「し、失礼します…」

 夢香がキッチンへと顔を出すと、そこには真剣な表情で何やら作業をする龍青の姿があった。昴は洗い場で洗い物をしているらしい。意外にも静かな調理場の風景に夢香は驚く。想像では昴と龍青が歪みあっている絵が頭に浮かんだが、そんな事は全く無かった。

「あ、あの、龍青さん。桜さんからお願いされた物なんですけど…」

「…」

「あの、龍青さん?」

 こちらの声が聞こえていないのか、龍青は何かに集中しているようだ。
 手元を覗くと、そこには丸い白餡の塊が握られている。龍青はそれをくるくると回すと、丁寧に一つ一つ切れ込みを入れていく。

「…」

みるみるうちに形を変えていく白餡に思わず見入っていると、後ろから一茶に声をかけられた。

「松木さん、今は邪魔しちゃ駄目だよ。龍青は菓子を作り始めるといつもあんな感じなんだ」

 一茶の言葉に龍青の顔を再度見つめる。いつもと違って真剣な表情のそれは、確かに女の子を落とすには充分な威力があった。何よりも手元の白餡が、綺麗な華の形を成していく事に夢香は思わず見惚れてしまった。

「松木さん?、松木さんってば」

「す、すみません…、これ桜さんに頼まれて…」

 夢香は慌てて頭を横に振ると、桜に頼まれた紙袋を一茶へと渡す。

「あぁ、ありがとう。これはこっちの冷蔵庫に入れておこう」

 指定の場所に材料をしまい終えると、夢香は遠慮気味に調理場を後にした。なんだか、想像と違った龍青の様子に夢香はほんのりと頬を染める。

「どうだった?中々絵になってたでしょう?」

フロアに戻ると、桜がニヤつきながら肩を小突いてきた。

「た、確かに素敵ではありましたけど…何かいつもの龍青さんぽく無くてちょっと…」

 いつもなら文句の一つでも垂れる龍青だが、キッチンにいた彼はまるで夢香のことなど知らない別人の様だと感じた。

「あら、あら、相手されないとされないで寂しかったりしちゃう?」

「ま、まさか!私別にそんなんじゃありません!」

相変わらずニヤニヤしている桜に夢香は反論する。

「そんなこと言っちゃってー、ねえ、実際のところあいつの事どう思ってんの?」

 桜は夢香の肩に手をかけて、顔を覗き込む。ふんわりとお香のいい香りが鼻先を掠める。

「どうって…、別にどうも」

桜の問いに夢香は困った様に眉を下げる。

「へぇ?じゃああの昴って子は?」

「昴君はただのお友達です」

「友達ねぇ」

どこか意味深に呟いた桜に夢香は思わず質問する。

「あの、どうしてそんな事聞くんですか?」

「いや、ただの興味よ」

「興味ですか…」

「龍青はさ、あんたの事昔から気に入ってるから、ちょっと気になって聞いてみただけ」

「昔から?」

 いまいち桜の言っている意味が理解できない。そういえば、龍青もよく自分のことを昔から知っているような話し方をする。今になって何故だろうと気になったが、考えたところでわかるわけもない。

「そ、昔から。まぁあんたは知らなくていいことだよ、それより…」

 そこまでいいかけて、桜は大きく目を見開いた。視線は夢香の後方へと向けられている。

「桜さん?」

 夢香も気になって後ろを振り向く。すると、そこには着物を綺麗に着付けた見目麗しい女性が、肩についた雨粒を払っている。どうやら、外は大雨らしい。

「おや、この店は客人が入店したというのに挨拶もないのかい?」

 女は夢香を見るなり、嫌そうな顔でほつれた髪を耳へとかけた。

「い、いらっしゃいませ!」

 夢香は慌てて、女に近寄る。しかし、女は夢香の隣を素通りすると桜に向かって声をかけた。

「龍青は居るか?」

「居るっちゃ、居るけど…」

 桜は困った様に視線を逸らす。どうやら、二人は知り合いであるらしい。

「はっきりせぬ答え方じゃな、まさか菓子作りの最中か?」

 とても独特な喋り方に夢香は目を丸くする。今時、「じゃ」なんて、どこぞのアニメキャラでしか聞いたことがない。

「あぁ、まぁそんなとこ。多分、今は姉さんの好きな抹茶タルトの仕込みに入ったくらいじゃないかな?」

桜の言葉に姉さんと言われた女は目を輝かせる。

「ほう、それなら妾は此処で待つことにしよう」

女はそういうと、イートインコーナーの椅子に腰掛けた。

「え、いや、それは…。ってか次来る日って来月末じゃありませんでしたっけ?」

「定例会が予想以上に早く終わってな、何、婚約者の妾が居ると不都合でもあるのか?」

 女はそういうと目を細めて夢香の方を見る。先程から何故か敵意を剥き出しにされている感じがするのは気のせいだろうか?夢香は店の片隅で小さく身をすくませる。

「いや、そうじゃ無いんだけど、姉さん来ると色々予定が…」

「別に妾のことは気にせんでよい。妾は龍青にさえ会えれば良いからな。それより、そこに居る小娘。先程からぼうっと突っ立ておるが、暇なら自己紹介の一つでもしたらどうじゃ?」

女はそういうと意地悪そうに微笑む。

「あ、えっと、松木夢香といいます!先日からこちらでアルバイトさせてもらってます!よろしくお願いします」

 突然、声をかけられた夢香は女の威圧感に押されながらも、何とか頭を下げて自己紹介をした。

「ほう、貴様が龍青を拐かした女か」

「え…」

ゆっくりと顔をあげると、女の意地悪そうな瞳と目が合った。

「わ、私そんなこと…」

「貴様は昔からいい訳がましい女じゃの」

 女はそういうと、「あー嫌な女だこと」と大袈裟に呟いた。入店早々、言葉のナイフを突きつけられた夢香は、目頭がツンと熱くなる。何故皆んな昔から自分のことを知っているように話すのだろうか…。

「お、お言葉ですが人違いです。私は龍青さんとつい最近知り合ったばかりです…」

 何とか言葉を返すも、その言葉は震えていた。あと一撃喰らえば簡単に涙が溢れ出ることは間違いない。

「最近?、まぁお主にとってはそうだろうな。しかし、龍青は遥か昔からお前のことを知っておる」

「わ、私、そんな事いわれても…」

「鬱陶しいにも程がある。お前みたいな人間の小娘が神と契りを交わそうなんぞ、身の程知らずもいいところじゃ」

「わ、私…」

「いい加減、龍青と関わりを持つのは辞めろ。さもなくば貴様の輪廻を断ち切ってやってもいいんだ」

「…」

女の悪意にいよいよ、堰を切ったように涙が溢れ出す。

何故、そんなことを言うのかー。

何故、そんなことを言われなくてはならないのかー。

何故、皆んな自分のことを知った様に喋るのかー。

「貴様は、此処にいる価値などない、さっさと消えろ」

女が最後にそう呟いた。

 先程から高橋は困惑した様子で、その場に立ち尽くし、桜はどこかへと姿を消してしまったようだ。

夢香は震える腕をギュッと握り、下を向いて大粒の涙を流す。

誰か、助けてー。