◯ベッドルーム(朝)


─2話の翌日─

キングサイズのベッドの上で目を覚ます椿。

椿「ここ……どこ」

目をこすると、ぼやけた視界にいつもとは違う光景が広がる。

目の前には、はだけたバスローブから覗く栢の胸板。

椿「……⁉」

驚いた椿は飛び起きる。

隣には紺色のバスローブを着て眠る栢の姿があった。

美しい寝顔に見惚れて数秒。昨日のできごとを思い出す。

椿(そ、そうだった。私は昨日この吸血鬼に連れられて楔学園へとやって来たんだ。でも、どうして一緒に眠っているの?)





(回想)昨夜のことを思い出す椿

◯栢の部屋(夜)


栢と同部屋だと知り身構える椿。

栢が手を伸ばすと椿はぎゅっと瞼を閉じた。

栢は椿のリュックを手に取る。

椿「あっ」

リュックに伸ばした手を栢に掴まれる椿。

栢「その傷は昨日のものか?」

椿の指にはカッターで切った傷が残っていた。

栢「すぐに気づいてやれなくて悪かったな」

栢は椿の手を取ると、傷跡に舌を這わせる。

椿があ然としている間に治る傷。

椿(傷が一瞬にして治った。これも吸血鬼の能力なの? それよりも今、私の指を……)

栢「今日は疲れただろう。風呂にでも入って休むといい」

椿(確かあの後、そう言われてバスルームに案内されたんだ)


大理石の壁にバスタブはふたつ。
自分の部屋よりも大きなバスルームに落ち着かない様子の椿。
大きなバスタブなのに端っこに座る。

脱衣所には下着からバスローブまで新品のものが用意されていたが、椿は持ってきたワンピース型の寝間着に着替えた。

部屋に戻るとそこに栢の姿は見当たらず、ソファに腰掛けた椿。

椿(それ以降の記憶がない。もしかして、寝落ちしたの? じゃあ、この人はここまで私を運んできてくれたってこと?)

なにかを思い出したかのように、はっとする椿。

近くにあった鏡で自分の首筋を確認するが、そこに噛み跡はなかった。

ほっと胸を撫で下ろす。

椿(吸血鬼に殺されることを望んでいたのに、ほっとするなんて……)

栢「よく眠れたか」

栢の声に振り向く椿。
ベッドの上で頬杖をつきながら椿を観察していた栢。


椿「あ、えっと……はい」

栢「そうか、よかった」

起き上がった栢は椿の横を通るとき、頭にぽんっと優しく触れる。

栢「今日は編入の準備で忙しくなるからな」

椿(そうだ。私は楔学園に通うんだ)

栢「まずはメイドが採寸をしにくる」

栢はそう言うと、バスローブを近くの椅子へと脱ぎ捨てた。

栢の引き締まった背中が目に入り、椿は視線を逸らす。

椿「は、はい」

栢「その前に朝食だな」

栢は近くにあった受話器を手に取り、朝食を頼んだ。


数分後。

メイドが朝食を持って訪れた。

クロワッサン、コーンスープ、サラダ、オムレツ、ソーセージ、フルーツ。

用意されたのはひとり分の朝食で、椿は当然栢のものだと思う。

栢「……食べないのか?」

椿「え……あなたの朝食じゃ」

栢「俺はこれでいい」

栢はそう言うと冷蔵庫の中からパウチ容器を取り出した。中身は赤い。

椿(もしかしてあれって血液?)

栢「早くしないと冷めるぞ」

椿「は、はい」

席につき、両手を合わせる椿。

椿「いただきます」

オムレツにフォークを突き刺す。

あまりの待遇のよさになにかの罠ではないかと疑う椿。

椿(……餌っていうからもっと乱暴な扱いを受けると思ったのに。あの人は私の血すら飲もうとしない。……やっぱり不味かったのかな。だとしたら、どうして私を連れてきたの?)

栢の真意がわからないまま、オムレツを口に運ぶ椿。

椿「……美味しい」

あまりの美味しさに思わず感想を述べる椿。口元にはケチャップがついている。

栢は親指で椿の口元についたケチャップを拭うと、その指を舐めた。


椿「…………へ?」


なにが起きたのかわからなくて、一瞬フリーズする椿。


栢「ついてた」

顔を真っ赤にする椿。今まで同性とすらまともに話したことのない椿は異性(同世代)への免疫がない。

椿「た、食べても平気なんですか」


栢「人間の食べ物を口に入れても害はない。ただ、必要もない」

椿「それじゃあ食事は……」

栢「人間の血を直接飲むか、血液パック、もしくはタブレットだな」

椿「そうなんですね。それなら、人から血を貰わなくても生きていけるってことですか?」

栢「血液パックやタブレットはランクにもよるが、一般層が手を出せる価格じゃない」

椿(だから吸血鬼は人を襲うんだ)


椿が朝食を食べている間、栢はその様子を優しく見守っていた。


朝食を食べ終えた後、メイドが部屋を訪れる。

下着から制服まで採寸で忙しいイメージ図。
セルフカットしていた髪も綺麗に整えられた。


椿「や、やっと終わった……」

栢「俺は編入に必要な手続きをしてくる。この部屋から出るんじゃないぞ」

椿「わかりました」

栢が部屋から出て行くと椿はソファにぐったりと座り込む。

椿「私、本当にここで暮らすんだ。吸血鬼と」

憎い相手なはずなのに、瞼を閉じると栢の優しい表情ばかりが浮かぶ。

脳裏に浮かんだ栢をかき消すように首を振る椿。

椿「……パートナーなんて聞こえのいい呼び方をしているけど、実際は吸血鬼の餌。今にも本性を出して襲いかかってくるに違いない」

椿(殺されることを望んでいたけど、やっぱり死ぬのは怖い。ああ、でもすぐには殺してくれないんだった)


コンコンと扉がノックされた。

メイド「お召し物の準備が整いました」

数時間前に採寸を終えたばかりの制服や下着、ルームウェアなどがラックごと運ばれてくる。

椿(もうできたの⁉)

椿「あ、ありがとうございます」

椿が頭を下げると、メイドも同じように頭を下げた。

ラックをどこへ運ぼうか扉の付近で考えていたら、外から女の子の「きゃっ」と叫ぶ声と、大きな物音が聞こえてきた。

椿(なんの音……? 女の子の悲鳴?)


扉を少し開けてから、栢の『この部屋から出るんじゃないぞ』という言葉を思い出す。


椿「少しだけなら……」

声のした方へ向かうと、階段で女の子(東海林美紅(しょうじ みく))が膝から血を流して座り込んでいた。

東海林美紅《16歳。153センチ。肩までの長さの黒髪。ハーフツイン》


椿「大丈夫ですか」

声をかけた後、はっとする椿。

今まで同世代の人とまともに話してこなかったからだ。
椿の心配を他所に美紅は会話を続ける。

美紅「階段を踏み外しちゃって。手を貸してもらえる?」

椿「は、はい」

椿は美紅を支え立ち上がる。


美紅「ありがとう。……見ない顔ね。もしかして、編入生?」

椿「そうです」

美紅「私は東海林美紅。高等部の一年よ」

椿「私は……」

雪平という苗字を名乗るのに躊躇する椿。

椿(私が雪平の人間だと知ったら、彼女の態度も変わってしまうかもしれない)

美紅「あ、こんなところで悠長にしてる場合じゃなかった」

美紅の視線の先を見つめると、吸血鬼が物欲しそうな顔で美紅を見つめていた。

椿(そうだ。ここは吸血鬼が暮らす寮)

美紅の膝からは血が流れている。

椿「……こ、こっちです」

椿は美紅を支えながら部屋へと戻った。

大した距離を走ったわけでもないのに、肩で息をする椿と美紅。

美紅「あー、びっくりした。急に走りだすんだもん」

椿「え、だって近くに吸血鬼がいたから」

美紅「あー、あれはただの女子高生好きの吸血鬼。寮内ではパートナー以外の人間に手を出す行為は厳禁なの」

椿「な、なんだ……」

力が抜けた椿はその場に座り込む。

美紅「編入生ならまだまだ知らないことの方が多いよね。助けてくれてありがとう」

今度は美紅が手を差し出して椿を支える。

椿(……すごくいい子だ。だから、本当は黙っておきたい。でも、)

自分の苗字を伝える決心をする椿。

そのとき、ドンドンと乱暴に扉を叩かれた。

椿(もしかして、さっきの吸血鬼?)

美紅はなんの確認もせず扉を開ける。

椿は美紅を守ろうと手を引いて扉から離した。

けれど、飛び込んできたのはさっきの男のではなく同い年くらいの男の子(氷室万里(ひむろ ばんり))。

氷室万里《180センチ。年齢不詳。見た目は17~18歳。赤のメッシュが入った黒髪》


万里は美紅を一度抱きしめると、すぐ引き離して全身をチェックする。

万里「なんだ怪我か」

美紅の血の匂いがして、誰かに噛まれたのではないかと心配だった万里。


万里「でも、痛かったよね。すぐ直してあげる」

跪いた万里は美紅の足を自分の膝へと乗せると、血の出ている部分に舌を這わせた。

美紅「……んっ、ちょっと万里」

椿はいけないものを見ているような気がして、ふたりから視線を外した。


万里「治療完了」

万里が舐めたことにより、美紅の怪我は治っていた。

椿(この人も吸血鬼なの?)

美紅「万里。この子が私を助けてくれたの」

万里「どうもありがとう」

万里は椿を抱きしめる。

椿「あの、ちょっと」

急に抱きしめられて硬直する椿。

万里の首根っこを掴み椿から引き剥がす美紅。

美紅「ごめんね。万里は吸血鬼だけど、危ない奴じゃないから。私は万里のパートナーとしてこの学園に入学したの」

万里「氷室万里です。この部屋にいるってことは、栢のパートナーだよね」

椿「はい」

美紅「栢様のパートナーに選ばれるなんてすごいよ」

美紅がにっこりと笑う。

椿(栢……様? 母の態度といいあの人は絶大な権力を持つ吸血鬼なのだろうか)


万里「美紅。そろそろ授業始まるよ」

美紅「そうね。行かなきゃ。また会いましょう。椿」

美紅はそう言うと、万里と共に部屋を出た。

椿「どうして私の名前を……」

美紅が自分の名前を知っていて不思議に思う椿。

置いたままだったラックを移動しようとすると、制服の胸ポケットの部分に『TSUBAKI』と刺繍されていることに気づいた。

椿(もしかして、これを見て)

椿「なんだか嵐のような人たちだったな」

椿(だけど、不思議と嫌な気持ちはしなかった)




◯栢の部屋(夜)

栢は部屋に戻ってくるなり、椿に詰め寄った。

栢「外に出たな」

椿「えっと」

視線を逸らそうとする椿。

栢「隠そうとしても無駄だ。匂いでわかる。それに部屋にも入れただろう」

栢相手に誤魔化しは通用しないと思った椿は謝る。

椿「ごめんなさい」

両腕を掴まれて壁へと押し付けられる椿。

椿「あの、ちょっと」

焦る椿。

栢「悪い子にはお仕置きが必要だな」

栢が口を開き、その隙間から牙が見える。

噛まれると思った椿は咄嗟に瞼を閉じるが、痛みが走ったのは指先だった。

椿の右手人差し指を甘噛する栢。血を吸う行為ではない。


椿「んんっ」

栢「……臭う」

椿「お、お風呂なら昨日入りました」

栢「そういうことじゃない。俺以外の男の匂いがすると言っているんだ」

椿(もしかして、あのとき抱きしめられたから?)

栢「チッ。あいつ」

栢は舌打ちをすると椿を米俵のように抱きかかえてシャワールームへと連行する。

そして、服のまま椿をバスタブへと入れた。


椿「なにを……!」

湯船の中でワンピースの裾がめくれる。

そこから侵入しようとする栢の手。


椿「だ、だめ」

栢「俺の言いつけを守らなかった罰だ」

椿「そんなっ」

栢の指が椿の太ももを撫でる。

羞恥心から瞳を潤ませる椿。

栢は首筋に、鎖骨に、腕に、順番にキスを落としていく。

そのキスが足先まできた頃には、椿の顔は真っ赤になっていた。

栢「……これに懲りたら俺の言いつけはきちんと守ること。いいな」

栢の言葉に椿は黙って頷いた。

栢「……いい子だ」

最後に椿の頭に軽くキスをして、バスルームから出て行った栢。

椿はお湯に潜りブクブクと息を吐く。


椿(あれじゃあまるで他の人に嫉妬してるみたい。吸血鬼にとって人間はただの餌じゃないの──?)


扉の外で「はぁー」とため息をつき、椿に触れていた手を見つめる栢。

栢「ようやく手に入れたんだ。誰にも渡さない」

強く拳を握りしめた。