「雅《みやび》!!」

 突然店内に響いた大声に、夢香は涙を拭うことも忘れて声のする方を振り返る。そこには、少し焦った様子の龍青が調理場の入り口に立っていた。隣には桜の姿がある。

「龍青!遅いじゃないか、妾のタルトはできたのか?」

 雅と呼ばれた女は先ほどとは違って嬉しそうな表情で龍青に近づくと、その腕に抱きつくように体を寄せようとした。
しかし、龍青はそれを軽々しく交わすと、雅の腕を掴んで店外へと出ていってしまった。
 残された夢香は呆然としたままその場に立ち尽くす。

「松木!」

 昴が何事かと慌てて夢香に近寄る。どこか心配そうな表情に夢香は情けなく微笑む。

「ずばるぐん…」

 ほぼ何を言っているかわからない、夢香に昴はひとまずハンカチを渡す。

「あの女に何かされたの?」

昴は怖い顔で尋ねる。

「何かっていうか…、私も何がなんだか…」

わからないー。

 自己紹介をしただけなのに、頭を下げた途端、心無い言葉を投げかけられたのだから理解出来ないのも無理はない。夢香はしゃくりあげながら、ハンカチを目元に当てる。

「ごめんね、松木さん…、私もびっくりしちゃってどうしていいかわからなくて…」

 高橋が申し訳なそうに頭を下げる。桜も同様に、「龍青を呼びにいったんだけど、中々私の話に耳を傾けなくてさ…」と申し訳無さそうに謝罪した。

 その後、一茶の計らいによりその日は昴と共に帰宅する事になった。帰り際、久々のバイトも散々であったことに夢香は溜め息を吐く。

「んな、落ち込むな。今回のはあの女が悪りぃ」

 昴はどこか、明後日の方向を向きながら声をかける。直接目を合わすのが気恥ずかしいのだろう。

「あの人…、本当に龍青さんの婚約者なのかな…?」

 あの感じだと雅の方が龍青に熱を上げているのは何となく理解ができた。

「さぁ?まぁでも、性格悪い同士お似合いかもな」

昴はさして興味無さそうに答える。

「そうだね…」

 正直、龍青の事を悪く言うのは気が引けたが、思考の働かない今は素直に認める事しか出来なかった。