春になり、この町でも新入学とか新入社とかいう人たちが慌ただしく行き交っている街角の片隅に小さな小さな交番が有る。
中野通第一交番、注意して見ていなければ通り過ぎるほどの目立たない交番で俺は勤務している。
 朝はうろついている野良猫を追い払い、昼には飛んでくるカラスをうっとおしく見上げながら、セブンの弁当を食べ、夕方には仕事帰りの女たちを羨ましそうな目で見送る。
 いたって事件らしい事件が起きない町だから、俺には転勤命令なんて来やしない。
「そろそろ、何処かへ、、、。」なんて言おうものなら「今の町のほうがお前には合ってるよ。」なんて言われてしまってただただ笑われるだけ。
 それがいいのか悪いのか、寝ていたって遊んでいたって文句も言われないんだよなあ。
 この町には大きな会社も無いからトラブるらしいトラブルも起きないんだよ。
たまに酔っ払いが喧嘩してるくらいかなあ。 それもうちの親父。
だからかな、誰も交番には来ないんだ。

 交番の前にはバス停が有る。 学生たちがパラパラと集まってきてバスを待っているのはいつもの風景だ。
10年前にはもっと居たはずなんだが、ずいぶんと減ってしまったね。
俺は御年38歳。 そろそろ嫁さんくらい居てもいいはずなんだが、出会いなんて呼べるような出会いも無い。
たまにサイレンが聞こえる。 かと思ったら隣町の警官が犯人を追い掛けてきたんだって。
「あんなんじゃあ、俺の出番は無いなあ。」 ヒョコっと顔を出して周りを窺う。
その前を猛スピードでパトカーが通り過ぎていく。 俺だって乗ってみたいよ。
でも乗ったのは最初の日だけ。 しかも「あんたもこれくらいは知っとかないとね。」だって。
 あれあれ? 交番の前で車が止まったぞ。 そしておじさんが降りてきた。
何か用かと思ったら「トイレ 貸してくれ。」だって。 ここはコンビニじゃないんだぞ。
 その車が走り去った後、今度はおばあちゃんがやってきた。 「私の孫を知らんかね?」
そんなん聞かれても顔すら分からんのにどう答えたらいいんだよ? 「さあ、、、。 ここには来てませんよ。」と言っておいた。
俺も無責任だよなあ。
 なんてったって今日は4月1日。 世間的にはエイプリールフールとか呼ばれているらしいんだけど、そんなの関係ねえ。
俺は俺で一応はお巡りさんなんだぞ。 間違い無い。
でもさ、この町の皆様はお巡りさんとは思ってないみたいだ。 寂しくなるじゃないか。
 一応、警棒とか手錠とか拳銃とかも持ってるんだよ。 おもちゃだろうって?
とーんでもない。 ご立派な本物だよ。
でも、それを使うほど危ないやつらが居ないから棚の奥に眠っている。
 朝飯を食べてブラブラと歩き回って帰ってきたら10時半。 コーヒーを飲んで電話番をして昼飯を買いに行く。
こんな俺にでも給料をくれるんだから優しいよねえ 日本って。 一度として犯人を捕まえたためしも無いのにボーナスまでくれるんだって。
遊んでるだけなのにさ、贅沢だよね。
 巷にはホームレスだって居るっていうのにさあ、半分くらい仕事を分けてやりたいよ。
「お前が退職したら考えてやる。」って言われちまったよ。 お偉いさんたちは忙しいんだろうなあ。
 雑誌を拾い読みしていたら「待てーーーーー!」って声が聞こえてきた。 (事件かな?)
 改めて帽子をかぶり直して外へ出てみると、、、。
おじさんがバス停の前で寂しそうに立っている。 「どうしたんですか?」
「いや、立ち話をしていたらバスに乗り遅れたんだよ。 ちきしょうめ、、、。」だって。
なあんだ、、、事件じゃなかったのか。 ホッとしたような、肩透かしを食らったような複雑な気分だね。
俺だってさあ、たまには警官の仕事をしたいよーーーーーーー。 掲示板に向かって睨みつけてみる。
なんだか、俺が不審者になった気分だ。 昼飯を食ったら一回りしてこよう。
 俺はここに勤務してるけど、ここに住んでるわけじゃないんだよ。 毎日、自転車で通ってるの。
実家から15分くらいかな。 母さんたちも何とも言えない顔で送り出してくれる。
 最初の頃はね、「殉職するようなことが無ければいいんだけど、、、。」なんて心配してくれてたけど、最近は「まともに事件も起きないんだからさあ、配置換えしてもらったら?」って聞いてくる。
でもそれだって、なかなか叶わないから今ではニコッと笑ってくれるだけ。 ああ、なんだか寂しいなあ。
 俺のクラスメートは半分くらい外に出て行っちまった。 中にはオーストラリアに行っちまったやつまで居る。
結婚したやつも居る。 今でも独身を気取っているやつも居る。
会社を立ち上げたやつも居るし、捕まってるやつも居る。 人生 いろいろだなあ。
男も女もいろいろだあ。 文句有るか?
 5時を過ぎると仕事帰りの人たちがぼちぼち歩いてくる。 この辺には飲む店も無いから素通りするだけ。
向かい側に有るのは潰れたうどん屋の店舗だ。 借り手が居ないから幽霊屋敷みたいになってる。
その横には自転車屋が有って、最近はスポーツタイプの自転車ばかり売ってる。 用は無いね。
だって、、、俺が乗ってるのはママチャリだからさあ、、、。 って言うけど、こいつも馬鹿には出来ないんだぜ。
 帰りには買い物もしてくるから籠には野菜がたくさん入ってら、、、。 主婦みたいだ。
 帰る頃を見計らったように母ちゃんから電話が来る。 「あのさあ、帰りにさ、ジャガイモとニンジンを買って来てよ。」みたいにね。
魚を買って帰る時には近所の野良猫どもが忍び足で狙ってくる。 そんな時には水鉄砲で応戦だ。
まさか、ピストルをぶっ放すわけにもいかないからさ。
 先頃、27年 ピストルと手錠を使わなかった駐在さんが話題になったねえ。 羨ましい限りだ。
俺もああなりたいよ。 ってかさ、この町も事件らしい事件が起きないんだよねえ。
寂れた町っていうのか、それとも平和な町っていうのか、、、。

 どっかのじいさんが自転車を盗まれたって騒いできたことが有ったっけ。 でも聞いてみたら行き付けの銭湯に忘れてきただけだった。
じいさんとはいってもまだまだ60を過ぎたばかり。 しっかりしてくれよ!
 ばあさんはばあさんで、飼い猫が居ないって捜索願を出しに来たことが有ったっけなあ。 ここは何なのよ?
 飼い猫の捜索願なんて受理するなってお偉いさんたちに怒られそうだよなあ。 だからさ、そんなのは机の上にポーンと投げ置いてある。
どうせ、近所の餌でも食べ歩いてるんだろう? 行方不明でも何でもないよ。

 と思ったらバス停で小さな子が泣いてる。 「どうしたの?」って聞いてみる。
「ママに怒られた。」って言うから、一緒になって母親を探してみる。 すると、、、。
「あーら、ごめんなさい。 ケーキ屋さんで話し込んじゃって忘れてたわ。」だって。 睨んでやったよ さすがに。
 林田健太郎、体力だけは自信が有るんだけど、勉強はさっぱりな俺。 姉ちゃんは大学に進んでそこの教授になってしまった。
頭の作りが違い過ぎるらしい。 何でも理解してしまう姉に比べれば俺なんか、、、。
 でもさあ、数学だって足し算と引き算と掛け算と割り算が出来ればいいじゃん。 方程式なんて無駄の無駄。
 方程式が解けなくて生活困難者になった事例は有りませんことよ。 だよね?
理科だってさあ、化学式なんて分かんなくても生きていけるよ。
放射性同位体がどうのって言われても、それでおいらの暮らしが良くなるわけでもない。
 国語だって挨拶が出来て簡単な手紙を書けたらそれでいいしょ? ダメ?
ああもう、面倒くさい。 たまには奥の部屋に籠ってのんびりとテレビを見るのだ。
幸せ 幸せ。 人を追い掛けることもせず、捕まえることもしない。
いたって平和ないたって幸せな交番の物語の始まりなのでーーーーーす。
何を気取ってるんだ? バカ。