「男女間に友情は成立するか? アンタそんな、人類の永遠のテーマみたいな事で悩んでるだ? バカじゃないの!」

 光は華の悩みが壮大すぎて、手に持っていたコーヒーカップを、落としそうになった。

「光さんはあると思います? ないと思います?」

 華は自分以外の人間がどう考えてるのか、純粋に知りたくなった。

「答えは『ない』よっ。あるなんて意見は、所詮綺麗事よ」

 華は何か言い返したがったが、うまく言葉が出てこなかった。

「でも、まあ答え出てるじゃない? 要は、アンタにそのつもりは全くないけど、相手はそうじゃないって事でしょう。ほら、もう友情なんか、破綻してるじゃない」

「別に好きって言われたわけじゃ、ないですよ」

 華は少しイラッとして反論した。まだ何かを信じたいと、心の中で思っていたからかもしれない。

「確かに告白されたわけじゃなくても、アンタを女として見てるって事は、アンタとセックスしたいって、事なんじゃない? それでも友情が成立するとでも思ってるの?」

 なんて事言うんだと、華は背筋がゾッとした。見かねて、マスターが助け舟を出した。

「ちょ、ちょっと、光ちゃん、もうちょっとオブラートに包んで」

「いや、本当の事でしょ。そんなオブラートに包んでばかりだから、日本の性教育はダメなのよっ」

 と、光は捲し立てると、一気にコーヒーを飲み干して、マスターにおかわりを要求した。

 華はそんな風になる自分と、翔太をふと思い浮かべそうになったが、心にストッパーが掛かり、とても無理だった。想像出来ないし、想像したくもないと、体が震えてくる。それを悟った光はコーヒーのおかわりを待ちながら、華を横目に見やった。

「その人と、そうなる事、少しも想像出来ないって顔してるわね」

「というか、そういう事をしている自分が、想像出来ない」

「アンタって、誰か好きな人とか、好きだった人とかいないの?」

 華はフッと、頭に記憶を巡らせてみた。

「いない、かも。でも、この前観た、配信で神プレイしてるプレイヤーさんには、凄くときめいたというか、ドキドキした」

 それを聞くと、マスターと光はやれやれと頭を振った。

「ダメだわ、こりゃ」
「ある意味『純粋な好意』かも、しれないわね」

 マスターはそう華の気持ちを解釈すると、サイフォンのフラスコからコーヒーをカップに注ぎながら続けた。

「でも、ワタシは男女間に友情はある派なのよ」
「今までの話の流れで、どうしてそう思うんですか。逆に聞きたいわ」

 そう光がマスターに噛み付いた。

「だって、お互いを異性と意識しない男女の間柄だって、あるでしょう。それを考えたら『ない』とは言えないじゃない? お互い恋人がいたり、既婚者だったり」

「その理屈が真っ当に働く世界なら、浮気も、不倫もないと思うんだけど?」

 光はマスターの意見をハハハと鼻で笑った。

「肉体関係があるからって、恋愛感情とは限らないじゃない。お互いがそれでも友情だと思ってるなら、友情じゃない?」

 マスターのその新解釈に、華と光は度肝を抜れたが――

「確かに。二人が友情と思ってれば友情かも。でもお互いに別のパートナーがいたら、世間は許さないんじゃない?」

「ふふふ、そこが問題ねー」

 とマスターは楽しそうに笑った。

「まあ、人なんて人の数だけ色々な想いがあって、関係があるわけよ。それを無理やり型で嵌めようとするから、おかしくなる。そんなの始めから不自然な事のに」
「でも、それが社会のルールでしょ。それを守って生きて行かないと、社会から弾き出されるわよ」
「光ちゃんにしては、まともな事言うわね」

 そう言うと、カラカラとマスターは笑った。そしてマスターは華に向き直って、改めて切り出した。

「人間って、型に嵌らないと安心出来ないから、それに従ってるだけ。結局最終的に華ちゃんが、その人をどう思うかが、あなたにとって一番大切な事で、『友情』とか『そうじゃないとか』こだわる事ってそんな大切かしら?」

 その言葉は華の心を突き刺した。

「それに華ちゃんの話を聞いてると、彼自身よりも『彼との思い出』が大事な様に聞こえるわ」

 華はさらにハッとした。何も言い返せない。

「彼は別の何かになったわけじゃなく、新たな経験と情報が蓄積されて成長しているだけで、彼は彼だと思うけどね」

 確かに昔の思い出ばかり押し付けて、今の翔太の事をちゃんと見ていたのかと、華に疑問が湧いてくる。小さな頃も今も、翔太は翔太に変わりないのに。

「って言うか、アンタは自分が変わる事に、ビビってるだけじゃない?」

 光は華を横目に、嫌味ったらしく悪態をついた。華は「ビビってる」の言葉に無意識にいらついた。本来ある、負けず嫌いの気質が顔を出す。

「ビビってなんか。でも、自分が男だったら、こんな事で悩まないかなとは、思う」

「バカじゃないっ?」と光は笑い出した。

「そんな事で、アンタの悩みは解決しないわよっ。アンタが男だって、相手がそういう風に見ないなんて保証ないじゃない?」

 華は、その発想はなかったとたじろいた。

「じゃ、なかったら、アタシに彼氏なんて出来ないわけっ」

 マスターはそうねえ、同性でも今は全然アリだし、むしろ大昔から、人間はそうだったわと呟いた。華は自分がもし男で、翔太とそういう関係になったらと想像し、更にゾッとした。

「要は異性にしろ、同性にしろ、そういう対象として見るか、見ないかよ」

 光はこれまでにない悪魔的な表情で、華に微笑んだ。

「試してみたら?」
「……えっ」
「その人にキスしてみたら?」

 華はその光の信じられない提案に、腰を抜かしそうになった。

「アンタが言う様に、彼をなんとも思わないなら、キスしても気持ち悪いか、もしくは、どうってない事でしょう?」
「何言ってるのっ?」
「彼をそういう風に意識する事が、怖いんでしょ」

 華は頭にカーと頭に血が昇ってきた。

「怖く、なんか……」

「嘘だね。じゃあやってみなよ。意識しなければ、本当にアンタにとって彼は友人だった。それでスッキリするんじゃない? でもそうでなければ……このまま、彼と同じ土俵に上がらないのは、卑怯なんじゃない」

 華は、絶対そんな事しないと思いつつも、どうして絶対したくないのか、出来ないのか――

 深く考えたくないと、凄く動揺している自分に気が付いた。


つづく