華は反射的に、その声から逃れようとして、ジャングルジムを踏み外しそうななった。

「わっ」
「ばっ、ばか!」

 その声の主が、慌てて駆け寄って来た。

「ごめん、急に声掛けて。大丈夫か」

 華は何故だか、その声の主の顔をまともに見られなかった。

「だ、大丈夫」

 心臓が早鐘を打っている。きっと、ジャングルジムを踏み外しそうになったからと思いたいが、そうじゃない。ここからすぐに離れなければ、どうにかなると華は視線を彷徨わせた。

「私、もう、帰るね」

 そう言うのが精一杯だった。何とかその場から離れようとしたが、声の主は逃さないと華の手を掴んで来た。

「待って、華っ」

 掴んで来た手の力が思いの外強くて、華は胸をドキリとさせた。

「逃げないで。この前の事、ごめん」

 華はその事が思い浮かんで、ギクリと固まった。

「あんな形で、キスなんかして」

 華はその時の事が鮮明に思い出され、カァッと首元が熱くなった。

(何で謝るの。私が悪いのに)

 華は何故だか、涙が溢れそうになった。

「でも、俺、ハッキリ分かったよ。あれからもずっと考えてたけど、やっぱり華の事が好きだ」

 華は、その言葉に悲しさと嬉しさがないまぜになって、どうしていいか分からなくなった。

「多分、ずっと好きだった。ここで逢った頃からずっと。今は少し、形が変わったかもしれないけど、それでも好きだよ」

(私だって、ずっと昔から翔ちゃんが好きだった)

 でもそれは、翔太の好きとは違うのだ。違うはずなのだ。

「華は、俺の事、どう思ってるの」
「好きだよ。でも、そう言う好きじゃない」

 翔太は一瞬切なそうな顔をしたが、暫くして顔を上げない華を覗き込んできた。

「本当に?」

 普段の翔太なら、そんな風に切り込んで来ない。華はビックリして、思わず顔を上げてしまった。翔太の真剣な目が華を捉えて離さない。華は動けなかった。

「俺とキスして、何とも思わなかった?」
「……っ」

 何とも思ってなかったら、今こんな状態になってない。テストだってあんな悲惨な事になっていないし、翔太の事が頭から離れないなんて事なかったはずだ。それなのに。

 華は、翔太に全て見透かされてるみたいで怖くなった。

「な、何とも、思って……ない」

 華はそう絞り出すと、何とか翔太から目を逸らした。

「もう一度、試してみる?」
「えっ」

 翔太はそう言うと、華の両肩を掴んだ。

「まっ、待って、もうダメ!」
「どうして、ダメなの? 何とも思ってないんじゃないの」

 華は体がどうしようもなく、熱くなった。

(無理だ、もう一度されたら、私)

「嘘だよ。ずっと、忘れられなかった。ごめん、あんな事言い出して。謝るのは私の方なのに……ごめん」

 華は堪えられずに、ポロポロと涙を瞳から溢した。
 
(私、ずるい。でも何故だが涙が止まらない)

 すると、翔太が華の涙を優しく拭った。

「俺の方こそ、ムキになってごめん。でも、華も忘れられなかったんだ。ちょっとは脈あるって事?」

 翔太はそう言うと、華を覗き込む。
 華は真っ赤になった。

「分かんない。これが、翔ちゃんと同じ好きなのか。ずっとずっと、大切な友達だったから。本当に大切だったから」

「俺もそうだよ。でも、それだけじゃなくなったっていうか。それが華に嫌がれると思ってたから、自分でも認めたくなかったけど、華とキスして……嫌って程、自分の気持ちに気付かされた。そう言う意味では、責任取って欲しいけどね」

 ハハッと、翔太は困った様に笑った。

 ムキになってた――自分を正当化したいだけで、翔太の気持ちも無視して。自分は我を通したいだけだ。それで何が「大切だ」と、華は苦しみに喉が締め付けられた。

「する? もう一度?」
「えっ」
「……あ、えっと、キス」
「いいの? 多分俺、もう一度したら、華の事絶対離したくなくなると思うけど」

 華はとんでもない事を翔太に言われてる気がしたが、ずっと離れたくないと思ってるのは自分も同じだと思った。

「私も、離れたくないよ」
「そんな事言われると、勘違いしそうになるんだけど。勘違いじゃないって思っていいの?」
「わ、分かんない。だから、もう一回キスして?」

 翔太は、やれやれと少し呆れた様に微笑んだ。

「目、閉じて……いや、やっぱいいや」

 そう言うと優しく華に口づけた。あの柔らかな感触がまた押し付けらて、華は心臓が飛び出しそうだった。翔太は一度口を離して、もう一度唇を重ねる。もう一度。

「どう」

 華は、耳まで真っ赤だった。

(無理。こんなの無理。翔ちゃんの顔を、見られない)

 恥ずかしいのに、何だか幸せな気持ちが心の底から溢れてくる様だった。

(何これ)

「無理、恥ずかしくて、死にそう」
「嫌だった?」
「嫌じゃない、どうしようっ、どうしよう」

 オロオロと顔を赤らめ、必死に狼狽える華を見て翔太は可笑しくなると同時に、満たされた気分になったら。

「もう、俺の事好きって事じゃない?」
「っうううう」

 更に華は慌てた様子で、涙目で茹蛸みたいに真っ赤になる。それが可愛く思えて、翔太はもう一度華に口づけた。



 次の瞬間辺りがぱあっと明るくなった。目を開けると、花火の光にお互いの顔が照らされた。翔太は華を真っ直ぐ見つめ、華も翔太を真っ直ぐ見つめ返していた。そして、空を見上げる。

「花火、こんなところでも、ちゃんと見られるんだな」
「そうだね」

 賑やかな喧騒から離れた場所から、こんな風に二人だけで花火を見上げるのも、悪くないと華は思った。

 翔太は黙って、華の手を繋いできた。もう昔の様な小さくて可愛い手ではないけれど、それは確かに翔太の手だった。

 マスターに言われた、あの言葉が蘇る。

「『友情』とか『そうじゃないとか』こだわる事ってそんな大切かしら」

 そうだ、そんな事どうだって良かったんだ。翔太の事が大切で「好き」と言う気持ちは揺るぎようのない事なんだ。今、翔太が隣に居てくれる。もう、私はそれだけで幸せなんだと、華はそんな当たり前の事に、やっと気が付いた。

 華は戸惑いながらも、翔太の手をぎゅっと握り返した。
 

おわり