結婚は望まないが、少しの間だけそばにいたい。そんな自分勝手な願いを叶えるためにも、偽装婚約はうってつけの話なのだ。

 でも、彼にとってのメリットが薄ければやる意味はないよね……と、諦めかけた時。

「……いや、十分だ」

 ほんの少し思案した彼の口から出た言葉は意外なものだった。

 その瞬間、こちらに伸びてきた手が私の顔回りの髪をそっと掻き上げる。手が触れるか触れないか、もどかしさにドキッとして目線を上げると、夏くんはなにかを決意したような男らしい表情になっている。

「そうとなれば、皆が納得するくらい婚約者としてたっぷり甘やかすけど、いい?」

 脳が甘く痺れるような声で問いかけられ、私はなんだか夢心地でもちろん頷いた。

 夏くんの特別な人になれるなんて嬉しい。偽りの関係だとか期間限定だとか、そんなのは関係ない。

 特等席を手に入れられた、その事実だけで私の人生にかけがえのない幸せがひとつ増えたのだから。