渚と那由多と暮らしている家は終電駅にある。
終電駅と次の駅は遠い。
夏の終わりの早朝。
俺は家を出て、電車にただ1人、座っていた。
何をするわけでもない。
ただただ、少し薄暗い空を眺めるだけだ。
ふと、俺は思った。
この風景、どこかで見たことあると。
いつかも分からないけど、夢で見たのか。
いや、こんな日常に溢れた風景はどこでもある。
思い出したくない。
こんなの覚えてなくていい。
俺の母親の顔が蘇ってくる。
ふと、何年振りかの涙が出てきた。
俺が家を出てから今年で11年か。
母親の名前も、どこにいるかも、生存しているのかすら知らない。
だけど、声と顔だけははっきり覚えている。
出てこなくていい。
ただただ虚しくなるだけなんだよ。
「…あの、大丈夫ですか?」
そう声をかけられてびっくりする。
目の前には制服をきた女の子。
その制服は…、
「戸波高校」
隣の県だ。
こんな遠いところから通っているのか。
「あっ、ごめんなさい。辛いことでもあったのかと思って…、赤の他人がごめんなさい」
すごいいい子じゃん。
だけど、俺じゃなかったらどうだっただろうか。
誰もいない電車。
薄暗い空。
食われててもおかしくない。
「気遣いありがとう」
俺はいつもの喋り方で喋る。
…ってことは俺はもうあの純粋な頃には戻れないってことだ。
「あっ、いえ…!?」
俺の声にびっくりしたようだった。
「だけど、気軽に男に話しかけるもんじゃないよ。僕じゃなかったらどうなってたことか」
「…はい、すみません」
涼くんがいた頃に戻りたい。
また、菜乃花と沙都くんに会いたい。
なんで今、昔のことばっか思い出すんだろう。
「あの、しんどくないですか」
そう言われギョッとする。
「さっきと全然様子が違って。なんと言うか、もちろん今の方が印象はいいんですけど、どこかぎこちない感じがして」
渚ですら見抜けなかったことを見抜いたこの子。
「すげぇ」
この子には洞察力があるのかと感心してしまう。
これだったら、裏社会でも役に…
って、なんてそんな縁起でもないことを考えるんじゃない。
この子には普通に話しても大丈夫かな。
「よく分かったな」
俺がそう話すと、少しびっくりしたような、でも安心したような表情になった。
「つい癖で…」
癖、ってこの子は何に囲まれて育ったんだろう。
俺の演技を見破るとは。
「って、マジで危ないからな。相当なことがない限り、話しかけんなよ」
「なんか…、優しいんですね」
「…俺が?」
優しくなんかない。
いや、この子の目に映る俺は優しいのかもしれない。
だけど、実際、俺には「優しい」の「や」の字もない。
普通に罪人だし。
「今、何歳?」
俺がそう問うと、思わぬ答えが返ってきた。
「今17です。あ、明日で18ですね」
こんなことあるのか。
「誕生日、おめでとう」
久しぶりに言ったな、この言葉。
「あ、ありがとうございます…!」
「じゃあ、今日が子供最後の日ってことか」
「そうですね」
俺が17の時、何してたっけ。
そうだ、トップとったんだったな。
「って、18ってことは受験生じゃん」
「私、受験しないんですよ」
「もう就職?」
「はい。大学に行くお金がないので」
俺より全然マシだ。
俺は高校すら行っていない。
「もう着くな」
あと10秒程度。
『名川です』
そうアナウンスが流れ、俺は立った。
「…じゃ、な」
少し戸惑い気味にも声をかける。
すると女子高校生は立って、俺の袖を掴んだ。
「あの、名前を!」
なんと言うべきか。
「…佐伯だよ」
「ありがとうございます!」
俺の名前を何に使うのか。
佐伯なんか、探したらいくらでもいるし。
ま、なんでもいっか。
もうこの時間帯の電車は使わないし、会うこともない。
俺は渋滞しているホームの人をかき分けるように駅を離れた。

数日後の夜。
裏社会に関係があり、よく着ているバーに那由多と来た。
渚は…、家にいなかった。
俺はドアを開ける。
「いらっしゃい、って有流くん!」
店主はこっちを向くなり、カウンターを出てこっちに来て俺を抱きしめる。
「久しぶり〜!元気にしてた?」
「ミカさん、香水きついわ」
「うっそ、マジ!?…ってあんたデリカシーなさすぎな?」
俺は頭を叩かれる。
ミカさんはアクセルが常々お世話になっているこのバーの店主だ。
と言うことは、ミカさんも裏社会の人間だ。
年齢は…、おそらく20代後半。
聞くと多分俺の息の根が途絶えてしまう。
「どうせこの後男と会うんでしょ?」
「なんで分かるのよ」
「勘」
「すげぇ」
と、ミカさんはカウンターに戻り、準備をする。
俺はカウンター席に座った。
ミカさんはふと、那由多を見た。
「お隣さんは?またアクセルの子?」
俺に耳うちするように言うミカさん。
「ミカさん、まだ他のお客さんいるでしょ?」
「だから声小さめにしたじゃない!」
このやりとりはいつ振りか。
って言って、2、3年前か。
「那由多。燦爛だよ」
「っ、え、燦爛!?仲良くないよね!?」
「那由多だけだよ」
何それ…、と呆然とするミカさん。
「いつもの」
「はいはい、那由多くんは?」
「有流と同じので」
「アルコール入ってないけど大丈夫?」
「大丈夫です」
ミカさんはジュースを用意してくれる。
「有流くんも、もうアルコール入れても大丈夫じゃない?」
「最初の酒は渚とって決めてるんだよ」
「へぇ、相変わらず仲いいねぇ」
「別に?」
「マジで最初の純粋有流くんが恋しい」
「別にやろうと思ったら行けるよ?…ミカさん」
俺は甲高い声を出した。
「…演技力すげぇ」
那由多がそう呟く。
「渚にはこのままなんだけど…言わねぇといけないよなぁ」
「そう言うのは早めに言わないとダメよ」
「そうだよな〜…」
すると那由多が急に立ち上がった。
「渚が帰ったって。俺だけ帰っとくな」
「いや、俺も帰るよ」
「大丈夫。まだ話し足りないことあるんだろ」
そう言って那由多が帰って行った。
「…そういえばさ、俺のこの殻を見破った子がいてさ。なんと、」
そこまで言った時、ドアが開いた。
「早くノロノロして陽毬、あんたってほんとトロいよね」
そう聞こえて見てみると、4人の女子だった。
真ん中に見えるのはまさかのあの女子高校生だった。
「佐伯、さん…!?」
まさかだ。
もう会う機会はないと思っていたのに。
…それもここで会うなんて。
「そこの、同級生?」
「え、あ、はい」
女子高校生はそう答えると周りの3人がコソコソ言い出した。
「何正直に答えてんのよ!」
「ミカさん、コイツら高校生ですー」
「え?知り合い?…ごめんねぇ、19歳以下の入店は断らせてもらってるの。お引き取り願います」
ミカさんの言葉に渋々下がっていく女子高校生。
「ちょっと待て」
俺の言葉にビクッとした4人。
「あーあ、めんどくさいことになっちゃった」
ミカさんは呟いた。
「その3人、その女子高校生とどう言う関係?」
「どう言う関係って…、と、友達ですけど…」
「あからさまに反応からして違うだろ。って言うか、高3じゃないの?こんなことしてていいわけ?」
3人は俯くなり、視線を逸らすなりしている。
「で、そこの女子高校生。1人だけこっちに来て。他3人は帰りな」
3人は帰って行った。
「おいでよ、こっち」
「え、でも、19歳以下は…」
「有流くんがそう言ったから仕方ない。いいよ、座って」
女子高校生は恐る恐る俺の隣に座った。
「俺と同じの出してあげて」
「はいはい」
ミカさんはせっせと準備してくれてる。
「あの、未成年ってお酒飲めない…」
「あー、これ酒じゃなくてジュース」
そう言ってミカさんが出してくれたジュースを手に取る。
「もうこの際だから聞いとくか。名前は?」
「坂倉陽毬、です」
さっき呼ばれていたのはこの子だったのか。
「ミカさん。こう言う時って、名字?下の名前?」
俺がそう聞くと、女子高校生は笑っていた。
「もう下の名前で呼んじゃいなよ」
「え、じゃあ、陽毬」
「はいっ」
なんだこれ、恥ずかしい。
俺は顔を背ける。
「なんでここに来たの?」
「…それ、は…」
「何も言わない…、とは言えないけど言ってみなよ」
少し沈黙が流れた。
「…今日…、無理矢理連れてこられて…」
「何、いじめられてるの?」
「いじめられてるわけじゃない。私がただ断れなかっただけ」
「でもさっきの取り巻きの言葉は?」
「あれは…、私の行動が遅かっただけ、です」
陽毬は何かを錯覚している。
「あのな、それはいじめられてるんだよ」
「え…」
「断れなかった、って言ってるけど。ここに来ること自体がおかしいから」
そうはっきり言ったのに陽毬はまだ言い続ける。
「でも、閉じ込められたり、水をかけられたりはしてない…」
「それは、典型的なもの。あの言葉だって、普通にいじめの部類に入るでしょ」
そう言うと、黙り込んでしまう陽毬。
「戸波高校だっけ」
「はい」
「戸波高校行ってるの!?」
ミカさんが飛び出してきた。
「え、もう戸波高校って復興したの?」
「復興って、大袈裟な」
でもまあ、ボスが散々やったとは聞いたけど。
都合がいいのはいいのか。
「その、佐伯さんだったらどうします?」
そう不意に陽毬に聞かれる。
「え…」
「いや、俺のは参考にならない…」
「確かに、有流くんのは…うん」
ミカさんがカウンターのところにやってきて言った。
「有流くんって…」
「え、待って。もしかして名前知らない?いお、」
「佐伯な」
「ん?あー…、はい。こちら、佐伯有流くん。お酒は飲める年齢だけど、あえて飲まない」
「最後のいらないだろ」
ミカさんは何を言っているのだか。
「あなたも下の名前で呼ばれてるんだし、呼んじゃいなよ。有流さんって」
「有流、さん」
少し戸惑いながらもそう呼ぶ陽毬。
那由多がいなくてほんとによかった。
後で尋問されるどころじゃあ済まない。
「ほら可愛い〜!」
遊ばれてるよ。
「戸波高校の先生って、どうなの?」
「ど、どう?」
「先生が頼りになるなら絶対言ったほうがいいし。ダメだったらいじめセンターみたいなのがあるじゃん。そこに連絡したほうがいい」
こういうところはちゃんとしている。
俺はジュースを全部飲み干した。
「ってもう7時じゃん!早く帰りな!有流くん送って行ってあげて」
「あのさ、ミカさん。夜遅くに俺がそんなことしたらどうなると思う?」
「ばっかねぇ。有流くんがそんなことする人間じゃないから言ってるんでしょ」
「時に人は理性が外れるんだよ。…まあ、俺はそれをする度胸がないだけだけど。陽毬、帰ろ」
「あっ、はい!」
俺と陽毬はミカさんのバーを出た。

「陽毬って家どこ?」
「えっと、」
「あ、終電か」
「はい」
そうだった。
俺は始発電車で陽毬と会ったんだった。
と言うことは俺の家と近いのか。
俺と陽毬は暗い路地を歩く。
「あの…」
急にそう言ったからびっくりした。
「ありがとうございました」
「何が?」
「同級生に言ってくれたこと」
陽毬にとって大きいものだったのだろうか。
「でも、これからまた俺のせいでなんか言われるかもよ?」
結局、俺のしたことって一時的なもので、これからのことを考えない言動だった。
咄嗟に出たのがあの言葉だった。
俺はカードをかざしてホームに行く。
ホームにはたくさんの人がいた。
「置いていかれるなよ」
「行かれないです」
陽毬は目を離したらすぐにどこかに行ってしまいそうで怖い。
「袖、掴んでてもいいですか?」
そう言われてびっくりした。
「いいけど」
そう答えると俺の左袖をぎゅっと掴んでいた。
何これ、可愛い。
不覚にもそう思ってしまい、びっくりした。
俺と陽毬は電車に乗った。
どうしたもんかな。
電車の吊り革に捕まって考える。
目の前に座っている陽毬を見ると目が合ってしまう。
陽毬は慌てて目を逸らした。
俺の何を見ていたのか。
『終電・左山〜』
そうアナウンスがあり、数人の人が降りた。
そしてあとは歩きだ。
「あの、また会えたりしませんか」
そう言う陽毬。
「…んー、俺個人は別にいいけどさ…」
やっぱり、陽毬に危害を加えるわけには行かない。
「俺に関わらないほうが身のためだと思う」
「えっ」
「俺は陽毬みたいなこれからの将来があるわけじゃない。って言うかもう終わりだよ」
「なんで、」
「陽毬にも迷惑はかけたくないから、な」
俺はそう言って陽毬を家に送って帰った。

「有流!なんでこんな遅いんだよ!」
帰ると渚が1番にこう言った。
「渚、話したいことがある」
「え、有流、喋り方…」
俺は那由多が夕食を出してくれたのを食べながら俺は渚に話す。
「やっぱ、ダメだわ」
「何が?」
「俺はやっぱりこっちなんだよ」
「…うん」
「…あー、ごめん。言い方間違えた」
俺は渚に性格のことについて話し、渚はそれを理解してくれた。
「ごめん、渚を混乱させたくなくて」
「いや、うーん。まあ、そっちの方が自然なのは自然なんじゃない?…俺が慣れるのはもうちょっとかかりそうだけど」
やっぱりそうか。
ずっと一緒にいるから急に変わると戸惑うよな。
「うん。でも話してくれたからもう大丈夫」
「ん」
「…これは彼女ができるのも早まった気がする…」
「俺もそう思った」
渚と那由多の呟きに陽毬のことが頭に浮かび上がったのは気のせいとして置いた。

あれから数週間、陽毬と会っていない。
まあ、迷惑もかけなくて済むし。
俺のことも知ったら俺も陽毬も危ない。
どう言う距離感を保つべきか。
「有流〜、明日戸波高校行ってみない?」
そう言ってきたのは渚だ。
「なんで戸波高校?」
「明日オープンスクールなんだよ。…ボスがいたところ、ちょっとみてみたい気がしない…?」
そう言われると心が揺らぐ。
でもそれは過去のことだ。
…でも…
「行く」

と言うわけでやってきたわけだけど。
戸波高校には陽毬もいるわけで。
あったら超絶気まずい。
「そう言えば、輝緒も咲良もここ出身なんだよな?」
「らしい。…俺も入ってたら何か変わったかな…」
珍しく落ち込んでいる俺の肩をポンポンと叩く。
「それは過去の話。いくら後悔したって未来には必要ない」
そう言われ、そうだよな、と返事し、戸波高校の校舎へ足を踏み入れた。
少し回ったあと、渚に校長室の前に連れてこられた。
渚はドアをノックして、
「失礼します」
と声をかけ、ドアを開ける。
俺も慌てて入った。
「渚、何するんだよ」
「事情聴取に決まってんだろ」
…元々これが目的だったな。
「佐伯さんと天月さん。ようこそいらっしゃいました」
天月…?
と思ったがすぐに渚の偽名だと分かった。
校長はこちらの事情を知っているのか知っていないのか分からないけど、ニコニコの笑顔だった。
後ろの女教師は無表情だけど。
お茶まで出してくれている。
「座りな」
そう渚に言われて椅子に座る。
渚も座るのかと思ったが、後ろに立って座らなかった。
「天月さんも、お掛けになって」
「いや、俺は大丈夫です」
「…そうですか」
俺は膝の前で指を組んだ。
「今から…、3年前」
そういった瞬間、校長の笑顔が消えた。
ことを察したのだろう。
「2年生に華宮涼馬と言う生徒がいましたね?」
「…ああ」
「だけど、事件を起こした」
この事件のことは輝緒と咲良に聞いた。
「間宮花蓮と一緒に、凶器を持って不審者と争っていた」
「…」
校長は黙り込む。
「その時、措置はどうされましたか?」
「…教頭が、止めに入った」
「それだけですか?」
「ああ」
この学校はどうにかしている。
なぜ咄嗟の行動ができないのか。
「華宮涼馬は普通の高校生ではありません」
「は…?」
「校長は、ファラ・リヴェリという人物をご存知ですか」
校長の顔色が一気に悪くなった。
「華宮は、」
「ファラ・リヴェリです」
後ろの女教師も口元を押さえていた。
「ここで告白するのもなんですが、ファラ・リヴェリのすぐ下の者です」
俯いていた校長は俺らを見た。
「君らは、」
「専ら人殺しですね」
ますます顔色が悪くなる。
「そんな校長に1つお願いがあります」
「…なんですか」
「当時の、ファラ・リヴェリについて聞きたい。ただそれだけです」
「ここで私が話さなかったら、どうするんだ。命、は、ないのか」
声が震えている。
ちょっと悪いことをしたな。
「俺はファラ・リヴェリのその時の様子について聞きたいだけです。ついでに間宮花蓮についても教えていただけると嬉しいですが」
「そしてこの件については秘密にしてくれたら、何もしませんよ」
渚が後ろから追い打ちをかけた。
「すみません、2つのお願いになってしまいましたね。どうか、お願いします」
俺は校長に向かって頭を下げた。

校長はいろいろなことを話してくれた。
ボスは爽やかな人で文武両道だったこと、間宮花蓮とは少しずつ関わりがあったこと。
得られる情報が少なかったものの、収穫できただけで嬉しい。
「私が知っているのはこのくらいしかない。なんなら同級生を呼び出すが」
同級生を呼び出したとして得られる情報はもうないだろう。
なんたって、ボスは絶対に同級生なんかに必要以上に関わらないからだ。
「ありがとうございました。すみません、脅しまでかけてしまって」
「いや…」
校長が戸惑っている。
「あ、あともう一つ」
俺がそう言うと、校長はビクッとした。
「えっと、高校3年生の、坂倉陽毬さん」
「彼女がどうした」
拍子抜けしたように言う校長。
「に、取り巻いている3人組の女子を知りません?えっと、ポニーテールとボブとミディアムの」
「予想はつくが…」
「その3人組、先日バーに来ていたんですよ」
「…そうですか」
「その3人はどうやら坂倉さんに危害…、かは分かりませんが、いじめもどきをしているようで」
いつの間にか横にいる渚は聞いたことない話に目を泳がせていた。
「厳重注意をお願いします」
そう言うと、校長は俺の目をしっかり見てこう言った。
「あなたは犯罪に手を染めている。なぜそこを注意するんですか」
よく言われることだ。
「…俺が…、前まで純粋だったから、ですかね!」
そう言うと、校長も女教師も目を見開いていた。
「もちろん、生徒に手は出さないんで、ご安心を」
「ああ、はい」
そう言って校長室を出た。

戸波高校の校舎を出て数分。
渚が俺に話しかけてきた。
「坂倉…、陽毬?誰それ」
「最近会った子」
「…っ、有流!それ俺知らないんだけど!」
「那由多にも言ってない」
「なんで話さないの」
渚が珍しく俺を問い詰めている。
「最初はもう会わないだろうと思って言わなかった。けど、バーでもう一回会ってさ」
「『これは運命だ』とか言うなよ」
「誰が言うか」
2人で笑った。
「有流ってさ、将来どうすんの」
唐突な質問だった。
「どしたの」
「いや、俺はこれからどうすればいいのかなと思ってさ」
そうだ。
これは渚も那由多も俺も、輝緒も咲良も考えていることだと思う。
「このまま生きていていいのか。いや、生きてちゃいけないんだよな」
「でも、俺らは出頭しないって決めた」
「そうだけど」
いつもズバズバ言う渚が戸惑っている。
「警察に見つかったら一発で死刑だから。見つかるまで大人しくしてよーぜ」
「語尾が有流らしくない」
人がせっかく元気づけてやったのに。
「でもま、彼女できたら言えよ」
「俺にできると思うか?」
「別にできそうになかったら言わねーよ」
いや、そうでもないと思うけど。
「もし彼女ができたとしても、長続きしないし。俺に人を好きになるという概念はないし」
「そうでもないけど」
そう後ろから声がして振り向くとそれは那由多だった。
買い物袋を持っているから、買い物帰りだろう。
「びっ、くりした…」
「なんか、落ちてんだよ。いつの間にか。その人しか見れなくなってる」
経験者の言葉だ。
なんとなくそうなる気はする。
…”気”は。
「今日はビーフシチューですけど、パンがいい?ご飯がいい?」
そんな話をして家に帰った。

「有流さん!」
そう言って近づいてくるのは陽毬だった。
「俺に近づくなって」
「…何を言ってるんですか?私たち、結婚しましたよね?」
結婚…!?
俺がするわけがない。
でも自分の指を見てみると、指輪をしている。
どういうこと…!?

俺がパチっと目が覚める。
…夢かい。
ってなんか変な夢だったなぁ。
「有流〜、買い物行こ」
渚がそう言ってきた。
「いいけど」

てなわけで俺は渚と買い物に向かった。
「お、これ良くね?」
そう渚がとったのはタンブラーだった。
「俺明日誕生日なんだし。いいよな、これ買っても」
「お好きなものをどうぞ。買ってやるから」
「…マジ!?」
渚が目を輝かせた。
渚と誕生日と言うことは、俺も明日一緒に飲むことになる。
「ねぇ、那由多のも買っていい?」
「いいよ」
渚がわくわくしているのは珍しい。
「有流、あれどうする?」
渚が指を指したのは、男女数人だった。
戸波高校か。
「え、あれがどうしたんだよ」
「よく見てみると、不穏な感じがしない?」
俺がどうこうする話じゃない。
そう言って聞き流そうとした。
が、あるものが目に入っては、通り過ぎることができなかった。
「あれ、有流!?」
俺はその塊に向かって歩き出した。
「面倒ごとは起こさないほうがいいと思うよ〜?」
そうにょきっと顔を出す。
本性を出して言うものでもない。
「な、なんだよ」
「校長先生にも言ったんだけど、浸透してない?いじめと勘違いされるものはやめておいたほうがいいよって」
そう言うと後ろから服を引っ張られた。
「そんなに突っ込まなくて良いって」
渚だ。
「うわっ」
そう言うと周りの高校生は笑い出した。
「だっさ」
そう言われて、ちょっとムカついちゃったわけで。
「有流、何も手出すなよ」
「承知の上」
「うん。…っ、は!?承知の上ってなんだよ!?」
俺は真ん中にいた陽毬の手を引っ張った。
「わっ」
「大人を揶揄うんじゃねーよ、クソガキどもが」
「っ、は?」
そう言い捨て、少し離れた場所に行き着いた。
「俺って高校生の時あんな生意気だったっけ」
「いや、有流は例外」
「ってか、大人とか言ったけどマジで歳あんま変わんないし。はず…」
俺がそう言うと陽毬は笑った。
「陽毬も殴る勢いで言い返せばいいのに。ワンチャン、手出しても正当防衛ってなるんじゃないん?」
「有流、女子高校生になんてことを教えてるんだ」
渚が突っ込んできた。
「ありがとうございました」
陽毬は少し微笑んで言った。
「何度有流さんに助けられていることか」
「…待て待て待て。有流さん?陽毬?俺その関係知らない」
「渚は黙っとけ」
「黙っとられん!」
「お前は彼女か!」
「違うわっ!」
そう強く否定されるとそれはそれで傷つく。
「ミカさんだよ」
そう言うと渚は一瞬でおとなしくなった。
「ミカさんか。うん、ごめんなんでもない」
これほど影響力を与えるのか、ミカさんは。
「陽毬はこれからどこに行くところ?」
「あ、もう帰るところです」
「有流、もう時間がない」
送って行こうかなって思ったけど…ダメか。
「じゃ、またな陽毬」
「あっ、はい!」
そして渚と一緒に歩く。
「有流。あんまりあの子に深入りするんじゃねーよ?」
「分かってる。結局この関係も長くは続かねぇよ」
「そんならいいけど。自分の立場が分かってるようだしな」
渚が言うことは分かっている。
理解もしているし、そのように行動している。
だけど。

もう手遅れかもしれない。

俺は久しぶりに5時の始発電車に乗った。
別に用事があるわけではない。
ただただ、気分というか。
朝早くに出かけたかっただけ。
「あれ、有流さん…?」
陽毬だ。
「珍しいですね?」
「まあ、な」
なんだろう。
なぜか緊張してしまう。
「お隣失礼します〜」
そう言って隣に座る陽毬。
「ふっ、有流さん。後ろちょっと跳ねてますよ?」
「…え?」
そう言って俺の方に手を伸ばす陽毬。
後ろの髪の毛を触った。
元々あんな世界にいたからか、人に体を触られるのは得意じゃない。
だけど、なぜか陽毬にはそういった感情を抱かなかった。
「あ、あれ、直らない…、有流さん結構癖っ毛ですか?」
「いやそんなことないけど?」
「ははっ、いつもの完璧感がなくて違和感があります」
そう笑う陽毬。
綺麗に笑うな。
その瞬間、俺の心臓はぎゅっと締まったように痛くなった。
「有流さん?どうしたんですか?」
「なんでもない」
陽毬の方に手を伸ばして、手を掴む。
なんだ、この感情。
抱いたことがない。
「本当に大丈夫ですか?しんどそうではないですけど…」
そう言って心配してくれる陽毬。

そうか。
そうだ。


俺は、陽毬が好きなんだ。


「あっ、ごめんなさい。もう降りないと。じゃあ、また」
そう言う陽毬の腕を掴んだ。
俺はその腕を引き寄せてそっと陽毬のおでこに唇を当てる。
全くの無意識だった。
「…っ、え?」
「ごめん」
陽毬は閉まりそうなドアに向かって走っていった。
何人か人が入ってきた。
俺は何をしているんだ。
背もたれに寄り掛かって手で頭を押さえた。
「バカか」
そう呟いた言葉は電車のアナウンスにかき消された。
陽毬のことを思うと、また胸が苦しくなってしまった。

いいか、俺。
自分の立場を弁えろ。
渚にも散々言われてきただろう。
誤っても女子高校生に手を出すな。
俺は一般人じゃない。
死刑になるだろう人間だ。
自首しないんだからもっと悪い。
そんな俺が純粋な学生と隣にいることができると思うか?
できるわけがないだろう。
もう、陽毬に関わらない。
陽毬と一緒にいても迷惑をかけるだけ。
もう、離れよう。
「有流。何を1人でぶつぶつ言ってんだよ」
渚に聞かれていた。
「陽毬って聞こえたけど、まさか、」
「もう関わらないって決めたんだよ」
俺の声は少し怒っていた。
それと同時に、泣きそうでもあったのだ。
「…そう。…違ったらごめん。その、有流の気持ちはどうするの?」
渚は…、俺のことをよく分かっている。
「諦める、その1択以外あると思うか?」
「まあ、そんなトゲトゲするなよ」
それができたら苦労しない。
自分の気持ちがコントロールできないから俺はこんなに怒っているんだ。
「陽毬に別れを告げる。…俺の気持ちが爆発する前に」
そう言ってその場を離れた。

「陽毬」
俺は5時の電車に乗った。
もちろん、平日だから陽毬はいた。
「なんですか?」
「もう、俺を見つけても話しかけるな」
「え?」
陽毬は呆然としていた。
「ま、前は個人的にはいいって…」
「よくないから言ってる。じゃあ」
俺は電車から降りた。
我ながら酷い別れ方だった。
いや、どこから見ても俺は醜い人間だ。
でも、そうでもしないと俺の未練が残る。
これでいいんだ。
いや、こうしなきゃダメだったんだ。
「陽毬…」
俺は駅のホームを歩いて、いつもより近場の駅周辺に出る。
今はあまり人がいない。
狭い道路に入り、地べたに座る。
自然と、涙が出てきた。
最初はこんなはずじゃなかった。
俺は渚と那由多で一緒に生きていくと思ってた。
でも。
陽毬がいないと、本当の幸せは掴めない気がする。
「あれ、もしかして」
そう上から女性の声がした。
聞き覚えのある声だ。
「有流」
顔を上げると、菜乃花と沙都くんがいた。
「お前が泣いてるなんて珍しいじゃん」
「うるさい…、っ!」
しゃがんで俺の目線に合わせてくれた沙都くんに抱きつく。
俺らしくない。
「どうしたんだよ」
「俺がしてきたことは全部間違いだった」
「急になんだよ」
「俺がもし、あの日公園に1人で行かなかったら。俺がアクセルに入ってなかったら!」
「有流」
そう菜乃花が低い声で言う。
ついでに俺の頬を左手で力一杯つまむ。
普通に痛い。
「過去のこと言っても何も変わらない。これは有流が言ったんじゃないの?」
そうだ、俺はそんなことも言っていた。
「…あーっ、ったく何してんだよ俺」
やっと我に帰った。
「沙都くんも、マジで急にごめん」
「お、おう」
大丈夫だ。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
俺は大丈夫。
「久しぶり」
「立ち直り早いな」
菜乃花がさすが有流、と少し笑いながら言う。
「あのさ、菜乃花。3年前の伝言があるんだけどさ」
「誰の?…涼?」
「そう。その前にちょっと確認。お2人はもしかして付き合ってたり…」
「するで」
そうか。
やけに距離が近いと思った。
「菜乃花、ちょっと耳貸してもらえる?」
俺は涼くんの伝言を渡した。
その言葉を聞くなり菜乃花はびっくりした。
「…マジのマジの大マジ?」
「なんだそれ。本当だよ」
「なんや、2人で!俺にも教えてーや」
沙都くんが口を尖らせて言う。
「沙都くんは嫉妬するだろ。わざわざ言わないで言ってあげてるんだよ」
「…そう言うことか」
するとスマホが鳴った。
何かと思って見てみれば渚だった。
…心配してくれてるのか。
「ごめん、渚が心配してるわ。そろそろ帰る」
「天馬と住んでん?」
「うん、後那由多。分かる?燦爛のハッカー」
「燦爛!?大丈夫?上手く行ってる?」
「大丈夫」
そして2人と連絡先を交換し、その場を離れた。

あれから…、1ヶ月が経った。
最近の俺の情緒は不安定だ。
陽毬にも、会っていない。
って言うか、ほとんど家から出ていない。
「有流。そろそろ外に出て来い」
那由多がそう言った。
「嫌だ」
「今お前惨めだよ?」
そう言われてカッとなった。
「分かったよ」
那由多の表情は上手くいったとでも言ったような顔をしていた。
「有流〜、ってパジャマじゃない!?」
渚がびっくりしている。
まあ、1ヶ月ほぼほぼパジャマだったからな。
「有流、ちょっと将来の話をしよう」
有流が着替えた俺の前に座った。
「今俺らは通信制の高校に通っている」
「ああ」
「卒業したらどうする?」
…今思った。
もう、何もかも遅すぎると。
俺は…、どこまでゴミなんだ。
「待って渚。どうしよう俺。陽毬とかなんとか言ってる場合じゃない。自分のことがまず出来てない」
俺は泣きそうだった。
「有流。大丈夫、落ち着け」
渚が俺を宥める。
「まず、今の高校の中で出来ることを全部やるんだよ。学業はもちろん、会いた時間でバイトも」
俺は今何もしていない。
ニートだ。
「規則正しい生活を送ってたらそれなりの自信はついてくるだろ。で」
渚はちょっと真剣そうな顔をした。
「卒業したらどうする、か」
「普通だったら大学に進むか、就職だよな」
「俺らに大学に進む金はあるか?」
そんなもの、あるわけがない。
「就職だ。今のうちから検討をつけておかないと」
そっか。
今のうちでもやれることはあるんだ。
「忙しかったらその女のことも忘れるだろ」
「うん」

それから俺は、勉強もバイトも本気でし始めた。
那由多は就職しているものの、定時に帰ってくる。
パソコンの使い方は分かりきってるからだろう。
バイトから帰ってくると、那由多の美味い夕食が待っている。
今日、渚はシフトをもう1コマ入れたので帰りは遅い。
「有流、なんか成長したな」
「言うことがおじさん」
「誰がおじさんだ」
那由多は今24歳。
…まだお兄さんか。
「有流は就職先決めた?」
「うーん、普通に食品メーカーかな。考案するのも面白そうだし」
「なるほど。大規模を収めた有流だからな。そのうち社長になったり?」
「そんなことできるか」
高卒でできるわけないだろ。
「俺はそこでもう一生懸命働いて、30にも40になってからでも大学に入る」
「渚は?」
「渚は…、うーん。渚こそ大学に入るんだと思う」
「なんでそう思う?」
「渚は俺とずっと一緒にいる。サポートもできるし、元々渚がボスになる予定じゃなかったのかなって。発言力も、影響力も、渚に潜んでいる能力はすごいと思う」
「さすが、ずっと一緒にいるだけあるな」
そう言われると照れくさい。
「渚の名前は流出してない。事実は変えられなくとも、どんな形であれ、『幸せ』を掴み取って欲しい」
「結婚、とかか」
「俺はな、できるわけがないよなっ」
「なんでだよ」
「身の回りに佐伯有流って名乗ってる。インターネットで調べたら一発で出てくるよ」
「本名があるじゃん」
「そんなの簡単に教えられるか」
俺に誰だって警戒心を抱かないことはない。
無理だ、誰かを信用するなんて。
「那由多も。何かしたいことがあったらなんでも言って。俺と渚のせいで我慢させたくない」
「俺は…」
何かを言うのかと思って息を呑んだ。

「俺はここを出て行かない」

「…、え?」
「俺は何があろうと出て行かない。結婚だって、来世の来世くらいは待ってやる」
そうか。
那由多には決めた人がいるんだ。
「せっかく有流に拾って貰ったんだし。それなりの俺はさせてもらわないと」
「そうか」
そして、少し満腹になったはものの、缶を開けて渚が帰ってくるまで那由多と飲み明かした。

卒業まで、残り1年。
時は経った。
勉強もバイトも順調だ。
俺は…、22歳だ。
今年で23歳になる。
輝緒と咲良はもう大学を卒業した頃だろうか。
陽毬は…、大学生か。
会いたい。
久しぶりにこう思った。
どこだったっけ。
もう1人暮らししてるか?
いや、あの頃の雰囲気だけでもいい。
そう思い、休日の昼頃に陽毬の家を訪ねた。
良かった。
変わってない。
隣の家の人が庭掃除をしている。
この家、よく植物が植えてあるな。
そう思った瞬間、隣人の主婦と目が合った。
その一瞬で悟る。

「母さん…?」

記憶の母さんと一緒だ。
顔も雰囲気も、全部。
手を止めてこっちを見る母さん。
「母さんってことは…、有流!?」
庭のドアを開けてこっちに来た。
母さんは俺をしっかりと抱きしめる。
「有流、なのよね?」
「ああ」
「本当にごめんなさい。私たちが目を離してなかったら…!有流はこんなことには…!」
「いや、勝手に出て行った俺が悪い」
「そんなことない!」
母さんは余計な責任を感じている。
どれもこれも俺のせいだ。
「とりあえず入って。お父さん!来て!」
玄関からそう呼ぶと、父さんらしき人がこっちに来た。
「どうしたって、その子は?」
「有流よ!」
「…有流!?」
父さんはこっちに来た。
「お前、本当に有流か?」
「五百雀有流、間違いない」
そう言うと父さんも俺を抱きしめた。
「有流…っ!知らない間に大きくなって…!」
確かに父さんだ。
よく小さい頃は抱っこされてたな。
「覚えてる?父さんだよ」
「忘れてるわけないだろ。俺を何歳だと思ってんだ」
「…え?有流、お前今何歳だ」
「22だよ」
「22か!じゃあ父さんと一緒に飲めるな!」
「ちょっと!お父さん今日はお昼から飲んだでしょ!ダメよ」
「有流との再会記念ってことで。許してくれ」
「…今日だけよ」
こんなやりとり…、前もあった気がするな。
2人とも、今でも仲がいいんだ。
俺が家の奥に行くたびに思い出が蘇ってくる。
「有流、今までどうしてたか、教えてくれ」
そうだ。
俺は父さんと母さんに1番言わなきゃいけないことがある。
「父さん、母さん。これから話すのは冗談でもなんでもない。事実だけを話すからよく聞いて」
「どうした、そんなに改まって。結婚か?」
「いや、違う。俺が犯した罪のこと」
そう言った瞬間、空気が凍りついた。
できるならここから離れてやりたい。
でもダメだ。
俺は、逃げない。
「父さん、スマホって持ってる?」
「ああ、持ってるけど」
「佐伯有流って検索してみて」
フリック入力にまだ慣れていないのか、ゆっくりと文字を入れる父さん。
「…っ!アクセルって」
「それが俺だよ。俺は何人もの人を殺した」
そう言うと、母さんの目から涙が溢れてきた。
「アクセルになんで入ったのかは覚えてない。だけど、勘違いしないでほしい」
俺は涙が出そうになったが必死で堪える。
「俺はこの10年間、いい仲間と会った。悪友じゃないよ、ちゃんとしたいい仲間。アクセルなんだけど」
「どんな仲間なんだ」
父さんは少し笑ってこう言った。
「みんな、優しいよ。人のことを考えることができる。俺の親友もいるよ。一個下の渚ってやつ」
「渚くんか?」
「うん、天馬渚。調べてみても俺ほどは出てこないと思う」
そう言うと、父さんは調べ始めた。
「てんまなぎさ…、うーん。俳優だけだけど」
良かった、漏れてないんだ。
「ねぇ、有流。あなた、裏社会トップって…」
その情報どこから取ってきたんだよ、そのサイト。
「ああ、それも事実」
「想像がつかない」
俺は一息飲んでこう言った。
「俺は、自首しないことを決めた。俺は…、捻くれているから」
「捻くれてるって…」
「でも、アクセルを、いや、裏社会を壊してもう俺は何にもしない。ただ、捕まるのを待つだけ」
「有流…」
父さんが悲しそうな顔をする。
「だからこそ言う。俺は、父さんと母さんに迷惑をかけたくない。このまま2人で幸せに生きてほしい。だから、」

「俺と、縁を切ろう」

2人の顔が青ざめた。
「何を言ってるんだ!そんなことできるわけないだろう!」
父さんがそう怒鳴る。
「法的にはダメでも、親族を見つけるのに時間稼ぎ程度には大丈夫じゃないかとは思う」
「だからと言って、」
「分籍しよう」
沈黙が訪れる。
「有流。有流は私たちが嫌い?」
「そんなわけない。大好きだよ」
そこまで言うと、母さんは俺をまた抱きしめた。
「有流の失踪事件には私たちの責任もあるの。そうなった時には有流のためだったら全財産払うし、私も一緒に責任をとる。父さんも、そうでしょう?」
「ああ。俺は死んでも有流と繋がりがなくなるのは嫌だ」
父さんもこっちにきて俺の頭を撫でる。
「やっぱり、俺は…、父さんと母さんの子供で良かった」
涙を流してしまう。
母さんも父さんも俺を抱きしめる。
数分した後、インターホンが鳴る。
「失礼します〜、隣の坂倉です〜」
そう声がして、母さんがインターホンに出てドアを開ける。
「陽毬ちゃん!今日もありがとうねぇ」
「いえいえ。今日はですね、にんじんと玉ねぎです」
「大学も忙しいのに…、また今度カフェでも付き合って。もちろん、奢るから」
「ふふ、楽しみにしてます」
俺がドアの方に行く。
そこには、ずっと会いたかった、会いたくてしょうがなかった人が。

陽毬がいた。

俺は陽毬のところまで走って、力いっぱい陽毬を抱きしめてやる。
「あ、有流さん!?どうしてここに…」
「そう言うことか」
後から来た父さんの声がした。
「有流。父さんたちの話は終わった。陽毬ちゃんと話してきな」
「ああ」
俺は陽毬の手を引いて、誰もいない路地裏に来た。
「…ふう…」
あんな最低な別れ方をして、何を言おうか。
「陽毬、だよな」
「はい」
あの日会った時と雰囲気が違う。
大人っぽくなった。
「何から言えばいいのか分からない。でも、最初に言うべきことだけは分かってる」
俺は陽毬と目を合わせて勇気を出し、こう言った。

「陽毬。あの日は酷い言い方をして、ごめん。ずっと反省してた」

陽毬の表情は緊張していた。
「俺が本当はなんなのか、長いけど聞いてくれる?」
「はい」
俺は陽毬に全てを話した。
俺がアクセルに入ってたこと、今の状態など。
「本名は佐伯じゃなくて、五百雀。500に孔雀の雀」
「五百雀さん。…そして、映美華さんと昊さんが、」
「実の親だ。…って言っても、さっき10年ぶりに会ったばっかりだけど」
陽毬は俺に対しての目が変わらない。
批判する目なんかじゃない。
「陽毬は、俺が怖くないの?」
「思っていた人とは違いました。…いや、悪い意味じゃなくて」
陽毬は垂れてきた長い髪を耳にかけて言う。
「有流さんは本当に優しい人であることには変わりはなくって」
「…」
「今こうしている時にも、有流さんのそんな気配は感じません」
どんだけいい人間なんだよ、陽毬は。
「俺の全部を踏まえて聞いてほしい。もちろん、こんなことは許されないってことは重々承知だ」
「はい」


「俺は、陽毬が好き」


そう言った瞬間、陽毬の目から涙が溢れてきた。
「ど、どうした」
「ごめんなさい。そんなこと言われるとは思ってなくて」
両手で涙を拭う陽毬。
「私も、会った時からずっと有流さんが好きです」
俺はその言葉を聞いて陽毬を抱きしめる。
こんなに嬉しいものなのか。
「ごめん、俺の過去がある限り陽毬とは一緒にいることはできない」
陽毬から身を話す。
「私に、迷惑がかかるからですか?」
「…うん」
図星で発した言葉が弱くなってしまう。
「私は、どんなことがあろうと、有流さんのそばを離れません。もう成人してますし、お酒だって飲めます。自分の責任は自分で取ります。だから、」
ハキハキと言う陽毬。

「どうか、私を有流さんの側に置いていただけませんか?」

なんで、こんな欲しい言葉をくれるんだろう、陽毬は。
「俺がもし、警察に見つかった時、陽毬も巻き込むかもしれないんだよ?」
「有流さんのためにならなんだってします」
「いいんだな?」
「いいんです」
そう言った陽毬の決心は硬そうだった。
俺はそっと、陽毬の唇に自分の唇を落とす。
「有流さん、大好きです」
俺はこう言われた時、思った。

何があろうと、陽毬だけは守っていこうと。


この決心は40年、俺が死ぬまでずっと思っていたことだ。

End.(2/9 19:36)