高校に入学して初めてのクラス替え。
隣の席が桔梗だと知ったときは正直絶望した。
桔梗とは去年は別のクラスだったけど、桔梗は問題児で有名だから、いわゆる「陰キャ」の私でも知っている。

「今日からこのクラスで過ごすということで、今日は隣の席の人と自己紹介をしてみましょう」

担任の国語教師がクラスに呼びかける。
それぞれが自己紹介を始める中、私は桔梗を見つめた。
耳にイヤホンを挿し、スマホで動画を見ている。ゆるく結ばれたネクタイと第一ボタンを開け放っているせいで浮いている鎖骨が見えた。

「葛西くん」

緊張で思っていたよりも声が出なかった。
それでも桔梗は気づいたようで、くりくりとした目がこちらを向くのがわかった。
めんどくさそうに耳に挿したイヤホンを机に置いたのを確認する。
ドキドキしながら右側の髪を耳にかけた。
新学年のためにボブにしてきた髪にまだ慣れない。
首の後ろに毛先が当たってチクチクした。

「島川牡丹です。よろしくお願いします」

自己紹介のために準備してきた趣味や好きな食べ物は言えなかった。
2年生は成功したくて笑顔の練習もしてきたのに。
少しの沈黙も気まずくてそわそわする私とは対照に、興味なさそうに椅子に横向きに腰かけた桔梗は何のリアクションもしなかった。

「葛西桔梗。よろしく」

無愛想な挨拶に私は笑顔でよろしく、と返した。
私たちの自己紹介は終わってしまったがまだ周りは話している。
なんとか時間稼ぎをしようとして、私は桔梗に話しかけた。

「桔梗って名前、珍しいね。誕生日秋なの?」

話しかけて迷惑がられないか、正直不安だった。でも桔梗は案外素直にスマホにのばしていた手を引っ込めた。

「いや、7月21日」

返事が短すぎて話が弾まない。再度気まずい沈黙が訪れる。
沈黙を破ったのは今度は桔梗の方だった。

「牡丹こそ名前、珍しいじゃん」

桔梗って女子を名前呼びできるタイプなんだ。
誰からも名前で呼ばれなくて、牡丹という名が自分の名前としてしっくりこない。
呼ばれ慣れなくて、なんとなくむずむずする。

「私は、誕生日5月だから。5月12日。」

ふうん、とつまらなそうな顔で相槌を打って、今度こそ私たちの話は途切れてしまった。
まだ周りは話している。話題が尽きないのが羨ましい。
私は気まずかったけど、二人とも相手に話を振らなかった。桔梗はスマホの画面を見つめ、私はスカートに乗せた指先を見つめた。

問題児の桔梗の隣の席は、思っていたほど居心地が悪いわけではなかった。
だるがらみもされないし、話しかけられたとしても宿題の内容を聞かれるだけ。
周りよりも明るい髪色で、制服の着方がだらしないってだけで、性格が悪いわけではない。
私に興味がないから気にすることがなくて楽だ。

クラス替えから数日後、学級委員を決める話し合いで立候補者がいなかったので、友達を推薦して決めることになった。

「河本さん」

当てられたのは1年生のころからの友達だ。
仲良い友達が少ない私からすると、莉里が同じクラスというだけで充分心強かった。
先生の配慮もあったのかもしれない。

「私は学級委員に、島川さんを推薦します」

彼女のハキハキとした声が教室に響く。
自分の名前が聞こえただけで、私の心臓はどくん、と音を立てた。

「島川さんはあまり目立つタイプではないですが、真面目でしっかり者です。本人が断るなら強くは言えませんが、私は島川さんは学級委員に向いていると思います」

どくどくと鳴り止まない音を深呼吸で抑える。
莉里は私の性格をわかって言っているのだろうか。
私はそんなだいじな役目を担える人じゃない。
むしろ莉里の方が学級委員に向いている。
はっきり言うと、やりたくない。
でも断れそうにもなかった。私が断ってしまったら先生もクラスのみんなも困ってしまう。
となりの桔梗はというと、足を組んでぼーっとしてるかと思えば、下を向く私の顔を覗き込んできた。
にやりと笑った桔梗は指名もされていないのに立ち上がる。

「じゃあ俺と牡丹で決定で」

担任の声を遮るような低い声はよく通った。一気に教室がざわざわする。
ちょっとそれは、という周りの女子の声を聞いて、桔梗は言い放つ。

「文句あるならお前がやれよ」

無理がある言い訳を放ち、どうせやる気ねぇんだろ、と桔梗は教室を見回した。
みんなが冷たい目で見ているにもかかわらず、桔梗はにこにこして黒板に私と桔梗の名前を書いた。

「じゃあ、今日からよろしく」

わたしは目の前に差し出された桔梗の右手を見つめる。
戸惑いながらゆっくり右手を出すと、線が細くてしっかりした桔梗の手に強く握られた。
桔梗に勝手に決められて、私もやることになってしまった。
微妙な空気で気まずい。周りからの視線が気になって仕方なかった。

「学級委員の、なんで?」

話し合いが終わってから桔梗に声をかけた。
桔梗に私から話しかけたのは自己紹介のときぶりだ。

「断れなさそうだなって思ったから」

言葉足らずの説明に理解が追いつかない。よくわかってない私の顔を見た桔梗がだから、と強く言ったので少し怯んでしまった。
桔梗が出している雰囲気といい、外見といい、高校生に見えないほど怖い。

「あ、ごめん。別に怒ってはない」

怖がる私を見て桔梗は静かに呟いた。
私も少し安心して、ゆっくり体の力を抜いた。

「嫌なのに断れないなら、俺が一緒にやって手伝ってあげようって思っただけ。だって俺はもう知ってる人だろ?」

なんで桔梗はわかったのだろうか。
私はそんなに顔に出るタイプじゃない。
基本的にみんなにとって都合が良いように合わせられる。
まだ会って数日の桔梗が私の性格を見抜けるわけがない。
なんて返すべきかがわからずおどおどしていると、桔梗はスマホをポケットに突っ込んで席を立った。

「いいじゃん。俺とならまだやりやすいっしょ」

全く先のことを考えてなくて正直困った。
でも桔梗となら悪くはないかもしれない。
ちょっとだけ、そう思った。

学級委員になってしまうと目立つことも増える。私は苦手なことだけど、桔梗に全部任せるのも申し訳ない。
それにまだ桔梗に慣れなくて話しかけられない。
桔梗から話しかけても来ないし、友達ではなく学級委員としてでも仲良くなれそうになかった。

事件が起きたのは昼休みでのこと。
授業で使う副教材を取ってきてほしいと言われて、桔梗と二人で黙って廊下を進む。
20冊ずつ持った。薄い副教材とはいえ、かなり重い。重くて教室に行くなんてできそうにない。
なのに桔梗は軽々と持って先に教室を出てしまった。
ちょっとは手伝ってよ、と思いながら口にはできず、小走りで広い背中を追いかける。

階段を下るとき、足元が見えないから慎重に降りているつもりだった。
二段先ぐらいに桔梗がいて、身軽にスタスタとおりているので置いていかれないように私も少しずつスピードを上げた。
前から来た同学年の女子たちと軽くぶつかってしまい、私はそのままバランスを崩す。


前にいた桔梗と副教材と一緒に残りわずかだった階段から転がり落ちた。