昭和40年春だった。

わしは、中学を卒業したあと夜行列車《しゅうしょくれっしゃ》に乗って東京へ向かった。

一家の生活が困窮《こんきゅう》しているので、高校に行くことができなかった。

わしは、京急電車蒲田駅《けいきゅうかまたえき》の駅前前商店街にあるラーメン屋さんに就職した。

わしはそこで、ラーメンや中華料理をオカモチに入れて、自転車に乗って出前に行く仕事をしていた。

その頃のわしは、西も東も上も下も分からない少年だった。

だから、失敗ばかりしていた。

そのたびに店主さんから怒鳴られてばかりいた。

ラーメン屋さんの店内にて…

店主さんは、電話で何度も謝っていた。

「もうしわけございません…もう一度作り直しますから許してください…」

この時、わしが出前から帰ってきた。

「ただいま。」
「コラ正坊!!お前、1丁目の山田さんカタヘ出前に行ったのじゃなかったのか!?」

16のわしは『えっ、出前に行きましたよ。』と答えた。

店主さんは、ものすごい血相でわしを怒鳴りつけた。

「コラ!!さっき電話がかかって来て、違う家に届いたと言うてたぞ!!…何回同じ失敗をしているのだ!!…お前はコンリンザイ出前に行くことは禁止だ!!」

わしは、店主に言われた通りに奥のチュウボウで雑用だけをすることにした。

私が店主に怒鳴られた時、店のおかみさんが私に優しくこう言うてくださった。

「正ちゃん、あんたもつらいよね…」

おかみさんは、16のわしにやさしく言うたあとサイフの中から千円札を二枚と五百円札を一枚出した。

おかみさんは、2500円を16のわしの手ににぎらせた。

「これで、うまいものでも食べておいで…」

わしは、おかみさんのやさしさに救われた。

だからわしは、がんばって働くことができた。

それから数日後であった。

16のわしがのんびりと街を歩いていた時に、おぞましい光景を目の当たりにした。

ヘルメットなどで武装して、ゲバ棒を担いで一列にならんで行進していた大学生たちを見かけた。

この時、学生運動の真っ只中だった。

都内の至るところで大学生たちによる暴動事件が多発した。

ベトナム戦争・3億円事件・東大安田講堂事件・よど号ハイジャック事件・瀬戸内シージャック事件・渋谷の暴動事件…そしてあさま山荘事件など…

昭和40年代におぞましい事件が多発した。

わしは、そんな中で10代を過ごした。

その間、わしは高校には行かずに7~8の職場をつないで生きた。

新聞の求人欄を読んで、手当たり次第職を探し回った。

その後、ワシは運転免許を取得した。

そして、トラックドライバーを経てタクシードライバーになった。