いつも僕を支えてくれる担当者。若いのに落ち着いていて、しっかりしている子。そんな印象を持っていた佐々木くん。そんな彼は今、僕が昨日プロポーズをした人の隣に座っている。その彼女の息子だ、と。これは、現実なんだろうか。
「僕は、母に捨てられた、と教えられて育ちました。だから、ずっと母が憎かった。憎むしか、ありませんでした」
そう静かに話し始めた彼の言葉に、僕は息を呑んだ。
ここまでの話を聞いて、驚き、戸惑っているのは確かだ。でもそれ以上に、頭が理解しきれていない。それくらい僕には、非現実的な話だった。ごく普通の家庭で、独身のまま、のほほんと育ってしまった。周りにいる人からも、聞いたことがない。想像するだけで吐き気がするような、こんな人生を。僕にはもう、口を挟む言葉など見当たらない。
「けれど、思い出すこともあって。ガチャンガチャンと音を立てながら、玉子焼きを作ってくれた。その一生懸命な背中。不格好で、何の味だったかも分からないような玉子焼き。小さな僕からも見えた、キッチンのシンクから飛び出た道具。きれいな思い出じゃないかも知れない。でも、僕にとってそれは、温かな記憶でした」
前に佐々木くんと玉子焼きの話をしたことがあったな。そうだ。あの時、彼は不思議なことを言ったんだ。『食べさせられてきた玉子焼きは甘かった』『母が作っていたのは何味だったのか』確か、彼はそう言ったんだ。
あぁそうか、君だったんだね。カナちゃんがあんなに必死に練習して、玉子焼きを作ってあげたかった相手は。人としてきちんと教えたけれど、どこかで失敗してしまえと願ってしまった。僕は、なんて小さな人間なんだろう。
「母と離れてから、刷り込まれたことが強烈で。そんな薄っすらとした記憶だけに縋って生きることが出来なかった。東京へ出ようと決めた時、母が信頼していた人を訪ねました。そこで聞いたのは、教えられてきたこととは全く違うものでした。母は悪くなかった。そういう話だった。だから……会いたくて。何とか仕事で会えるところまで漕ぎ着けたけれど、すごく怖かった。自分のことなど忘れて、幸せに暮らしているんじゃないか。その思いが拭えなかった。そうしているうちに、中川さんの奥さんというのが、母だと知ったんです」
佐々木くんが穏やかに微笑んだ。目元がカナちゃんに似てる。あぁ、なるほど。あの写真の中の小さな男の子は、君だったんだ。
「僕は、母に捨てられた、と教えられて育ちました。だから、ずっと母が憎かった。憎むしか、ありませんでした」
そう静かに話し始めた彼の言葉に、僕は息を呑んだ。
ここまでの話を聞いて、驚き、戸惑っているのは確かだ。でもそれ以上に、頭が理解しきれていない。それくらい僕には、非現実的な話だった。ごく普通の家庭で、独身のまま、のほほんと育ってしまった。周りにいる人からも、聞いたことがない。想像するだけで吐き気がするような、こんな人生を。僕にはもう、口を挟む言葉など見当たらない。
「けれど、思い出すこともあって。ガチャンガチャンと音を立てながら、玉子焼きを作ってくれた。その一生懸命な背中。不格好で、何の味だったかも分からないような玉子焼き。小さな僕からも見えた、キッチンのシンクから飛び出た道具。きれいな思い出じゃないかも知れない。でも、僕にとってそれは、温かな記憶でした」
前に佐々木くんと玉子焼きの話をしたことがあったな。そうだ。あの時、彼は不思議なことを言ったんだ。『食べさせられてきた玉子焼きは甘かった』『母が作っていたのは何味だったのか』確か、彼はそう言ったんだ。
あぁそうか、君だったんだね。カナちゃんがあんなに必死に練習して、玉子焼きを作ってあげたかった相手は。人としてきちんと教えたけれど、どこかで失敗してしまえと願ってしまった。僕は、なんて小さな人間なんだろう。
「母と離れてから、刷り込まれたことが強烈で。そんな薄っすらとした記憶だけに縋って生きることが出来なかった。東京へ出ようと決めた時、母が信頼していた人を訪ねました。そこで聞いたのは、教えられてきたこととは全く違うものでした。母は悪くなかった。そういう話だった。だから……会いたくて。何とか仕事で会えるところまで漕ぎ着けたけれど、すごく怖かった。自分のことなど忘れて、幸せに暮らしているんじゃないか。その思いが拭えなかった。そうしているうちに、中川さんの奥さんというのが、母だと知ったんです」
佐々木くんが穏やかに微笑んだ。目元がカナちゃんに似てる。あぁ、なるほど。あの写真の中の小さな男の子は、君だったんだ。

