Stayhere! 上司は××××で御曹司

 どちらかというと奥手な、ななみでも、キス以上のことが知りたい、と思っている。深いキスは最初にされた時だけだった。後は、ついばむような軽いキスしかしていない。
 でも、編集長に抱きしめられるときのときめきや、キスをされたときの身体の熱があがる感じは、思い出すとぼーっとしてしまう。もっと先に、ひろがるめくるめく世界があるのか…と思うと、知りたくなるのは健全だと自分に言い訳したりする。
 かよとしゃべっている内に、バイトのあがり時間となった。かよは、智也と約束してるから、とさっさと行ってしまった。ななみもそれを追うように帰り支度をして、店の裏側から出る。すると、すっと黒いハリアーが近づいてきた。
「お疲れ」
 ななみが車に乗り込むと、編集長が言った。ななみは、もうこれだけで高い充足感がある。あの編集長が!あのソウが!週末の疲れた私に「お疲れ」。これで浮かれずにいられようか。
 しかし、浮かれてるとバレるのも癪なので、ななみは、気持ちを落ち着かせて「お疲れ様です」と言う。
 そして、四回目のおうちデートが始まった。
 
 果たして。四回目のおうちデートも、三回目と全く同じパターンだったのだった…。

 さすがに、朝を迎えた時、ななみは、これはちょっと対策を練った方がいいのでは、と思った。このままだと、なんの進展もなさそう…。
 かよの言葉を丸呑みにしたわけじゃないけれど、待っててもダメなのかもしれない、という考えにぶち当たった。ななみは、最初の一手として、今週末の金曜日のバイトを休むことにした。金曜日は忙しいので、できるだけ入るようにしていたのだが、今月からは新入りのバーテン君もいるので、大丈夫だ。来週になると、編集長は、深夜まで編集部にいる事が増えるので、今度の金曜日を逃してはいけない。
『今度の金曜日も、編集長のお部屋でおうちデートでもいいですか。私、バイト休みなんです』
 そうラインをするのも、結構、勇気がいった。理由が理由なだけに、本心を見透かされたら、と思ったら顔から火が出そうだ。でも、ななみは決めたのだ。今度の金曜日を特別な日にする、と。
 週末。ななみは、編集長よりも早く仕事をあがれた。編集長から、合鍵を預かっているので、先に部屋に行って、夕飯の準備をした。21時頃、編集長は、部屋に帰ってきた。
「すげえ。帰ってきたら、晩飯ができてる、なんて最高」
 ネクタイを緩めながら、そんな嬉しいことを言ってくれる。食事中は、お互いの仕事の話などして、笑いあった。ななみは、ラブストーリーのDVDを持ってきていて、たまには映画鑑賞もいいでしょう、とすすめた。
 なんとか自分たちのラブシーンになだれこみたい、という苦肉の策なのだが、編集長は、何も知らない顔をして「たまには、いいか」と言った。
 中盤になり、主役たちは、熱いキスシーンをしていた。濃厚なキスを観ている内に、ななみは、ひょっとして、自分に魅力がないのでは、という気がしてきた。普通の恋人たちは、すんなりとこんなふうにいちゃいちゃするのに、自分たちときたら。手すら触れ合っていない。
 そう、考えたらじわっと涙目になってしまった。
「え。ななみ、泣いてる?」
 グラスを傾け、映画を見ていた編集長が、ななみの方に顔を向けた。
 ななみの大好きな、編集長の、ソウの顔だった。独り占めにしてる、と思ってたけど、本当はそんなことなくて、たまたま一緒にいるだけかもしれない。
 涙目が、涙に変わった。
「ちょ、どうした、ななみ」
 編集長の声が慌てている。少しでも、慌てたらいいんだ。女子の気持ち、わからなすぎる。
「編集長のバカ」
「お?おう…なんだ、珍しいなそんなこと言うの」
「バカ、バカ、バーカ」
「なんだ、酔ってるのか?おかしいぞ」
「おかしいのは!」
 もうヤケだ、とななみは思った。
「編集長が、触ってくれないからです…」
 編集長が、目を見開いた。それから、うつむいて、はーっと息をついた。
「そんな事、考えてたのか…」
「か、考えますよ、私、編集長の、か、彼女なの」
 に、と言おうとしたところで、編集長が、ななみの唇を唇でふさいだ。
 かみつくような、深いキスだった。口の中を獣のように探られて、頭がくらくらしてくる。ななみはすぐに呼吸困難になった。
「へんっ…」
 唇が外れた。
 熱のこもった眼差しで、編集長が言った。
「ななみの初めてだから、慎重になってた。ななみにサイン出させてごめん。でも、ななみがいいんなら、俺は今、ななみを抱きたい」
 まっすぐな言葉が、ななみに刺さった。ななみは、ぼうっとした頭で、こくんと頷いた。
 編集長は何も言わずに、ななみを抱き上げ、寝室に連れて行った。ベッドにななみを横たえると、編集長は、部屋着の上を脱いだ。
 すぐにななみに覆いかぶさってきて、ななみの唇を捉え、深いキスをした。舌が絡まり、ななみは、ずっとこれを待っていたことに気づいた。お互いを飲み込めたらいいのに、と思わせるような、そんな切実なキスが長く続き、いつの間にか編集長の手は、ななみの服の下に入れられていた。
 キスで熱っぽくなった身体は、編集長の手に敏感に反応した。身体に触られたり、キスをされたり、初めての事が繰り返される。柔らかいところに指を入れられた時は、快感のするどさに、めまいがしそうだった。高く声をあげてしまいそうになるのを、手で必死に抑えた。
「抑えなくていいから…ななみ」
「宗吾さ…ん」
 やがて、編集長はななみの中に入って、ななみは痛みを感じたが、編集長が優しくしてくれていいるのがわかった。
 熱い波にのまれたような時間が終わって、ななみは、編集長の胸に、顔をうずめた。
「宗吾さん…大好き」
「何だよ…」
 そう言いながら、編集長は、嬉しそうだった。ななみは、もうちょっと甘えようと思って、編集長の腕を甘噛みした。夜が、ゆっくりふけていく。



「ななちゃん、目つきが怖くなってるよー…」
 隣の席のこずえが、おそるおそる、という感じで言った。
「うっ…すみません…」
 ななみは、集中していた頭をちょっとほぐそうと思って、こずえと喋ることにした。
「なかなか…赤が減らなくて。あーでもない、こーでもないってとこです」
「ああ、なんだっけ、ゆき☆みな、の新曲レビューだったっけ?」
「そうなんです…」
 ななみは、今、ゆき☆みなという、女性シンガーのレビューを書こうしている。ゆき☆みなは、見た目はギャルなのだが、歌うとすごい。がつんとくる、重い歌詞で、恋愛している十代や二十代の子達の気持ちをわしづかみにする。そうそう、そういうことが言いたかったの、と思わせる歌詞だ。
 ななみは、以前はロックばかり聴いていて、正直、J-ポップのラブソングに疎かった。しかし、この編集部に来てからはそうも言ってられない、と色んなジャンルを聴くようになった。
 そして、編集長と実際につきあうようになってから、ラブソングが、いきなり胸の真ん中にズドン、と響くようになった。恋をすると、人は変わるという。ななみは、まさか自分の音楽の好みにまで影響するなんて全く思っていなくて、驚いた。
 あらためて、恋ってすごい、と思わせる。
 だから、去年だったら、スルーしていただろうゆき☆みなの曲が、ものすごく好きになってしまった。
 好きな人に逢えない時の切なさ。
 好きな人にわがままを言えない時の不自由さ。
 好きだからこそ、言いたいことが言えないもどかしさ。
 そんな想いが歌に込められていて、ななみはゆき☆みなの新曲をヘビーローテーションで聴いている。
 なので、新曲レビューは、絶対ゆき☆みなのを書きたい、と思ったのだ。
 しかし。
 ななみの原稿は、「魔王のシロ」ではなくなったものの、編集長に提出してから、返ってきた原稿は真っ赤だった。
 赤じゃないところを探すのを見つけるのが難しいくらいだ。
 そして、その赤を減らすべく、ななみは今、奮闘中なのだった。
「こずえさんは、どうでした?えっと、タツマキエンジンのレビュー書いてましたよね」
「うん。まあ、訂正はあったけど、何とか通ったみたい」
 奮闘中のななみを刺激しないよう、という配慮なのか、こずえは控えめに言った。
「そうですか…やっぱ、こずえさん、すごいなあ」
 心の底からの声が、思わずもれてしまう。
 こずえは苦笑しながら言った。
「うーん。ななちゃんの場合、言いたいこととか、伝えたいことがありすぎて、まとまらない感じなんじゃないの?」
「ありすぎ…」
 そうかもしれない、とななみは思った。
 ななみは、「rock:of」の記事で、何度も何度も感動した。言いたいことがここに書いてある!という嬉しさは格別だった。特に高校時代、周りにロックを聴く女子がいなかったので、ななみの曲を聴いた感想を誰かに言うことができなかった。そんな時に、「rock:of」を読むと、自分が感じたのと似た感情が書いてあって、ぎゅっと「rock:of」を抱きしめたくなったものだ。
 あの時の嬉しさを、記事の書き手となった今、誰かに感じてほしいと思う。
 ここにいるよ。そんな風に思っているのは、あなただけじゃないよ。
 そう伝えることができたらいいのに。
 そんな風に思いながら記事を書いていると、いともたやすく字数オーバーになってしまう。そして、文字を足したり消したりしている内に、いつの間にか、最初に書きたかったキラキラ感は薄れ、言いたいことの半分も入っていないものになってしまう。
 そういう壁に、ななみは今、立ち向かっていた。
「ありすぎ…」
 もう一度、ななみは呟いて、PC画面を見る。
 きっと思っていることを整理できればいいのだ。それがうまくいけば。
「うーん…」
 うなるななみに、こずえがココアをいれてくれた。
 ココアは甘くて、じんと沁みた。

「だから、だ。どうして、ここでお前の好きなアロマキャンドルの話になるんだよ」
 編集長に、ゆき☆みなの新曲レビューを再提出したら、そう言われた。編集長のデスクに呼ばれたのだ。
「えっと…だから、ゆき☆みなのポップでチャーミングな感じを書こうとすると、甘くていい香りがするものを思い出しまして。ああ、あの香りって読者に共感してもらえれば、って」
 ななみとしては、香りを思いついたときに、これだ!と思ったのだ。
 すると、編集長は、はーっと肩を落とした。
「あのな。うちは何の雑誌だ?」
「ロックの雑誌です」
 うん、と編集長は、大きく頷いた。
「その通り。うちは美容雑誌じゃない。なので、香りの話できゅんとくる読者のパーセンテージは低い。なので、却下。書き直し」
 今度は、ななみが肩を落とす番だった。編集長は、恋人だけれど、こういう時に甘い顔は絶対にしない。そういうところが、ななみも好きだ。
「…もうちょっと粘ります」
 ななみは、悔しい気持ちいっぱいで、自分の席に戻った。                               
 
 「うん。正月じゃない時期の雑煮って美味いな」
 今日は、久しぶりのおうちデートの日だった。ななみのバイトもない、編集長のバンドの練習もない、貴重な一日だ。
 ゆき☆みなの記事に、OKをもらいたかったのは、実はこのデートのためでもあった。気持ちにわだかまりのない状態で、編集長と逢いたかった。
 だから、原稿のOKが出ないまま、編集長と逢うのは、少し不本意なのだけれど、やっぱり、ゆっくり二人で逢える時間をナシにすることはできなかった。
 今夜は、冷凍庫にお正月の残りのお餅があった、と思い出し、お雑煮を作ってみた。
「うちの実家のお雑煮ってこんな風にシイタケと青菜だけなんですよ。すごく、シンプルなんです」
「ふうん。うちは、もうちょっと色々入ってるかな。里いもとか、レンコンとか。まあ、実際はおふくろが忙しくて、まともに作ってもらった覚えがないって感じだな」
「病院は、お正月とか関係ないですもんね」
 編集長の母は、以前は看護師として働いていた。今でこそ、ホテルの再建に忙しくしているが、女手ひとつで、息子を育てるのはどんなに大変だったことだろう。いつだったか、編集長が、バンドと編集業と二つを両立させているのは、忙しい母の背中を見ていたからかも、と言っていたのを思い出す。
 目の前で、嬉しそうにお餅を食べている編集長の記事は、やはり面白くて読み応えがある。こんなのいつ思いつくんだろう、という切り口なのだ。
「いいなあ…仕事ができるって」
「うん?」
 編集長が、お餅を食べながら、ななみを改めて見る。
「あ、ごめんなさい。なんでもないです」
 おうちデートの時に、仕事の話はしない、なんてルールはないけれど、自分の愚痴めいた心情を吐露したくなかった。
 ななみは、ビール取ってきますね、と慌てて立上った。
「ななみ」
 編集長が優しい声で言った。冷蔵庫の前にいたななみは、思わず振り返った。いつのまにか、編集長は、ななみの横の来ていた。
「ビールいい。日本酒にする」
 そう言って酒瓶を取り出す。そして、ごくさりげなくこう言った。
「ななみ、今、壁にぶち当たってるだろ。こんな時に言うのもあれだけど。思いついたことがあって。お前、原稿書く前に、いっぺん、手で書いてみたらどうだ?」
「手?ペンで書くってことですか」
「うん。ノートを前面に使って、思いついたこと、言いたいことをランダムにどんどん書いていく。制限はしない。とにかく書く。そうすると、意外と書きたい事が整理できたりする」
「あ」
 ななみは、真っ白い紙の上に思いっきり字を書くところを想像した。そうだ。PC画面にこだわりすぎていたかもしれない。
「編集長。やってみます」
 ぱあっと目の前が開けた気がした。翌日、ななみは机の上で、ノートに向かって思い切り、言いたい事、伝えたい事を書いた。制限なく書いているせいで、筆が進む。
 そうやってひたすら書いて、書き終えたものを整理する。蛍光ペンや色ペンを使って、言いたい事の優先順位をつけていく。
 その結果、できあがった原稿は、今までで一番整理されているのに、言いたい事の熱量も失われていなかった。
「編集長。できました」
 ななみは、ドキドキしながら、編集長にできあがったばかりの原稿を差し出した。編集長は、一読して、言った。
「やれば、できるじゃねえか」
 ななみは、心の中で、ガッツポーズをした。

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