◯万里と美紅の部屋(昼)
楔学園に入学してから初めての休日。
椿は美紅に誘われて万里と美紅の部屋に遊びに来た。
栢は上流階級の吸血鬼として、参加しなければならない会議のため外出中。
万里「栢の部屋に比べると狭いでしょ?」
万里の言うとおり栢の部屋に比べるとふた周り近く狭い部屋。
椿「そんなことないよ。私が以前暮らしていた部屋なんてバスルームよりも狭かったから」
バスルームよりも狭い部屋があることに驚く万里。
万里「苦労したんだね」
椿の肩にぽんと手を置く万里。
美紅「こんなところで立ち話なんてしてないで、早く座って」
椿をソファへと座らせる美紅。
椿の前に美紅、その隣に万里が腰を下ろす。
椿「あのこれ栢様から」
栢から手土産として預かったクッキー缶を手渡す椿。
美紅「このクッキーってあの有名店の! さすが栢様」
美紅がクッキーにあう紅茶を入れて、雑談を始める3人。
万里もクッキーを一枚食べる。
椿「万里くんは血以外の食事も取るの?」
万里「うん。正直、味はわからないけどね」
美紅「味がわからないなら食べなければいいのにね?」
万里に対して辛辣な美紅。
苦笑いを浮かべる椿。
万里「でも、美紅の手料理が激まずなのはわかるよ」
仕返しのように万里が美紅に言う。
美紅「椿の前で余計なこと言わないでよ」
美紅が頬を膨らませる。
ティーカップを口元へ運んだとき、美紅が椿の首元を見てなにかに気づいた。
美紅「椿、首に……」
洋服にタグがついていると言いたかった美紅。
しかし、椿は昨夜の噛み跡だと思い咄嗟に首を押えた。
美紅「なにー。栢様に血でも吸われた?」
美紅も栢が人間の血を好まないことを知っている。冗談のつもりで聞いた。
けれど、昨夜のことを思い出して赤くなる椿。
椿「ど、どうしてわかったの」
美紅「へー……。そうなんだ、栢様が飲んだんだ。人間の血を」
美紅から一瞬、笑顔が消える。
万里「…………」
万里は美紅の変化を見逃さなかった。
美紅はまたいつもと変わらない口調で椿に問う。
美紅「で、どうだった? 痛かった? 気持ちよかった?」
椿に詰め寄る美紅。
椿「そ、そんなこと聞かれても」
椿(一瞬、ちくりとした痛みは走ったけど、思っていたよりも痛くはなかった。気持ちは……)
わずかに快楽を感じた気がする椿。
でも、それを口にすることはなかった。
美紅「えー減るものじゃないし教えてよ。万里はね普段は優しいんだけど血を吸うときだけ、ちょっぴりSなんだよね」
万里「おーい、なに人の性癖カミングアウトしちゃってるの」
美紅の口にクッキーをつっこむ万里。
椿「ふたりって本当に仲がいいね」
口につっこまれたクッキーを食べる美紅の代わりに万里が答える。
万里「吸血鬼と人間の間では珍しいんだけど、俺たちの両親は仲が良くて、俺は美紅が生まれたときから知ってるんだ。いわゆる幼なじみってやつ?」
吸血鬼と人間では年の取り方が違う。
美紅が生まれたときも、万里の姿は今とそう変わらなかった。
椿「人間と吸血鬼の幼なじみ」
吸血鬼を憎んでいた椿には信じられない話だった。
万里「俺が美紅をずっと見守ってた感じかな。おむつを替えてあげたことだってあるし」
今と変わらない見た目の万里と、隣ですくすくと成長する美紅のイメージ図。
美紅「ちょ、そんな話をしないでよ」
万里「さっきの仕返しだよー」
美紅と万里と楽しい時間を過ごした椿。
─翌日─
◯学校・4限目終了後
必修科目(人間のみ)の授業を別棟で受けた椿と美紅は本棟へ続く廊下を歩いていた。
美紅「あ、教室にノート置いてきちゃった。取りに戻らないと」
椿「私も一緒に行こうか?」
美紅「ありがとう。でも、ひとりで大丈夫! 椿は先に戻ってて」
椿「わかった」
椿は歩いていると近くに温室を見つけた。
椿(あんなところに温室なんてあったんだ。美紅ちゃん、もう少し時間がかかるだろうから、少しだけ寄ってみようかな)
温室へと歩く椿。
男の口元だけが映るコマ。
男「相変わらず危機感がないね」
◯教室
栢と万里の元に美紅が駆け寄る。
栢「椿はどうした?」
美紅「椿なら先に戻りましたよ。……まだ帰ってきてませんか?」
教室を見渡す美紅。
栢が席を立つ。
美紅「栢様は座っていてください。私が、」
美紅の言葉を最後まで聞かずに走りだす栢。
その様子を頬杖をつきながら見ていた万里。
異変を感じて椿を捜す栢。
昼休みということもあり、校内は吸血鬼と人でごった返している。
日光の下だろうが気にせず椿を捜す栢。
匂いをたどれば簡単に椿を見つけられるはずなのに、なぜか鼻が効かない。
学園内には濃い血の匂いが充満していた。
栢の額から流れる汗、乱れる呼吸。
栢「……どこに行ったんだ」
◯学園内にある温室
温室内には多様な植物が植えられている。
日光が届くように全体がガラス張り。
椿「綺麗。こんなところがあったんだ」
椿にとってはなにもかもが新鮮で少しかがみながら、ひとつのひとつ観察する。
男「綺麗だよね」
なんの音も立てず、椿の背後から声をかけてきた男(見た目は20歳くらい)。パーカーのフードを深く被っている。
驚いた椿は振り向きざまにバランスを崩す。
倒れかけた椿の手を取る男。
男「おっと、大丈夫?」
フードが脱げて男の顔があらわになる。
どこにでもいるような普通の男。
男からさっと手を引き、お礼を伝える椿。
椿「ありがとうございます」
登校初日、変な男に目をつけられた椿。
万里にも危機感を持ったほうがいいと言われたことを思い出し、温室から出ようとする。
でも、男が椿の腕を掴む。
男「花を見るよりも楽しいことしようよ」
男は近くにあったテーブルに椿を押し倒した。
椿は太ももにある銃を手に取るが、両手をテーブルに押さえつけられて身動きが取れなくなる。
手から滑り落ちた銃は地面にカーンと音を鳴らして落ちた。
男「顔はまぁ、悪くないな」
椿の両手を片手で拘束すると、顎をくいっと持ち上げる男。
男がねっとりと舌なめずりをする。
牙が見える。
椿(この男も吸血鬼なの……?)
どうにか男の手から逃れようとする椿。
男「なに抵抗しようとしてんの。Fランごときが」
楔学園に来てから温かい輪の中にいた椿。
男の態度に自分が本来受けていた扱いを思い出す。
男「こっちだって頼まれなきゃお前みたいな女の血なんて飲みたくねーよ」
男「Fランなんて生きてても辛いだけだろう」
椿(男の言うとおりだ。私はずっと死にたいと思っていた)
いつの間にか“思っている”ではなく、“思っていた”と過去形で語る椿。
栢や美紅との出会いの中で、生きる喜びを感じていた。
椿に噛みつこうとする男。
男の言葉に辛い毎日を思い出す椿。
椿(抵抗する必要あるのかな。でも、栢様以外に噛まれるのは──)
椿が抵抗をやめたそのとき、パリンとガラスの割れる音がした。
椿と男は横から聞こえた音に視線を移す。
ガラスを割って入ってきたのは栢だった。
顔や体には無数の傷。
しかし、歩いてくる間に吸血鬼の治癒の力で治る。
椿「かや……さま」
栢は怒りに満ちた表情で椿から男を引き離すと、首を掴んでガラスの壁へと押し付けた。
男の首には栢の爪が食い込み、そこからドバドバと血が流れる。
男「い、いづき、さ……ま」
男は口からも血を吐き出す。
椿はなにが起きたのかわからず、すぐには動けなかったが、栢の腕を掴み止めようとする。
椿「か、栢様。死ぬ。その人死んじゃいます」
栢「……吸血鬼はこの程度では死なない」
椿(栢様、顔色が悪い……?)
日光を長く浴びたせいで、辛そうな栢。
椿「栢様!」
椿が栢を横から抱きしめる。
男の首を掴んでいた栢の力は緩み、男がべシャリと地面に崩れ落ちた。
血の水たまりに男は倒れるが、息はある。
栢「この学園には二度と戻れないと思え」
栢は男にそう吐き捨てると、椿を連れて温室を後にした。
栢(椿につけた印に気づかなかったのか? いや、そもそもなにかがおかしい)
栢は椿が襲われたことに違和感を覚える。
栢「…………っ」
体力に限界が来て、ふらつく栢。
椿は栢に肩を貸し、近くの休憩室へと入った。
休憩室のベッドに栢を座らせる。
椿「栢様、大丈夫ですか⁉」
栢「俺は大丈夫だ。それよりも椿は平気か。あの男になにもされなかったか」
椿「私は平気です。栢様が助けに来てくれたから」
栢は椿を自分の元へと引き寄せる。
栢「よかった。椿になにかあったら俺は……」
椿(栢様……?)
栢の体温が異常に高いことに気づく椿。
椿「栢様、熱でもあるんですか?」
栢「少し日の光にあたっただけだ」
椿(日の光に? どうして)
椿「もしかして、私を捜して……?」
椿の言葉に力なく微笑んだ栢。
椿「ち、血を飲んでください。そしたら回復しますか?」
ネクタイを解き、ブラウスのボタンを外す椿。
栢「昨夜もらったばかりだ。椿の体に負担をかけるわけにはいかない」
椿「でも、」
栢「だめだ」
椿「じゃあ、血液パックを取りに戻ります」
今にも走りだしそうな椿の腕を掴む栢。
栢「行くな。俺のそばから離れるな」
椿「私より、自分の体のことを心配してください」
椿(吸血鬼にこんな言葉をかける日が来るなんて思わなかった。だけど、栢様は私がずっと恨んでいた吸血鬼とは違う)
栢「まだ死にたいと思っているのか?」
椿「え?」
栢「さっき諦めていただろう」
椿「…………」
栢「お前を殺すのは俺だ。だから、誰にも許すな。血だけじゃない、心も体も。 椿に触れる男が他にいたら、俺はどうにかなりそうだ」
椿「私も今日思いました。栢様以外に噛まれるのは嫌だって」
栢「そうか」
椿の言葉に安堵した栢は、力が抜けベッドに片腕をつく。
椿「すぐに血液パックを持ってきます。栢様は横になっていてください」
走って部屋に戻った椿は、冷蔵庫からいくつかの血液パックと錠剤を手に取ると、休憩室へと戻った。
休憩室の扉が少し開いていることに気づいた椿。
10センチほどの隙間から栢とキスをする美紅の姿が目に入った。
椿(…………え?)