父が亡くなった。
享年67歳。
肝臓癌だった。
私は、34歳で、親を亡くすのには、まだ早い年齢だ。
父との一番の想い出は、私が小学2年生の時に買ってもらった、ぬいぐるみの形をした防犯ブザーだった。
父・健治朗は、厳しい人だった。
私が、何か悪さをすると、極寒の空の下、家の外に締め出されたものだ。
そんな時は、決まって、2歳離れた弟の伊央が鍵を開けてくれたものだった。
子どもを凍死させる勢いで躾をする厳しい父から、ある日、私は防犯ブザーをもらった。
大豆みたいな丸っこいフォルムの、可愛いぬいぐるみの形をしていた。
しかも、そのアライグマのぬいぐるみは、蝶ネクタイまでしていた。
「可愛い!お父さん、これ、学校に持って行って良いの?」
「勿論。毎日、持って歩いて、危険なことに遭いそうになったら、すぐに鳴らすんだぞ。」
私は、本当に嬉しくて、毎日アライグマ型防犯ブザーを身につけて、登校した。
幸い、危険なことには巻き込まれなかったけど、父が言ってくれた、
「その防犯ブザーを、お父さんだと思って持っていなさい。唯衣のことは、お父さんが守ってやるから。」
という言葉は、今でも鮮明に覚えている。
思えば、この時の嬉しかった感情が、私をぬいぐるみ好きにしたのかもしれない。
享年67歳。
肝臓癌だった。
私は、34歳で、親を亡くすのには、まだ早い年齢だ。
父との一番の想い出は、私が小学2年生の時に買ってもらった、ぬいぐるみの形をした防犯ブザーだった。
父・健治朗は、厳しい人だった。
私が、何か悪さをすると、極寒の空の下、家の外に締め出されたものだ。
そんな時は、決まって、2歳離れた弟の伊央が鍵を開けてくれたものだった。
子どもを凍死させる勢いで躾をする厳しい父から、ある日、私は防犯ブザーをもらった。
大豆みたいな丸っこいフォルムの、可愛いぬいぐるみの形をしていた。
しかも、そのアライグマのぬいぐるみは、蝶ネクタイまでしていた。
「可愛い!お父さん、これ、学校に持って行って良いの?」
「勿論。毎日、持って歩いて、危険なことに遭いそうになったら、すぐに鳴らすんだぞ。」
私は、本当に嬉しくて、毎日アライグマ型防犯ブザーを身につけて、登校した。
幸い、危険なことには巻き込まれなかったけど、父が言ってくれた、
「その防犯ブザーを、お父さんだと思って持っていなさい。唯衣のことは、お父さんが守ってやるから。」
という言葉は、今でも鮮明に覚えている。
思えば、この時の嬉しかった感情が、私をぬいぐるみ好きにしたのかもしれない。