婚約者に捨てられた夜、八歳年下の幼馴染みにプロポーズされました。

『大丈夫。家で待ってて』

 メッセージを返して会社を出ると、氷堂が待ち構えていた。

「遅かったな美緒。部署では気まずくて「本当はまだ一馬を愛してるわ!」って言えなかっただけだろう。俺はわかってるよ。二年付き合っていたんだから、お前のことなんでも知ってる。ほら、婚姻届持ってきてやったから、今から出しに行こうぜ」

 氷堂が見せつけてきた婚姻届は、私の署名以外は埋め終わっていた。
 こいつの浮気を知る前で、手切れ金を渡される前の私だったら、もしかしたら喜んでサインしていたのかもしれない。

 そう思うと薄ら寒い。
 恋は盲目っていうけれど、私はこの男のこういう、身勝手なところが見えていなかったんだ。
 迷っているとき引っ張っていってくれて男らしいとか思っていたのかな。
 恋情が冷めた今となっては謎だ。


「そこはリンちゃんの名前を書くところでしょう」
「もう別れたんだって。美緒と仲直りして結婚したってわかれば、部長も左遷を考え直してくれる」

 やっぱり、求婚の本当の目的は保身か。

「今はあんたのことゴキブリより嫌いなの。もう話しかけないで」
「そんな嘘いいから。俺の気を引きたいだけだろ。いやよいやよも好きのうちっていうもんな」
「話しかけるなって言ってるのよ!」

 意味がわからない。
 日本語で会話しているはずなのに、話が成立しない。
 手首を掴まれて、叫びそうになった。

「ミオ!」

 耳慣れた声が聞こえてきて、氷堂の手を叩き落とした。