えるかのような、優しい言い方。

ずるい……。そんな声で言われたら逆らえないじゃない。

渋々ゆっくりと顔を上げると、目の前のカザヤ様が目を細めて微笑んだ。思っていた以上に近い位置にいる。目が逸らせず、真っ赤な顔が見られてしまった。

「カザヤ様……」
「襲撃があった時もずっとラナが心配だった。無事で良かった」
「わ、私が狙われるなんてことありません」

目線を外しながら首を振って答えると、大きな手がそっと頬に触れた。その手の熱さと大きさに小さく肩が跳ねる。

「いや十分にあり得る。俺がラナを大切にしているのを知っている奴は増えたからな。ラナをどうにかしてやろうと企むかもしれない」

カザヤ様の言葉に目を瞠った。

大切にしている……? カザヤ様が私を……?

確かに贔屓されている自覚はあったが、本人の口から言われると動揺する。

それってどういう意味で……?

言葉が出ずに、真っ赤な顔でパクパクしていると微笑まれた。

「俺の気持ちは不純物ではないからな」

え……?

カザヤ様はそう呟くと、薄っすらと開いた形の良い唇が私のそれと重なった。

な……に……?

初めはそっと触れる様に。次に固まった私を解すように何度も軽くついばむ。
体が一気に熱を持ち、腰が震えた。

「待っ……」

待ってほしいと言いかけた言葉は唇ごと奪われる。

気持ちいい……。

あまりの心地よさに一瞬体の力が抜けそうになる。
カザヤ様はそれを見過ごさず、さらに口付けを深くした。

この前のような、かすめるキスではない。欲情の熱を持った、熱いキスだ。

どうして? どうしてこんなことを?

混乱する頭でつい抵抗しようとカザヤ様の胸を右手で押すが、それはやすやすと掴まれてしまう。

部屋にはリップ音が響いていた。

気持ちよさに思わず声が漏れる。

「あ……、んんっ……!」

薄く開いた唇の隙間から、甘美で優しい舌が入り込んだ。一度、私の舌にトロッと絡ませるとそっと唇を離す。

「俺の毒がお前に入ったりするか?」

唇が触れそうなくらいの距離でそう囁く。見つめてくる熱く甘い瞳に溶かされそう。抗えるはずがない。

答える私の声はかすれていた。

「だ、大丈夫です……。傷は小さいので体液に混ざるほどの量でもないでしょうし、もう解毒薬が効いてきているはずなので……」

自分で言った体液という言葉にカァァっと赤くなる。今の行為だけでも倒れそうなほどなのに、生々しい表現をしてしまった。

カザヤ様は私の反応に気をよくしたようにフッと笑うと、再び唇を合わせた。 

「んっ……!」

私の唇を味わうような、堪能してくるカザヤ様のその熱に溶けてしまいそうだ。心地よくて頭の中がふわふわとしてくる。

もう抵抗なんて無理だ。ただ、この時間が永遠に続けばいいと思ってしまう。

やっと唇が離れ、私を熱を含んだ色っぽい瞳で見下ろす。  

私は? どんな顔をしているだろう。

真っ赤でただ茫然としているに違いない。甘い口付けの余韻が残り、幸せから頭の芯がしびれる。

名残惜しいだなんて思ってしまう。

幸せだ。
好きな人からのキスだもの。幸せに決まっている。それなのに、胸の中はなぜか苦い気持ちが広がっていた。

「また時間がある時に会いに来てくれ」

囁く声。命令でもなく、拘束力もないただ懇願に近い声。

でも、私を縛るのには十分。

気が付けば小さく頷いていた。
ただ、私の肩を軽く抱きしめるその背に腕は回せない。そんなことをしていいはずはないのだ。