「えぇっ。いや、僕はカレー屋じゃないし。元々は小料理屋でしょ。それに今は喫茶店。カレーの勉強なんて、まだまだだし。いやぁ」
「斎藤さん。私は、あなたのカレーはとても美味しいと思っています。強過ぎないスパイス。どこか家庭の味のようでいて、そうでない。食べやすくて、ちょっと癖になるような、優しい味です。私は……その味に助けられましたから」


 大樹が隣から視線を寄越すが、樹里は気付かない振りをする。あまり突っ込まれたくない話だ。それに、今は邪魔されたくない。早いうちに斎藤を落としたいのだ。これはただ、仕事として。


「商品化された時のギャランティの割合などは、こちらに記載して参りました。それから、商品化のイメージも付けてあります。お店のお写真を載せる場合、斎藤さんのお写真を載せる場合。それから……あの象を載せる場合の三種類作ってまいりました。ご参考になればと思います」
「象って何ですか?」


 黙って聞いていた大樹が、堪え切れず質問を投げかける。後で、と小さく制して、樹里は話を続けた。


「当然、ご両親とのご相談も必要になるかと思います。この店の名で出すことに、ご抵抗があるかも知れませんし」
「うぅん、確かにそうですね」
「弊社としましては、前向きにご検討いただけると幸いです」
「分かりました。では、少しお時間いただいてもよろしいですか」
「はい。そちらに社用の携帯番号が記載してありますので、何か問い合わせ等ございましたら、いつでもおっしゃってください」


 樹里は、キリッとした笑顔を向けた。「あぁ、なるほど。分かりました」と斎藤は答える。《《余計なこと》》に触れられずに済んで、樹里は胸を撫で下ろした。これはプライベートではなく、仕事なのだ。斎藤もそれを察してくれたのだろう。
 あれから、斎藤と連絡を取ることはない。携帯に残された彼の連絡先。何か送ってみようと思っても、それほど親しくない彼との話題も見つからなかった。急に、月が綺麗ですね、と送るのも変だ。樹里はただ、それを眺めるしかなった。それに斎藤は、樹里の連絡先を消してしまったかも知れない。もう連絡を取る必要のない人。そう思われている可能性もある。寂しいけれど、それが現実だった。