思わず短い悲鳴を上げる。
目と鼻の先に彼の顔が迫って、髪が頬を掠めた。
「俺のことばかにしてんの?」
温度の低い静かな怒りを宿したような、投げやりな言い方だった。
「い、たい……!」
ぎりぎりと彼が手の力を強めると、髪が引っ張られて激痛が走る。
「余計なこと考えてんじゃねぇよ。おまえはただ黙って俺に従っとけ」
肩を押さえつけていた手が今度は首元を捉えた。
ものすごい力だ。息が詰まって声も出せない。
「なあ、何か間違ってる?」
顔を歪めたまま、どうにか首を横に振る。
つ、とその拍子に涙がこぼれ落ちた。
彼の力が少しだけ弱まる。
「……けほっ、……ごめん。ごめんね」
ぼやけた視界に映る彼を見つめた。
「ごめんなさい」
これが、この言葉だけが、わたしに取れる唯一の自衛手段。
彼を正気に戻す魔法の言葉。
ひたすら謝って耐え抜くんだ。
身を縮めて、嵐が過ぎ去るのを待つ。
それ以外にできることなんてない。
「生意気なんだよ。あいつにたらし込まれたか何だか知らねぇけど、俺を出し抜こうとか!」
ぐい、と髪を引っ張られ、床に引き倒される。
したたかに打ちつけた痛みが襲ってくるけれど、状況には飲み込まれずに済んだ。
容易には聞き流せない彼の言葉が、わたしの理性を繋ぎ止めてくれたお陰で。
(気づかれてた……)
わたしのついた嘘に。
じゃあ再び記憶をなくしたと言ったときのあの反応は、すべて演技だったのだろうか。
「満足か? 俺を騙せて」
伏せて倒れ込むわたしの視界は髪に覆われていたけれど、ふっと風が起きて彼が屈んだのだと分かった。
それと同時に、演技ではなかったのだと悟る。
少なくともあの嘘をついた段階では、彼は本気でそう信じていた。
「うぅ……っ」
ふいに横腹を蹴られ、小さく呻く。
身体が横向きになる。勢い余って後頭部や背中を壁にぶつけた。
一度立ち上がっていた彼が、じわじわと追い詰めるように歩み寄り、再び傍らに屈み込んだ。
顎をすくって掴み、無理やり目線を合わせてくる。



