子供の頃の私は、内弁慶で、喘息持ちでもあった。

まあまあ裕福な家庭の一人っ子、東京で産まれ育ち、本当は小学校から大学までエスカレーターの予定だったのだが…。

あれは小学6年生の頃のこと。

「美里。中学の3年間、山村留学をしなさい」

「は…?」

父の唐突な言葉に耳を疑った。

「喘息も、なかなかよくならないしな。東京の空気が悪いんだろう。薬にばかり頼るのもよくない。それに、その内弁慶も直さないと世の中を渡っては…」

「ちょっと待ってよ!私を厄介払いするとでも言うの!?」

涙ながらに訴えると、