スマートウォッチが着信を知らせる。きっと千裕からだろう。バッグを覗き込む樹里は、既に気が重い。


「もしもし、千裕? お疲れ様」
「お疲れ様。樹里は今どこ? まだ仕事?」
「あ、ううん。これから帰るところ」


 聞きたいこと、言ってやりたいことは沢山あった。だけれども、今じゃない。感情を剥き出しにぶつけたら、事実がどうであれ、きっと失敗する。だからまだ、何も言ったらいけない。冷静に向き合えるようになるまでは、何も言いたくない。そもそも、香澄の言うことが本当なのか。今の時点で、何の確証もないのだ。嘘である可能性だってある。心を落ち着けるように、胸に手を当て息を吐き出した。


「今日、家に来ない? 樹里の好きなプリン買って帰るよ」
「あぁ、えっと。ごめん。まだ資料整理しないといけなくて」
「えぇぇ……そっか。会いたかったのに、残念」
「ごめんね。ありがとう」


 明らかにガッカリした声に聞こえた。千裕は、いい大人になっても、素直な感情を言うことに抵抗がない。初めはそれに驚いたが、段々とそれは嬉しいことへと変わった。こんな彼が浮気などするのだろうか。馬鹿正直な千裕が、それをバレずに隠し続けられるのだろうか。まずは、信じなくてどうするんだ。そも思うのに、果たして千裕の全てを知っているのだろうか。胸を張りきれずに、樹里は下を向いた。


「樹里、無理しないで。日曜日とかでいいから、落ち着いたら会いたいな」


 すぐに返事ができなかった。昨日だったら、「そうだね、頑張るよ」と笑えたのに。無意識にネックレスに手が伸び、幸せを確認する。微かに震えていた手。現実が圧し掛かってくるのだ。指輪を一緒に買いに行こうって言ったよね? 今すぐにでも、そう問い質してしまいたかった。