「さっきの……見てましたよねぇ」


 朱莉は、樹里を下から覗き見る。あぁ……えっと。上手い返しも思い浮かばず、ただ困惑しているだけになってしまった。


「ホント最悪でしたよぉ。まだ三回目のデートだったのになぁ。あ、でも。そのくらいで分かって良かったのか。私も浮かれてたんだなぁ。ちゃんと相手を見られてなかったかも知れない」


 今起こった出来事を、まるっとなかったことにするつもりはないらしい。更には、原因が相手だけだったとも思わず、自分にも非があったと考えている。唇を噛み、悔しい気持ちが透けて見えた。そんな彼女に、どんな言葉を掛けたらいいのか。ちっとも思い浮かばない。「きっと他にいい男いるわよ」なんて陳腐なことすら、今の樹里には簡単に言えそうになかった。


「奥さんが妊娠中なのに、遊んでる男って最低だと思いません? 分かってないんですよ。これから父親になるんじゃなくって、もう既に父親だってこと。あぁもっと言ってやればよかった」


 生まれる前から、父親になる。彼女の言うことはもっともだ。よく、男は何も変わらないから分からない、なんて聞くが。例えそうだとしても、身重の相手を思い遣り、寄り添う優しさは必要だろうと思う。中には全くそれもせず、堕胎を命令するような男だっているのが現実だ。揚々と前へ進む朱莉の隣で、樹里の心は重たく沈んでいった。