もう、振り回されたくない。惑わされたくない。
 したたかにならなければ破滅(はめつ)に直結するのだ。

「戻ろうぜ」

 そう言った愛沢くんの後ろを歩きつつ、密かにカッターナイフを見つめる。

 確かめるようにもう一度強く握り締めてから、ブレザーのポケットに入れた。

 護身用に忍ばせておこう。
 何が起こるか分からないから、これからは常に持ち歩くことにする。

「…………」

 廊下を歩きながら、ちら、と窓の外に目をやった。

 風に揺れる(こずえ)にさえ意識を向けられるようになって、やっと冷静さを取り戻せたのだと自覚する。

(星野くん)

 さっきはたまらず逃げてしまったけれど、彼とはもう一度ちゃんと話さなきゃいけない。

『……やっぱりやめておけばよかった。あんなこと』

『僕のせいできみが苦しむのは嫌だから……』

 彼はやはり何かを知っているのだ。
 もっと言えば、関わっている、のかもしれない。

 額に触れてみると、ずきん、と痛みが響いてきた。

(やっぱりこの怪我のことかな)

 それについても、問いただすとしたら星野くんの方だ。
 何かを握っているのは間違いないし、愛沢くんよりはまだ聞き出す余地がある。

 問題はどうやってコンタクトを取るか────。

 冷静に問答(もんどう)を交わさなきゃいけない。
 時と場所、状況を慎重に見計らわないと。

 星野くんがあんなふうに豹変してしまったら危ういし、まず話にもならないだろう。

(何より……)

 わたしは愛沢くんの背中をじっと見つめた。
 彼の目を()い潜らないことには叶わない。

(“隙”を作ろう)

 この際、手段なんて選んでいられない。

 ふたりともに危険な気配があるのなら、狡猾(こうかつ)にでも大胆にでもなってやる。
 それくらいの覚悟を決めた。

 愛沢くんを出し抜いて星野くんと接触し、彼の隠していることを探るんだ。

 そのためにまず、愛沢くんと離れる口実が欲しい。

(どうすれば離れられる?)

 深読みされたり機嫌を損ねたりしないで、自然に離れられる方法はないだろうか。

「!」

 はっとひらめく。

 何もわたしが離れる必要はない。
 愛沢くんが自らそうしてくれればいいんだ。

 彼の方から離れてくれたなら、わたしが変に疑われたりすることもないし、それが一番いい。

 わたしから離れるように促すいい手段はあるかな。
 あるいは、離れざるを得ないような理由が。

(……そうだ)

 ふと思いついた作戦を頭の中で反芻(はんすう)し、気を引き締めるように口端を結ぶ。

 倫理的にどう、とか言っている場合じゃない。
 わたしの中の良心や道徳心を無理やり押し殺す。

(“あれ”を使おう)