寮生活をやめて実家であるガスターク家に戻った私は、その後ひたすら学内外での社交と人脈づくりに励んだ。

味方作りは生命線だ。

私はゲームの別ルートで得た知識も使いつつ、全力で学園に貢献して味方を増やしていった。
たとえば人手不足の生徒会に入って、副会長として運営を支えたり。
廃部寸前のペタンク部を支援して、国内随一の強豪部に育て上げたり。(ちなみにペタンクは結構ニッチな球技である)。

学内だけでも相当忙しかったけど、さらに自宅では兄からみっちりと領地経営を叩きこまれた……。
兄、涼やかに笑いつつシゴキがえぐい。
収支決算書や灌漑候補地の検討書などを丁寧に積み上げ紙の重さだけで圧殺できるくらいのボリュームに整えてから、毎週のように優しく肩に乗せてくる。
この人、氷の侯爵じゃなかったらしい。
ちょっと親しくなってきたら、ドSの本性が見えてきた。

この過密スケジュールに王妃教育も含めてこなす私は、なかなかのマルチタスカーなのではなかろうか。

さらに私は『資産作り』も欠かさなかった。婚約破棄後にもしガスターク家から勘当されたら、平民として生きなければならないからだ。
資産はカジノでこしらえた。
原作アプリのミニゲームで鍛えた『カジノ・ルーレット』のテクニックが役立った。
この恋愛アプリ、ミニゲームがすごく充実してまして。
カジノとか音ゲーとか、いろんなおまけが楽しめたのだ。

ミニゲーム『カジノ・ルーレット』では、スピンホイールを高速回転するボールがやや減速し始めたタイミングで画面を三連続タップすると賭けた場所にボールが止まってくれる――というチートがある。
要するに、タイミングゲーだ。
こっちの世界でも試しに指を三回タップしてみたら、ガチで賭けた場所に止まった。
楽勝で資産ができた。

そんなこんなで、間もなく二年生が終了する。
私が多忙を極める一方、ユードリヒ殿下とアイラは順調に愛を育んでいるようだった。

仲良しの令嬢たちが、鼻息荒く教えてくれる。

ユードリヒ殿下とアイラ嬢は、人目をはばからず校内でイチャイチャしていた。
屋上で抱き合っていた。
体育倉庫でなんとかかんとか。
「ミレーユ様はこんなに全校生徒のために尽くしているのに……王太子殿下はあの男爵令嬢と遊び惚けているばかり! この国の将来が危ぶまれますわ」

よし行け、その調子だ。
私の評価が上がって彼らが勝手に下がってくれるなら、たいへん有難いお話だ。
ゲームではミレーユがもたらした障害を乗り越えることで、二人の親密度や周囲の評価が高まっていく仕様だったが。
私が関わらなくても勝手にイチャついて、評判を落としてくれるなら最高である。

……このままいけば、殿下と破局するときも『ミレーユに瑕疵はなく、王太子側の有責である』という流れに持っていけるかもしれない。

そうなれば、私は気兼ねなく推し活に励めるようになる。
生ノエルに会う日を心の支えにして、日々着々と『善行』を積む私であった。





(さて。そろそろ良いタイミングかしら)

ある日の放課後、私は『重要な作戦』を実行に移そうと決めた。
これまで避け続けていたアイラ・ドノバン男爵令嬢に、進級パーティ以来初めて接触することにしたのだ。

たくさんの生徒で溢れる学内カフェに、私はアイラを呼び出していた。

「……わたしになにかご用でしょうか、ミレーユ様」

私の待ち構えるテーブルに、不安げな表情のアイラが近寄ってくる。庇護欲を掻き立てる美少女の小柄な体躯は、カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ震えていた。
めっちゃ震えてるな。
他人の目には、ふてぶてしい悪役令嬢がか弱い女生徒をイビってるように見えそうだ。
――やはり状況を整えてからにしておいて、よかった。

私は悲しげな表情を浮かべ、周囲に聞こえる大きな声でこう言った。
「実は私、ずっとあなたに謝罪をしたかったのです……!」
「……謝罪?」
「ええ。1年生のとき、私はあなたの贈ってくれた花束を滅茶苦茶にしてしまったでしょう? ずっと反省していたのに、謝る勇気が出せなくて」

私はテーブルの下に隠していた小箱を、アイラの前に差し出した。可愛くラッピングしてあるそれは、お詫びの品だ。

「アイラ様。あのときは本当に申し訳ありませんでした。私の非礼をどうかお許し下さい」

花束事件に対する、公衆の面前での謝罪。
積み上げてきた人望と実績のおかげで、今では私に好印象を持つ人もかなり増えたし。
これで過去のやらかしをチャラに出来たら嬉しいんだけど……。

しかしアイラは、
「ひ、ひどい……ひどいですぅ、ミレーユ様ったら!」
ピンク色の大きな瞳を潤ませて、涙をこぼし始めた。
……え? なぜ泣く?

「あのときのことを思い出すと、わたし、悲しくて悲しくて……。今さら思い出させるなんて、本当にひどい人……! 心を込めて選んだお花だったのに……それなのに」
アイラは両手で顔を覆って、ぐすんぐすんと肩を上下させている。
なにか言おうとしたらしく、アイラはふと顔をあげた。彼女が唇を開いた瞬間――

「ミレーユ! 貴様、アイラを泣かせたな!?」
来た、ユードリヒ。呼んでないのに。
つかつかつかと勇ましい靴音を響かせて私の席を通り過ぎ、ユードリヒ殿下はアイラを立たせて愛おしげに肩を抱いた。

「怖かっただろう、アイラ。こんな女の呼び出しに応じるなんて、君はなんて誠実なんだ……」
「ユード様……!」
からの、見つめ合う2人。公衆の面前で。
「ミレーユ、見え透いた真似はよせ。謝罪の品と見せかけて、どうせ毒針でも忍ばせているのだろう。お前はそういう嫉妬深くて陰険な女だ」
「そんな、これはただのアクセサリーですわ」

「お前のアクセサリーなどアイラには不要だ! 彼女の欲しいものはいつも何度でも私が即座に与えている!」
言ってる。
公衆の面前で。
婚約者には誕生日プレゼントさえ寄越さないくせに。
愛人には秒で貢ぐのか。

「お前の謝罪ごっこなど受け入れるものか! この『花の国』フローレン王国にあって、贈られた花を捨てるなど言語道断。建国神話になぞらえた最悪の非礼と心得よ。己の浅はかさを一生悔いるがいい」

さあ、行こうアイラ――と囁くと、殿下はアイラと歩き出す。
周囲の好奇の目を遮るように彼女をかばいながら、堂々たる挙措でカフェから去っていった。……神経太いな、王太子。
婚約者と衆人の前で浮気発言とは。
もう、王太子側の有責ってことで決着してもいいんじゃないですか?
……それでもきっと、王太子は『ミレーユの瑕疵』って方向に持っていこうとするんだろうな。
メンドクサイなぁ。

周囲の学生たちは、置き去りにされた私をちらちらと見ていた――憐みの目やら、好奇の目やら。


(……うーん、残念。謝罪作戦は失敗ね)

でもまぁ、受け入れてもらえなかったとはいえ謝罪の既成事実は作れたし。
人の多い場所で謝ったのも、私に人望が集まってきたタイミングを選んだのも計算通りだし。
ひとまず、これで良しとしよう。

ふぅ、と溜息をついて私は立ち上がった。
今日はこれから大事なお約束があるので、学校でゆっくりしてはいられない。


   *

学園を出た私は、馬車でまっすぐメルデル公爵邸へと向かった。

「ミレーユさん、よく来てくれたわ。楽になさって」
「ありがとうございます、カミラ様」

御年60歳になられる貴婦人・カミラ様は、メルデル公爵家の女当主を務めるお方だ。

メルデル公爵家は、三大派閥のひとつ『保守派(グラジオラス)』を束ねる筆頭家門。
しかもカミラ様は国内各所の貴族学園の統括業務を預かる『学務長官』の役職も持っていらっしゃる方で、要するに辣腕家なのである。
夫に先立たれ、家を継ぐべき息子たち3人が次々と不幸に見舞われたため、お年を召した今でも現役当主を務めていらっしゃる。ちなみに、次期当主であるお孫さんのロバート様は、現在まだ8歳だ。

「カミラ様。もしよろしければ、こちらをどうぞ。お口に合うと嬉しいのですけれど」
ガスターク領特産である高級羊の干し肉を、今日はお土産に持ってきた。
「貧血に効くので、どうぞ」
と言って渡すと、カミラ様は
「まぁ! 嬉しいわ、ミレーユさん」
と笑顔で受け取ってくれた。

「ミレーユさんが教えてくれたお食事療法、とてもよく効きましてよ。おかげで最近、動悸や眩暈がありませんの」
「お役に立てて光栄ですわ」

半年前の社交サロンで、私はカミラ様と初めて接触した。
お化粧でごまかしきれないほど顔が青白く、手指の爪が少し反っていたカミラ様。
隠しきれない疲れが滲み、呼吸も少し浅かった。
だから私は、彼女が貧血ではないかと疑ったのだ。
前世のことはあまり覚えていないのだけれど、たぶん介護系の仕事をしていた気がする。だから彼女の症状を見て、ピンと来た。

カミラ様は貧血だ。

貧血に効く食事や生活習慣を、さりげなくアドバイスしてみた。
こっちの世界は医学がまだまだ発展途上で、貧血という病気は知られていない。だから、他国の文献で得た知識だと言っておいた。

それから半年。
カミラ様はすっかり健康になり、今では私を年齢の離れたお友達として扱ってくださる。大変光栄だ。
カミラ様はこのゲームの超重要人物だし。

カミラ・メルデル女公爵は、王太子ルートでのヒロインのハッピーエンドに必須の人物なのである。
ヒロインは、3年生の夏休みにメルデル公爵家に養子入りして、出世魚のように男爵令嬢から公爵令嬢へと昇格する。『実はヒロインは、メルデル女公爵の孫娘だった』という真実が夏休み中のイベントで判明するからだ。

ゲーム内では、アイラは休日や夏休みに孤児院や病院などでボランティア活動をしていた。
夏休みの病院ボランティアのとき、入院中のカミラ・メルデル女公爵に出会って『あなたを見ていると、なぜか息子を思い出すのよ……』と言われる。
それもそのはず、実はアイラの実父はカミラ様の長男だった。
平民の女性を愛してしまい、二十年近く前に勘当されていたのだ。

長男は平民落ちしてその女性と結婚するが、アイラが生まれた日に仕事中の事故で死亡。
アイラの母は、赤ん坊のアイラを連れてドノバン男爵家の住み込み使用人となる。
その母親も数年後に流行り病で病死してしまい、孤児のアイラを不憫に思ったドノバン男爵が養子に迎えていた――というのがバックグラウンドである。

有力貴族メルデル公爵家の令嬢として成り上がったアイラは、メルデル公爵家の後ろ盾を得て卒業後に王太子妃となる。
ということで、アイラの成り上がりフラグは一応へし折っておくことにした。

悪事を働いた訳ではない。
カミラ様を健康にして、入院不要な状態にしただけだ。

「ミレーユさんのおかげで、わたくしまだまだ現役でいられそうよ。ミレーユさんがわたくしの娘だったらよかったのに! 跡取りのロバートがあと10年早く生まれていたら、あなたの夫にと申し出ていたのだけれど。でもいずれにせよ難しいわよね……あなたはユードリヒ殿下の婚約者ですもの。本当に残念だわ」

……おほほ。とお茶を濁しておいた。
お元気そうで何よりです。



そんな具合で、私の身辺はおおむね順調だった。
順調だったのだが。


   *

「ミレーユ、お前に王妃陛下からの召喚命令が来ている。お前、一体なにをしでかした?」
と夕食の席で兄に言われて、テンションが急降下した。

王妃陛下からの召喚?
どうやら私は、何かをやらかしてしまったようだ……。