ジングルベルは、もう鳴らない

「あんた馬鹿なの?」


 急に飛び込んできた苛立つ女の声に驚き、樹里が顔を上げると同時に、髪の綺麗な女が目の前の男を平手打ちした。それは躊躇うこともなく、実に見事だった。


「何すんだよ」
「アンタ、本当に馬鹿なの?」
「馬鹿って……ふざけんな」
「あのさ、まず私にそう怒る前に、自分が最低だって自覚ある? 気付かれなけりゃいいとでも思ってんの? 妊娠中の奥さんを放って、自分は若い女と遊ぼうだなんて甘いわよ。奥さん、気付いてるんじゃない。どうする? 連絡しようか。そうだ、そうしようよ。私も知らなかったとは言え、他人様の夫に手を出してしまったのは胸糞悪いもの。携帯貸して」


 彼女は、ズイッと右手を男へ差し出した。呆気に取られているのは、樹里だけではない。聴衆の目が二人だけに向けられる。それを気にしない女と、その視線に狼狽えダラダラと汗を流す男。形勢は明らかだった。叩かれた怒りで、真っ赤に染まっていた男の顔。それはもう、恥ずかしさの色に変わったのだろう。チラチラと視線を周りにやり、もういい、と言い捨て走り去って行く。それは、酷く情けない後ろ姿だった。それに対し、とても清々しい女の横顔。ひと仕事終え、スッキリとしたようにも見えた。