これが今も恋の色をしているとして、これといってアクションを起こすことはない。どうこうなりたいと願うこともなければ、距離を縮めようと計算をすることもない。それでもチラチラと気になるのだ。彼の隣にいるヒロミという女性が。朧げな記憶の彼女が、ニコッと微笑んだ。これはきっと、樹里の中で美化され、作り上げられた顔だろう。若くて、笑顔が可愛らしかった記憶がそうさせるのだ。そんなヒロミと戦ったところで、結果は見えている。それくらいは、きちんと理解していた。わざとらしく大きな溜息を吐き、ガクッと首を垂れる。足取りはひどく重たい。


「ただいま」


 ようやく着いた部屋に、いつもよりも少しだけ強く告げる。斎藤の店から、元気に歩ければ二十分ほどか。今後、同じような感覚になっても、悶々としている間に家に着くだろう。


「はぁぁぁ……」


 大きな溜息を吐いて、床の上に大の字になって転がった。投げ出した鞄に手を伸ばす。さっき、何かメッセージを受信したはずだ。鳴ったのは私用の携帯。忘れかけてた前の会社の同期からだった。


「は?」


思わず声が出たが、まぁどうでもいい話だ。今は、今のことを考えなければ。
 彼が仕事を受けてくれるとして、偶然に会ってしまうこと以外は、仕事のスタンスでいなければいけない。例えば彼女とバッティングしてしまっても、スッと表情を崩さずに……いられる気がしない。前途は多難だ。プロジェクトを思えば、斎藤を勧めたことに後悔はない。けれど今は、不安しかなかった。