翌朝六時。
 夜明け近くまで睦みあっていたのに、希空はパッと目が覚めた。
 目がさめた希空は、のそのそとバスタオルを巻き付けると、窓に近づいていく。
 昨日みた大桟橋が足元に見え、遥かな水平線の上を船が動いている。

「わあ……!」

 窓からの景色に喜びの声を上げた希空を、理人は後ろから抱きしめてくれた。

「希空。これからも二人で色々な一緒に景色をみよう」 
「はい!」

 囁かれた言葉に、希空は笑顔を向けた。
 それからブルっと体を震わせた。

「風呂に入るか。そっちもオーシャンビューだそうだ」 

 理人にひょいと持ち上げれる。

「あっ、あの! 重くないですか」

 聞いてから、しまったと思う。
 一七〇センチの身長で、肉体労働をしている女が重くないわけがない。
 
「この部屋の中くらいなら大丈夫」 

 理人が言ってくれる。
 それくらいの距離ならいいか、とホッとする、

 そういえば、室内をろくに見ていなかった。……見る余裕などなかったとも言える。
 希空は恋人の腕の中から、部屋を見渡し。

「……この部屋、広くないですか」

 疑問を口にした。

 夜、部屋に入った時も確かにゆったりしているなとは感じた。

 窓からテラスに出られるようになっており、テーブルセットが置かれている。
 ベッドの足元側には、間仕切りを兼ねたTV台が置かれている。
 ……収まっているテレビの幅は二メートル近くはありそうだ。映画をみたら、かなり迫力が出るだろう。
 
 リビング部分にはカウチソファやミニバーが設えてある。
 物書き用のデスクはかなり大きめ。
 立派な家具が置かれても、まだ空間に余裕がある。

「そうかもな。このホテルは全室オーシャンビューのジュニアスイートらしいから」

「……スイート? ってことはやっぱり広い……そして、お高いのでは……?」

 理人は微妙な表情になった希空をかかえたまま、すたすたと部屋を横切る。

「到着」

 バスルームの前でおろしてくれた。どうぞというように、ドアを開けてくれる。

「わ……!」 

 希空は感嘆すると、キョロキョロ見渡した。
 
 洗面所は二人並んで使えるようになっており、洒落たチェストまで置かれている。
 一人一台のドライヤーは、おしゃれ女子御用達のハイブランドメーカー。
 アメニティも充実している。

 奥のすりガラスのドアを開ければ、二畳くらいありそうなジャグジーバスには、すでにたっぷりと湯が溜まっていた。

「いつのまに……」
「希空が感動してくれてた間だな」

 希空のアパートの広さくらいの浴室には、窓から陽光が散々と降り注いでいる。
 雲一つない空と、それより幾分濃い青色をした海が見える。

 希空は感動したあと、青ざめた。

「ごっ、ゴージャスですねっ?」

 声が裏返る。 

「満足してもらえたようだな」

 理人がさりげなく彼女をエスコートして、ジャグジーバスへ身を沈める。

「……ご満足すぎて、むしろ恐ろしいです……」

 財布の中身とつりあっていないことは確実だ。
 折半してもらっても、確実に皿洗いと床磨きまでしなければ完済できない。

「希空」

 うしろからにゅ、と腕が伸びてきて鼻をきゅっと摘まれたので、ふが、とか変な声を出してしまった。

「君の男を甲斐性なしにさせるなよ?」

 恋人が瞳をきらめかせている。
 非常に美しいはずなのに、イタズラっ子かヤンチャな悪ガキに見えてしまう。

「と、申されましても……」

 一瞬付き合ったボーイフレンドとは、全て折半だった。
 家族間でのクリスマスプレゼント交換は上限一万円まで、と決めてある。
 奢ってもらう、という単語が存在しない世界で生きてきた。
 
 なのに昨日からは、恋人に洋服や靴をプレゼントされたり。
 食事を奢ってもらったり。
 トドメにこの、ゴージャスなホテルにお泊まり。

 なにからなにまで、一昨日まで希空が暮らしていた世界と違いすぎる。

「プレゼントされるのに慣れてなくて」

「大丈夫。これから慣れるよ」

「いやいやいや、そんな恐ろしい……!」

 ブンブンと頭を横に振る。
 慣れて、馴れてしまうのは嫌だ。

「だが俺には、希空に奢る正当な理由はある」
 
 そんな理由など、聞いたことがない。
 理人と向き合う形に体の位置を入れ替えて、希空は彼のことをきっと見つめる。

「うかがいます」

 男は自信たっぷりに指を折って見せた。

「一に、君より長く働いている」

 たしかにそうだ。

「二に、多分君より高給取り」

 まちがいなく、そうだ。

「三に、これが一番重要なところだ」

 ごっくん。
 希空は思わず唾液を飲み込んだ。

「……はい」

「君の男は、ほぼ十年分の給料を貯め込んでいる、ということだ」

 恋人はしまりやさんらしい。希空はちょっとホッとする。

「そして、最重要事項。俺は、君に対して金に糸目をつける気はない」

 なにか、とてつもなく恐ろしいことを言われた……?

「覚悟しておけよ? ようやく金を使える相手に出会えたんだ。プレゼントしまくるからな」

 ウインクを寄越してきた男に、希空は慌てた。

「ちょ、ちょっと待ってください……!」

 理人にすがり、必死に見つめると。
 にこっと、なんとも爽やかに微笑まれる。

「大丈夫。希空の好みを無視したりはしない。俺の好みも反映させてもらうが」
 
 そういうことではない。

「男が恋人にプレゼントを贈るのには、もちろん下心(いみ)がある」

「……どんな意味ですか」

 警戒しつつ確認してしまう。
 
「聞いたことあるだろう? 『服を贈るのは脱がすため』『髪飾りは髪を乱したい』『口紅はキスしたい』とか」
 
 男の双眸が言葉と同じくらい際どい光を湛えていて、希空は顔から火を吹きそうになる。

「そう言えば、服しか贈ってないな。口紅も髪飾りも、ま、そのうちね。ランジェリーも何セットあってもいいし」

 にっこり微笑みかけられ、希空の限界値を超えた。

「……も、無理ぃ……」

 くってりと男に身を任せる。

「おっと」

 理人は嬉しそうに彼女を抱きしめながら、希空の耳に囁く。

「希空を正当に甘やかす権利を、君の父上から早急に譲っていただく」

「え?」

「希空の父上はどこに住んでおられるんだ? 都内?」

「いえ……」

 父は気象予報士として働いた後、気象大学校に教官として招聘された。
 退役したタイミングで、姉の妊娠および転勤が発覚した。
 両親は姉や姪とともに、地方空港の近くで暮らしていると、正直に伝える。

「都合よく、近くの空港へのフライトがあればいいんだが」

 難しい顔で考え込んでいる男を見つめる。
 まだ急展開についていけてないが、彼の言動は誠実だからとても信頼できる。