野党の間で被災者の生活支援金を増やそうとする動きが出てきた。
ある意味でいいようにも見えるが、東日本大震災を思い出してもらいたい。
 自主避難しておきながら避難者ぶって金に群がっていた連中が居たことを。
 金額がどうではなく、どのような施策が求められているかを判断することのほうがよほどに大事だ。
 確かに金さえ有れば何でも出来る。
金さえ渡せば感謝もされるだろう。
 しかしそれよりも避難地で生活を立て直すためには何が必要か、
仕事をするためには何が必要か、
そこに手を当てていくことのほうが大事ではないのか?
 たとえば、全盲のマッサージ師が居るとする。
その人に「300万やるから頑張れ。」と言って金を渡す。
でも周りには仕事を出来るような店舗も無ければ食料を買うための店も無い。
出掛けようにも場所も交通手段も分からない。
これでは自立できないよね。
 その人にとって何が必要で、何を手当てすべきか、
それは一人一人違うんだよね。
 金さえ渡せば支援したことになるのか?
そうではないと思う。
 ニーズを聞き、ニーズを知り、使える物を整え、
それから金が必要なら金を渡す。
 そうしないと底の抜けたコップに水を注ぎ続けるようなことになるぞ。
 そしたらまた復興のために増税するような話になるじゃないか。
出来る範囲で出来ることをやれ!
出来ないような大看板を掲げるようならそれは単なるパホーマンスだ。