キャアアア。

どどど、どうしよう。

今、陽斗くんと見つめ合ってる。

彼の綺麗な瞳が私を捉えている!

ぴったりと。

まるで糸で結ばれたみたいにっ。

その状態のまま、私たちは微動だにしなかった。

いったい、どれだけの時間が過ぎたのだろうか。

三秒?

一時間?

一週間?

私と陽斗くんは、どれくらい見つめ合っていたんだろう。

いいや。

わかっている。

きっと、それは僅かな時間に過ぎなかった。

でも。

でもね。

私にはものすごく濃密で、時間なんて存在しない特別な瞬間に思えたんだ。

その間に、いったいどれほどのシーンが私の頭をよぎっていったことか。

憧れのオーランド様の素敵な車で、ドライブをするシーンとか。

推しのオーランド様と二人で、水族館を歩き回るシーンとか。

イルカとオーランド様を交互に見て、感動するシーンとか。

あるいは。

あるいは、どんなシーンも、じつは頭をよぎってなんかいなかったのかも。

だって。

だってね。

私には今、キミのことしか見えていないんだもん!

朝野陽斗くん。

最近、私はキミのことを少しずつだけど、知りつつあるんだよ。

少し短気なところもあったり、それが情熱的でもあったり。

意外と後先を考えずに突っ走ってしまうところもあったり。

そのくせに、後になってから、後悔しているキミの姿とか。

あとは、あとは――。

そう、キミは隠しているけど、じつはヴァンパイアだってこと。

そんなキミが献血ルームでアルバイトをしていることとか。

私、すごく幸せだよ。

全ては、高校の入学式のあの日から、はじまったんだよね。

通学路の途中、私が溝に誤って落とした人形を、キミが拾ってくれたときから。

制服をどろどろにしながら、キミが見ず知らずの私に親切にしてくれたときから。

初めて男の子に親切にされて、少しびっくりして、かなり照れ臭かったあのときから。

陽斗くん。

まだ、私はキミを見つめている。

まだ、キミも私を見つめてくれている。

私の瞳がハッキリとキミを捉えている。

キミの瞳がしっかりと私を捉えている。

心臓の鼓動が心地よく動いている。

早いけど、不快ではない。

ドキドキ、ドキドキって。

でも。

それって、時間が動いているってことなんだよね。

つまり、この時間はもうすぐ動いてしまうんだよね。

この瞬間は、いつか思い出されるだけの、あの日のワンシーンになっちゃうんだよね。

それともあるいは、記憶からすっぽりと抜け落ちてしまう、あったかどうかも定かでないワンシーンになっちゃうんだよね。

……嫌だよぉ。

そんなの、絶対に嫌だよ。

神さま、お祖母ちゃん。

どうか、どうか。

私は願った。

過去、これほどまでに強く願ったことのないくらいに。

お願いします、どうか。

このままで、いさせて。

このまま時間よ止まれ。

一秒も流れないで。

動かないで。

このままで。

このままで。

私は彼の瞳を見ている。

まだ見ている。

ずっとでも見ていられる。

オーランド様もいい。

オーランド様はすごく素敵だ。

でも。

でもね。

私は――やっぱり血祭くんが好き。

「あ」

そのとき、水族館のアナウンスが聞こえてきた。

『まもなく午後七時より、神秘的な光が美しいウミホタルとヤコウタケの発光実験を開催いたします――』

私の心臓はまだドキドキしている。

だけど。

だけど。

「ごめん」

そういった陽斗くんが、私から目を逸らしてしまったんだ。

まるでチョキンと、結ばれた糸が切れるみたいに。

微動だにせず、時が止まっていたあの感覚は、もう消えてしまっていた。

かけがえのないこの瞬間が、ゆっくりといつか思い出される、記憶のワンシーンへと変化していく。

ゆっくりと。

そうして、世界はふたたびリズムを取り戻すみたいにして時を刻みはじめた。

ゆっくりと。

私の鼓動もリズミカルに、慣れ親しんだいつもの時間と調子を合わせていく。

ゆっくりと。

「あっ……」

そのとき私はハッとして、陽斗くんの背中からさっと手を放した。

うそぉ……。

私ったら、ずっと陽斗くんの背中をさすってたんだぁ……。

どどど、どうしよう。

ずっと目を見つめながら、背中をさすっていたなんて……。

寒風摩擦?

乾布摩擦?

とにかく、あぁ……。

嫌われちゃうよぉ。

もうおしまいだぁ。

そんな恐怖が脳裏をかすめ、気付くと私は一歩後ずさり、彼から距離をとってしまっていたんだ。

ごめんね。

ごめんね。

ほんと、ごめん。

陽斗くん……。

謝るのは、私の方だよ。

背中、痛くなかった?

いや、絶対に痛かったよね……。 

なんだか、すごく切ない。

なんだか、すごく悲しい。

後ずさりする私が、とても腹立たしい。

陽斗くんから離れるなんて嫌すぎるよ。

でも。

でも。

恐怖の感情が勝ってしまった私は、思いとは裏腹に、彼に背を向けるのだった。

「?」

そのとき、私の視界も慣れ親しんだいつもの日常風景にピントを合わせていた。

思いのほか、水族館の外にはたくさんの人がいたんだと、後になってそう気がついた。

みんな、ライトアップされたピラミッド型の水族館の建物をバックに写真を撮っている。

まったく見えていなかったよ。

なんかすごく恥ずかしい……。

私と陽斗くんの周りには、家族連れやカップルなんかがたくさんいて、みんなワイワイと楽しそうにしていた。

あれ? 

車の音?

次に、私の世界に入って来たのは、目の前を右に左にと行き交うたくさんの車で。

そっかぁ。

どんどんと私の聴覚が、現実の世界の音を拾いはじめているんだと気がついた。

そっかぁ。

そっかぁ……。

そんなことに気づいたときにはもう、私の胸には大きな穴が開いていたんだ。

ぽっかりとした喪失感が。

私の特別な瞬間は、もう終わりを告げたんだ――。

「神宮司さんっ」

そのとき。

「えっ」

私がハッとして振り返ると、彼のよく通る声が、また私の聴覚を刺激していた。

陽斗くんは、無理矢理に口角を上げるみたいにして、私に微笑んでくれていた。

「あのっ」

「うん」

「あ、あの」

「うんっ」

「……もしよかったら」

「う、うんっ」

「一緒に……」

「うんっ、うん」

「一緒にこれから」

「うんっ、一緒に?」

「海でも歩かない?」

「海……」

もういちど、私は彼を見つめた。

じっと彼を見つめた。

私の五感は今、闘っている。

特別な瞬間と慣れ親しんだ世界との狭間で、闘っている。

どっちの世界にピントを合わせようかと、私の体がとても困惑しているのがわかる。

「陽斗くん……」

「どうかな?」

「うん……」

そのとき、あれ、と私はふと思う。

陽斗くんはニッコリと微笑んでくれているけど、少し緊張した面持ちだった。

そんなふうに見えたのは、私の気のせいなのかな?

けど。

けど。

いや……。

なんとなく、私にはわかったんだ。

キミが、なにかを伝えようとしているって。

覚悟を決めたみたいに、私になにかを伝えようとしている。

陽斗くん。

正直、私は怖くもあった。

嬉しいけど、聞きたくない。

なにをいわれるのか想像もつかない。

いったい、なにをいわれるんだろう……。

聞けば、今までの瞬間がうそになる、そんな気がしたんだ。

でも。

でも。

ひとつ確かなのは、彼の瞳がまだ、私をしっかりと捉えてくれていることだった。

だから。

だから。

私は素直に頷いた。

「……い、いいい、いいよぉ」

真剣なキミの瞳を見て、私はもう頷くことしか出来なかったんだ。