「え?」

 わたしの中では、彼の存在自体が充分によりどころとなっていた。

「わたし、今は正直……隼人のことが怖くて。だから出来れば星野くんといたいっていうか」

 口ごもりつつ思わず俯いてしまったけれど、それが本心だった。

 散々疑っておいて都合がいい。
 見たい部分だけを見て、欲しいところだけを求めて。

 でも、記憶を失ったせいで右も左も分からない不確かな世界に放り込まれたわたしは孤独だった。

 誰も信じられない恐怖に、これ以上ひとりきりで向き合い続けるなんて耐えられない。

「……!」

 す、と唇の前に彼の手が伸びてくる。
 人差し指を立て、わたしの声を抑えるように。

 驚いて彼を見上げると、いつになく余裕のない顔をしていた。
 不満そうな、納得のいっていない表情。

「……ずるい。僕のことも名前で呼んで?」

 前みたいに、とはさすがに彼は言わなかったけれど、きっとそうなのだろうと直感的に思った。

 そういう焦りが、いつもは完璧な星野くんの動揺を誘ったんだ。

「あ……えっと。響也、くん」

 自然とそう呼んでいた。
 その呼び方が馴染んでいるのかも。

 一瞬はっとした彼は、途端に笑顔を咲かせる。
 無邪気で純粋な反応だった。

「……うれしい」

 そんな笑い方もするんだ。
 大人っぽいばかりかと思っていたけれど、何だか可愛らしい一面を知った。

「こころがそう言ってくれたのも嬉しいよ。僕も本当はきみと一緒にいたいから」

「!」

「正直、ちょっと遠慮してた。こころは覚えてないから、そうしないと苦しめることになるかと思って」

 確かにそれはそうかもしれない。

 そんな気遣いがあったからこそ、星野くんの距離感には救われていた。

「でもこころがそう言ってくれるなら、素直になってもいいよね」

 膝の上に置いていた手を、彼にそっと握られる。
 あたたかい温もりが溶け合って、失ったはずの体温が戻ってくる。

 心臓がどきどきしていた。
 苦しいほどなのに嫌じゃなくて、むしろ心地いいくらい。

(星野くんが本物だったらいいのに……)

 わたしは()りずにまた、そんなことを願ってしまう。

「放課後、教室で待ってて。一緒に帰ろう」

 甘くて優しい微笑みに安心感を覚えながら、こくりと頷いて答えた。