「お待たせして、すみませんねぇ」


 席に辿り着く前から、そう声を掛けて来る。斎藤に一瞥をくれ、老夫婦が真っ直ぐに樹里の元へ進んで来た。母親は、腕にギプスをしている。不便だろうが、元気そうだ。樹里は、胸を撫で下ろした。


「初めまして、えぇと匡の母です」
「父です」
「松村と申します。本日はお時間をいただきまして、ありがとうございます」


 樹里は名刺を差し出し、にこやかな笑顔を作った。初ての感想は顔に出るもの。表情を崩さぬまま、ゴクリと唾を飲み込んだ。そしてすぐ、母親が口を開く。声が届くまでの一瞬が、まるでスローモーションのように見えた。


「本物だったんだねぇ」
「え? 本物、ですか」
「いやねぇ。匡が話はしてくれたんだけど、なにぶんアレでしょう。騙されてるんじゃないかと思って。ねぇ、お父さん」


 母親に問い掛けられた父親は、黙り込んだまま二度頷いた。なにぶん《《アレ》》とはなんだろう。今の話を理解できず、キョトンとしてしまったのが可笑しかったのだろうか。母親は痩せた頬を緩ませ、匡って昔からだまされやすいのよ、と耳打ちしてコロコロと笑った。