「すみれちゃんはともだち。別れたとかじゃないけど、すみれちゃんがそう思ってるなら、おれは、それを尊重するよ。あと、前も言った気がするけど、しばらくはいいかな」

昨日の夜と同じ声が、まったくちがう透明度で言葉をつむぐ。

暗い部屋のなか、その声が、耳元で荒っぽい言葉を吐いたこと。直接耳朶にふれた濡れたくちびる。

朝の新鮮な空気に似合わない邪悪なその感触まで思い出してしまって、耐えきれず、分厚い眼鏡越しに視線をかれへと向けてしまう。

うそみたいな、うそみたいだから魅力的になるきよらかさを、かれは、夜から朝にかけてのどのタイミングで自分にまとってみせるのだろう。

当然のことながら、目は合わない。この教室のなかで、ううん、この学校のなかに条件を広げてみても、いままで、かれと目が合ったことは一度もない。

それだけがほんとうにただしいことだ。わたしはかれの世界には存在していないはずだった。

「え、しばらくは、恋愛なしってこと?」

残念そうに尋ねるクラスメイトの女の子に、かれは、はは、と軽やかにわらう。

「べつに、おれ、そんなに恋愛したいわけじゃないんだけど」

「宝の持ち腐れみたいなことするやつは、おれが許さないって感じなんですけど」

「厳しいなあ。宝ではないけど、大目に見てよ。いま、忙しいんだよ、いろいろと」

ちょうどいいのか悪いのかわからないタイミングで朝のチャイムが鳴る。

それで、小さな星たちは散り散りになり、かれは自分の短い前髪に一度触れて額からはらって、ひと息つくように頬杖をついた。

脱力している。ひっそりとそういう風に隙をみせてみるのだって、きっと計算。計算であってほしい。そうじゃないと、なにを信じればいいのか、わたしはもう分からない。