嘘に恋するシンデレラ


 なぜか西暦が合わなくて、1年後になっている。

「どうして? いまって……」

 困惑するわたしを認め、先生は微かに頷いた。

「どうやら失ったのは1年分の記憶のようですね」

 にわかには信じがたい状況に陥っていた。
 目覚めたら1年後の世界だなんて、実感も湧かない。

「あの、そもそもわたし……何で病院に?」

「灰谷さんは昨夜、歩道橋の下に倒れてたところを救急搬送(はんそう)されてきました。通報者は分かりません。駆けつけたときには、意識のない灰谷さんしかその場にいなくて」

 どくん、と心臓が深く沈み込んで肌がひりついた。

脳震盪(のうしんとう)を起こして出血もしていたので病院に運ばれたんです。記憶障害については一過性(いっかせい)のものかもしれませんが……記憶が戻るまでに数年かかる可能性もあります」

 あまりに現実味のない話だった。
 傷の痛みを感じていなければ、きっと信じられなかっただろう。

「それでも、記憶は戻るんですよね……?」

「いまの時点では何とも……。すみませんが」

 (すが)るように震える声で尋ねたけれど、先生は正直に首を横に振った。

 明日すべてを思い出せるかもしれないし、もしかすると10年後にも忘れたままかもしれないんだ。

 気が遠くなるような不安が渦巻いて視界が歪む。
 ひとりぼっち、まったく知らない別世界に迷い込んだみたい。

「状況的に歩道橋の階段から転落したと思われますが、その……」

「何ですか?」

上腕(じょうわん)や腹部、背中といった目立たない部分に不自然な痣や傷跡がいくつもありまして。経過からして、明らかに転落時の怪我とは別なんです。それから、額の皮下血腫(ひかけっしゅ)が切れていて、もしかしたらそれも怪しいかもしれません」

 その声色が深刻さを増し、わたしも眉を寄せた。

「それって……」

「灰谷さんは日常的に暴力を受けていた可能性があります。言いづらいのですが……ご両親からの虐待などは────」

「ありえません」

 きっぱりと言いきったものの、ついうつむいてしまう。
 控えめながら怪訝(けげん)な眼差しを受けて言葉を繋いだ。

「……両親は事故で亡くなってるんです」

 高校入学を控えた春休みのことだった。
 身寄りもなくひとりになったわたしは、小さなアパートに引っ越してひとり暮らしをしている。

 そんな事実がなくても、もともと両親ともに優しかったし、虐待なんてありえない。