「よかったな。陛下と王妃様が信じてくださって」

 夕刻。すべての種類の花を研究所に運び終えた私は、ようやく部屋に戻ってソファにだらりと身体を預けた。
 さすがに朝から重労働をやってたら身体の節々が痛いわ。
 そんなぐったりとした私の頬に残った泥汚れを、セイシスが自分のハンカチでふき取る。

「うん。行く宛て無くセイシスと放浪することにならずに済んでよかったわ」
「……別に、俺はそれでもよかったがな」
「え?」

 よかった?
 放浪、したかったってこと?
 私が首をかしげるなか、セイシスは静かに続けた。

「昔俺が言ったこと、覚えてるか?」

 昔セイシスが言ってたこと……いや、いやいや!!
 アバウトすぎてどれのことかわからないんだけど!?

「昔っていつのことよ? あなたと私は物心ついてからずっと一緒にいるんだから、どのことか詳しく言ってくれなきゃわからないわ」

 そう、本当にセイシスとはずっと一緒にいる。
 最初は遊び相手として。
 父と学園時代の同級生で仲の良いマクラーゲン公爵夫妻の嫡男であるセイシスが連れてこられた。
 そして大きくなったらなぜか私の護衛騎士になった。
 形態は変わりながらも、なんだかんだ一緒にいたのだ、セイシスは。

「あーうん、だよな。……昔、二人だけでお忍びで花畑に行った時さ……、野犬に襲われたことがあったろ?」

 花畑で野犬……あぁ、あったわ。
 あれはたしか、セイシスが6歳、私が4歳の時。

 お母様の誕生日にお花をプレゼントしたくて、私がセイシスに無理言って町はずれの花畑に連れていってもらったのよね。
 一回目の時、お母様は私が2歳の頃に死んじゃったから、お母様の誕生日を祝えるのがうれしくて、張り切って……。
 でも驚かせたいから、セイシスと皆に内緒で城を抜け出したんだ。

「俺はまだガキで、お前を守ろうと木の棒一本で向かって行ってさ……。結果、お前の足に野犬の爪がぐっさり刺さって、お前に怪我をさせた。あの時言った事だよ」

 3匹の野犬相手にセイシスは棒一本で私を守ろうとしてくれた。
 でもそれだけじゃ守り切れなくて、私は右太ももに深い傷を負った。

 泣きながら私がい一番に心配したのは嫁の貰い手だ。

『こんなじゃお嫁の貰い手がないわ……』

 そんな私にセイシスは、とっても真剣な顔をして──。

『俺がもらう。お前を嫁にできるのは、俺だけだ』
 って言ったのよね。

 あの時の私は、2回目も殺されるくらいならどこかへ嫁いで逃げるって半ば自棄になっていたから、そんな発想になったんだろうけれど。

 私にとって初めてのプロポーズなのよね、アレ。

 ……ん? プロポーズ?
 じ……自主規制されてない!!
 ただ単に子どもだったから?
 それとも──。

「あれ、今も有効だから」
「へ?」
「お前が居場所を失くしても、俺がちゃんともらってやるから。だから安心して、お前は自分のやりたいこと、やるべきことをしてればいいんだよ」
「セイシス……」
 私の頭を不器用に撫でる大きな手がくすぐったい。

「それ、無期限?」
「あぁ」
「お金取らないわよね?」
「金に困ってない」
「働かざる者──」
「その必要もない」
「身体を差し出せとか──」
「……」

 何でそこ黙るの!?

「まぁとにかく、大丈夫だから。それと……お前が気にしてた、陛下や親父の話だけどな……? あれ、俺の結婚に関する話だったんだよ」
「結婚!?」

 セイシスが……あのセイシスが結婚……ですって!?
 思ってもみなかった言葉に何を返したらいいのかわからない。
 私は勝手に、セイシスはずっと私の傍にいるものだと思っていたけれど……そうよね、これでも一応公爵家嫡男だもの。
 セイシスのお母様はマクラーゲン公爵と結婚する前、お付き合いしていた恋人との子どもを産んでいる。それがセイシスの2つ上のランベルトだ。
 家格が違いすぎてセイシスのお母様はマクラーゲン公爵と結婚したけれど、その恋人とは今も続いているし、マクラーゲン公爵はマクラーゲン公爵でアルテスのお母様を第二夫人に置いている。
 かなり特殊で、でも特殊だけれどそれぞれが己の役割をわきまえている、不思議と調和のとれた一家。

 父親違いでお兄様がいるとはいえ、正妻から生まれたセイシスが今のところは跡取りになる、のよね。
 そうなれば結婚は必須。
 そんなの、ちょっと考えればわかるはずなのに。

「お前ももういい歳なんだから、ってな。でも俺は、お前の護衛を下りるつもりはない」
「え?」
 さすがのハイスぺセイシスでも、私の護衛騎士をしながら公爵の仕事をするのは無理だと思うんだけど……。
 戸惑う私に、セイシスは苦笑いを浮かべ続けた。

「だからさ、親父とずっと話してたんだよ。家督はランベルトに継いでもらいたい、ってな。でもランベルトはほら、親父の子ではないだろ? 能力はあるし、親父との仲も悪くない、親父自身もランベルトを信頼しているけど、マクラーゲン公爵家の血筋ではないランベルトが、他の貴族たちの標的になることを心配しててな」

 それはそうだ。
 いくらマクラーゲン公爵令息を名乗っていても、正当な血筋ではない。
 そんな彼が次期侯爵となれば、噂の的、嫌味の標的になるのはわかりきっていることだ。
 いくら公爵や家族がそれでいいと思っていても……。

「で、その話を聞きつけた陛下から呼び出しがあったのが、レイゼルとお前を二人にした夜のこと。陛下は、自分が後ろ盾になると言ってくださったんだ。責任をもってランベルトを守ると、そう言ってくださった。それで図書館に行った時親父と陛下から呼び出されて、正式にその話で合意した。その代わり半年待てってさ。辺境の町で医者をやってるランベルトも、後任に引継ぎをしなきゃいけないし、俺が今引き受けてる公爵領の仕事もランベルトへの引継ぎをしておかなきゃならないからな」

 今のところ跡継ぎとして知られているセイシスは、忙しい私の護衛の合間に公爵領の仕事まで手伝っている。
 それをランベルトに引継ぎをしなければならないのは当然のことだ。

「ランベルトはいいって?」
「あぁ。お前はそういう気がしてたから、計算済みだ、ってさ。まぁ、昔から俺は常にリザの傍にいたしな」

 本人の意思なく跡継ぎ交代となるなら申し訳ないけれど、ランベルトも了承を得てるのなら安心ね。
 でもよかった。セイシスが結婚するんじゃなくて。

「少しは安心したか?」
「っ!! べ、別に私は、セイシスが結婚するのを不安に思ったとかそういうのじゃ──!!」
「はっはっは!! 照れるなって。まぁそういうことだから、何かあればすぐ言え。俺がいつでも攫ってってやるから」
「セイシス……」

 するとセイシスは、突然真剣な顔をしてまっすぐに私を見つめた。

「この間は、悪かったな。関係ない、なんて言って」
「……私も、ごめん」

 そして私たちは、どちらからともなく笑いあった。

「じゃ、俺は行くから。風呂でも入って、夕食までゆっくりしてな」
 そう言ってセイシスは、私の部屋を出ていった。

 安心したらお腹がすいてきたけれど、セイシスの言う通り先にお風呂に──あら?
 ふと視線を机の上に落とすと、そこには先ほど私の頬をぬぐってくれたセイシスのハンカチが置いてあった。
 まだそこらへんにいるわよね?
 届けてあげよう。
 私はそれを手にすると、セイシスが出ていったばかりの扉を出た。

「ぁ、いた。セイシ──っ!?」
 曲がり角でセイシスを見つけて駆け寄ろうとしたところで、私は思わず足を止めた。

 だって──セイシスが、セイシスが侍女を抱きしめているのを見てしまったのだから……。