「ほらほら、二人とも。お部屋に行くよ」
父親ぶる宏海さんが、いつになっても可笑しい。つい冷めた目で見てしまうが、彼はそれでも嬉しそうだ。アトリエの改築が終って、彼らが引っ越す前、俺は彼の担当を外れた。けれど、おじいちゃんたちの家も近いし、結局はあの地へちょくちょく行くのだろう。多少、歪な親子かも知れないけれど、心は満たされている。
エレベーターを降りて、館内図を見て部屋を確認する宏海さんに、母さんが「こっちよ」と手を引く。慣れたものだ、ということか。流石に部屋の配置など覚えていないけれど、今見た館内図には、シングルではない部屋が並んでいた。母さんは毎年、家族三人で泊まった部屋を予約していたのだろう。
「何言ってるの。カナタは、ママとパパの宝物よ。それは、忘れてほしくないかな」
「あ、うん。ごめん」
今の父は分からないが、あの頃ならばきっとそうだった。ただ、その後の生活がまるで変わってしまったから、俺はその幸せな時間を忘れてしまったのだろう。母と接するようになり、そんな時間を少しずつ思い出して、そして恐らく真実なのであろう事実に気付かされていた。
未だ、祖母の耳打ちが離れない。あなたのお母さんは浮気をしたの。それであなたを捨てていってしまったの。可哀想に。そうやって何度も、何度も言われているうちに、どれが本当のことなのか分からなくなってしまった。まだ小さかった俺には、その囁きは全身を蝕む強力な毒だったのだ。
「これからは、僕がカナタくんを大事に大事に育てるからね。安心して」
「え? あ……おぉ?」
「あのねぇ、宏海。カナタはもう大人よ? 育てるって何。まったく……変に父親ごっこしないでいいから」
宏海さんの優しさに触れ、母が幸せそうに笑う。俺は、今のこの時間も好きだ。小さい頃のことをすべて思い出せはしないけれど、新しく出来ていく思い出に胸は満たされていく。ここが特別な場所だというのは、これからも変わらないだろう。
父親ぶる宏海さんが、いつになっても可笑しい。つい冷めた目で見てしまうが、彼はそれでも嬉しそうだ。アトリエの改築が終って、彼らが引っ越す前、俺は彼の担当を外れた。けれど、おじいちゃんたちの家も近いし、結局はあの地へちょくちょく行くのだろう。多少、歪な親子かも知れないけれど、心は満たされている。
エレベーターを降りて、館内図を見て部屋を確認する宏海さんに、母さんが「こっちよ」と手を引く。慣れたものだ、ということか。流石に部屋の配置など覚えていないけれど、今見た館内図には、シングルではない部屋が並んでいた。母さんは毎年、家族三人で泊まった部屋を予約していたのだろう。
「何言ってるの。カナタは、ママとパパの宝物よ。それは、忘れてほしくないかな」
「あ、うん。ごめん」
今の父は分からないが、あの頃ならばきっとそうだった。ただ、その後の生活がまるで変わってしまったから、俺はその幸せな時間を忘れてしまったのだろう。母と接するようになり、そんな時間を少しずつ思い出して、そして恐らく真実なのであろう事実に気付かされていた。
未だ、祖母の耳打ちが離れない。あなたのお母さんは浮気をしたの。それであなたを捨てていってしまったの。可哀想に。そうやって何度も、何度も言われているうちに、どれが本当のことなのか分からなくなってしまった。まだ小さかった俺には、その囁きは全身を蝕む強力な毒だったのだ。
「これからは、僕がカナタくんを大事に大事に育てるからね。安心して」
「え? あ……おぉ?」
「あのねぇ、宏海。カナタはもう大人よ? 育てるって何。まったく……変に父親ごっこしないでいいから」
宏海さんの優しさに触れ、母が幸せそうに笑う。俺は、今のこの時間も好きだ。小さい頃のことをすべて思い出せはしないけれど、新しく出来ていく思い出に胸は満たされていく。ここが特別な場所だというのは、これからも変わらないだろう。

