華が学校を休んで、三日目になった。

 翔太は華が学校を休んでいる理由が、自惚れかもしれないが、自分のせいではと気が気ではなかった。だがあんな風に突き放した後、とても連絡を取る勇気がなく、何も出来ずに学校からの帰り道をトボトボ歩いていた。

 ふと足元に赤いリンゴが転がってきて、翔太はギョッと飛び退いた。そのうち、玉ねぎ、じゃがいもと次々に坂道を転がってくる。

 翔太は慌ててその野菜たちも拾い上げると、坂の上を確認した。女性の持つ買い物袋に穴が空いているのか、そこからポロポロと品物が落ちてきている様だ。

 翔太は駆け出して、慌ててその女性を呼び止めた。

「あの、すいません。落ちまし……」

 そこまで告げて、翔太は呼吸が止まりそうになった。

「あら? あれ、あなた翔太くんじゃないっ?」

 その女性には見覚えがあった。
 華の母親だ。

***

「もー、本当に大きくなったわね、翔太くんっ。ビックリしたわ。そうそう、お父さんと、陽太くんは元気?」

 華の母親は翔太の返事を待たずに、次々に質問してくる。翔太は「ええ」「いえ」と相槌を打つだけで精一杯だった。もうすぐ華の家に着く。翔太は思い切って、華の母親に質問してみた。

「あの、華ここずっと学校休んでますけど、大丈夫ですか」

「ああ、熱が出てね。でも明日にはもう学校行けると思うわよ。あの子ねー、なんか精神的にショックな事があるとすぐに熱出すのよ。おばあちゃん亡くなった時も、一週間寝込んでたし。そういえば、小学校の頃もそんな事もあったわね」

 翔太は華の熱の原因が、自分である事を確信した。申し訳なくて、項垂れている間に華の家の前まで来ていた。翔太は持っていた荷物を、華の母親に渡すと、それじゃこれでと去ろうとしたが。

「あら、待って翔太くんっ。荷物運んでもらったお礼に、なにか出すから、上がって、上がって!」

 いや、大丈夫ですと翔太は断ったが、何遠慮してるのーと当然押し切られる。この世で最強の主婦という生き物に、男子高校生が勝てるわけもなかった。

 華の家に入ったのは、小学校以来だった。さほど様変わりしておらず、翔太は懐かしく感じ、目を細めた。

 確か華の部屋は二階だったはず。とりあえず華に鉢合わせる前に、出来るだけ速やかに帰ろうと翔太が思った矢先――

 玄関奥の階段から、誰かが降りてくる音がする。

「お母さん、お帰りなさいー。あのさ、明日……」

 そこまで言って、階段から降りてきた華は固まった。なんでここに翔太が居るのかと。華と翔太は、暫く玄関を挟んでお互いを凝視する様に固まっていたが、その緊迫した空気を、華の母親のスマホの着信音が打ち破った。

「あ、はいもしもし」

 華の母親は、固まってる二人を気にも留めず、電話の相手と忙しそうに話していた。じきに電話を終えると、病み上がりの華に夕飯の下拵えを任せて、慌てて家を出て行ってしまった。

 残された二人は、その嵐の様な華の母親を、ボーゼンと見送る事しか出来なかった。

 玄関先に、張り詰めた緊張感が流れていた。翔太は、そのまま華の家を出て行く事も出来ず、覚悟を決めるしかないと、華を改めて見据えた。

「……体調、大丈夫か」

 突然話しかけられて、華はビックリした。

「えっ、あ、うん……ていうか、どうしてウチに?」
「おばさんが道に落とした食材拾って、それでついでに荷物運んで来たっていうか」
「何それ。お母さん、本当そそっかしいな。ありがとうね」

 華はそうお礼を言うと、玄関先に置きっぱなしになってた、複数の買い物袋を両手で持ち上げて運ぼうとした。すかさず、翔太がそれを掴む。

「どこに運べばいいの、これ」

 翔太は先日の事、今自分が思っている事、ちゃんと華に話さなければと、息を大きく吸い込んだ。

***

 見事な包丁捌きで、スルスルとじゃがいもを剥いていく翔太に、華は度肝を抜かれた。昔から手先は器用な方だと思っていたが、慣れている感がもう主婦だ。

「なに?」と華の視線に翔太は気づく。 めっちゃ手慣れてるねーと、慌てて愛想笑いをする華に、まあ、普段からやらざるおえないしと、翔太は軽い自嘲のため息を漏らした。翔太はじゃがいもの芽を、包丁のアゴでくり抜きながら目線を外さず続けた。

「この前、言った事、華は何も悪くないから。俺の問題だから」

 翔太の重い言葉が、場に沈黙を生み出した。華はなんとか口を開いた。
 
「無理、ごめんって……言った事?」

 そこまで言葉に出して、華は声が震えそうになった。

「俺さ、小学校の頃、周りの連中に揶揄われて、心を見透かされた気がして……」

 そこまで言って、翔太は言葉を詰まらせた。

「華は、全然俺の事、男として意識してないし、そう思えないだろ。でも、俺は違うんだよ。考えない様にと思ってだけど、やっぱ無理。そう言う『無理』なの」

 華は今まで曖昧に誤魔化していたものが、しっかりとした言葉という形で伝えられ、もうどうしようもないんだと、肩を落として俯いた。

 もし自分が男だったら、こんな結末にはならなかったんじゃないかと思うと、女に生まれてきた事に、華は初めて後悔した。


つづく