『おまえ、そろそろ、息しながらできるようになったら』
───思い出さない、思い出さない、思い出さない。
むぎゅと自分の頬をつねって、昨日の夜の記憶を精一杯ころす。手ごわすぎて、さいあくである。
「染井 紀和」
担任の先生が、健康観察でかれの名を呼ぶ。はい、と、凛とした声が返事をする。
わたしにいまもつ五億倍の度胸があったなら、「いんちきいんせきのくせに!」 という雑魚みたいな悪口くらいは言えていただろう。
「月読 椋」
「…………はい」
「月読?」
「は、い。……います。元気、です」
だけど、わたしは雀の涙ほどの度胸で、なんとかここまで生きてきた身なのである。
返事くらいはおおきな声でしろ、という顔をされているけれど、先生はわたしにつよく注意することはない。たぶん、なにをしても。
いろいろな事情は、わたしがわたしになる前からあって、それにわたしは守られ阻まれ、十七年、生きてきた。
かれとは、ただひとつをのぞいて、何もかもがちがう。
かれ。
染井 紀和くん。わたしとおなじ十七のとし。背が高くて、ほんとうにきれいな顔をした男の子。爽やかだけど、爽やかなだけじゃない。
恋愛も勉強も運動もなにもかも、ときどき隙をみせるくらいの余裕をもって、たいていのことはスマートにこなす。教室でのかれはそういう風で、上品な愛嬌と艶やかさをもって、常に、きらきら発光していた。
まぶしかった。違うクラスだったときから、時々、こっそり別世界をのぞくように見つめて、まぶしいなあと思うだけで、十分だった。
それ以外は、なんにも、いらなかった。
────それなのに。



