……仕事がないとき、希空はそわそわして過ごした。
 理人が両親に会ってくれる日の夜。
 ロッカー室に飛び込んだ希空は携帯を慌てて取り出したので、落としそうになった。

 果たして、電源を入れるとメッセージが到着しているお知らせが入っている。

『OKをいただきました』
 クマが汗をかいてヘタリ込んでいるスタンプに、彼の緊張の度合いがわかる。
 ぎゅ、と携帯をだきしめる。

「ありがとう! お疲れ様でした!」
 
 万感の思いを込めて返事を送った。

『希空、デートしよう』
「しましょう!」

 お誘いに即答してから互いのシフトを確認する。
 二週間後に、一日だけ休みがあう日があった。
 希空は遅番明け、次の日休み。
 理人は二日休みだ。

 希空は一日目、眠いけれど仕方がない。

『夕方に待ち合わせしよう。一眠りしたら、おしゃれして泊まりの用意をしておいて』

「わかりました!」

 そうと決まれば、体の手入れだ。

「うう、サボっていたツケが……」

 日頃は化粧水を染み込ませたパックをする程度。
 
「エステに行こうかなぁ」

 お肌をつるつるにしておきたい。

「頑張れ、あと二週間もある!」

 ふと、壁に貼ってあるカレンダーを見た。
 まだ理人と付き合いだして一ヶ月経ってないことに気がついた。

「……彼のことが大好きすぎて、もう何年も知り合いな気がしてた……」

 呟きながら、赤面してしまう。ふと思う。
 
「自分をありのまま受け止めてくれる人がいるって、なんてラッキーなのかな」

 前の会社では否定されまくったせいで、多分心に支障をきたす寸前だった。
 今は同僚に認めてもらえ、なにより理人から愛されていることが力の源になっている。

 彼が愛しがいのある女でありたい。

「彼に、一番綺麗な自分を見せたい」

 ◇■◇ ◇■◇
 
 とうとう理人と会える日。
 世界よ、お祝いしてくれて構わないよ。

「いけない、鼻歌歌ってた」

 戒めるそばから、ニコニコしそうだ。
 気がついては、口をへの字に引き締める。の、繰り返し。

 カレンダー上では、もっと会えない恋人達がいるはず。
 けれど、希空の体感ではとても長い時間、彼に会えてなかった。

 会いたくて仕方ない。
 今すぐ彼のもとに走っていきたくて、うずうずしている。
 いつもなら仕事に集中できるのに、さすがにこの日ばかりはうまくいかない。

「落ち着いて、冷静に」

 希空は何度も自分に言い聞かせながら深呼吸を繰り返した。 

「……こんなときが一番危ない」

 自分は正しいと信じこむ、手順を完璧にマスターしている。
 思い込みが、指差し確認の精度を下げる。

「気をつけないと」

 わかっているが、浮かれてしまう気持ちを止めようがない。



 あと一時間、あと三〇分。
 早番のメンバーと引き継ぎが終われば、着替えるだけ。
 
「お疲れ様さまでした!」
「あとはよろしく!」

 逸る気持ちで作業服から出勤服に着替える。
 焦るあまり、ボタンを数箇所かけ間違えた。
 もどかしい思いでかけ直し、事務所を飛び出す。

 朝、七時台の電車はまだ閑散としている。
 疲れている人、これから出勤する人、少しでも力を蓄えておくために目を閉じている人、力尽きて寝落ちしている人。
 みんな頑張っているよね、と慈悲深い気持ちになっている。
 
 今なら、世界の幸せを祈れるくらい、幸せだ。

 ……正直、今日ばかりは空港に迎えに来てくれると嬉しかったな、と思う。

 でも、寝不足の自分は無意識に不機嫌を撒き散らしてしまうかもしれない。
 理人は気を遣ってくれてしまうだろうから、互いに避けたほうがやっぱり賢明なのだろう。

 だからきっと彼は、希空に睡眠を取る時間を与えてくれたのだ。

「……大人だなぁ」

 ちら、と前に座っている男性が希空を見た。
 
 いけない、つい、うっかり声にだしてしまった。
 口を手で塞ぎながら、自分も彼を支えられるようになりたい。
 まだ、もらってばっかりだ。

◇■◇ ◇■◇

ようやく社員寮についた。

「ただーいま……」

 途中から睡魔との戦いだった。

「もう、負けていいよ、私……」

 目覚ましセットしなくちゃ。
 それが堕ちる前の記憶だった。




 リリリリリ。
 アラームが鳴っている。
 消さなければ。

「アラーム、どこ?」

 腕をいっぱいに伸ばすが、消すべき物体が見当たらない。
 けれど、アラームは鳴り続ける。

 希空は諦めて眠ってしまった。




「……うーんん。よく寝たぁ」
 
 伸びをする。
 ここ数日寝不足だったけれど、今日は不思議とよく眠れた。
 
「頭はスッキリしているが、何か忘れているような……?」
 
 希空はなんの気なしにカレンダーに目をやる。書かれているハートマークはなんだったろうか。

「はっ!」

 希空の目がまなじりも裂けよとばかりに開かれる。

「理人さんっ」

 携帯を見る。

「きゃああああっ」

 待ち合わせまで、あと三〇分。
 お風呂に入ってスキンケアをして、着ていく服の最終チェックをして。
 やることリストが冷蔵庫に貼ってあるが、全てをこなすには時間が足りなさすぎる。

「あ、ああ……。私のバカぁっ」

 ののしっても時間は帰ってこない。

「どうしよう!」

 悩むまでもない。チカチカと光っている携帯を手にとり、恋しい人に連絡する。

『遅刻がわかった時点ですぐに報告しろ。そのせいで来るのがさらに遅くなってもだ』

 今の会社に入社したときに教官に言われた言葉だ。
 体が交代制になれるまで遅刻をしてしまい、幾度となくこの言葉を言われた。

「すみません、希空です! 今、起きました! これから支度しますので二十分……、いえ十分遅刻しますっ」

『現在位置、原因、到着予測時間を報告しろ』と教えられたそのままを伝える。

『よかった、起きたか。こういうとき、互いに鍵を持ってないのは不便だな』

 ホッとした声を出されてしまった。
 着信とメッセージがものすごいことになってる。
 希空はおろおろとした声を出した。

「ごめんなさい、デートの時間がっ」
『大丈夫だから、そのまま出ておいで』
「え?」
『窓の下』

 謎めいた指示に、とりあえず窓を開けてみると。

「理人さんっ!」

 彼が車にもたれて手を振っている。
 怒るでもなく、にこやかに自分を見つめてくれている彼を見ているうち、ブワ、とこみあげるものがあった。

 希空はすぐ窓からひっこみ、ダッシュで支度をしだす。
 そこにまた携帯がリリリリ、と鳴った。

 発信主は階下にいる、大好きな恋人。

『落ち着いて。火の始末と戸締りをきちんとして、降りておいで』

 優しい言葉に希空は泣きそうになりながら、言われた通りにする。

「ごめんなさいっ」

 ……三度見回し、大丈夫なこと玄関の施錠も再度確認してから階段を駆け降りた。

「理人さんっ」

 抱きつけば、しっかりと抱き止めてくれる。

「せっかくなら、『迎えにきてありがとう』のほうがいい」
「……ありがとう……大好き……」

「満点」

 嬉しそうな声だった。