「お母さん、卵ある?」
「帰ってくるなり、何、急に。あるけど」
「分かった。ちょっと待ってて。玉子焼き作る」
「え?」
久しぶりに帰ってきた娘が、そう言った。普段料理をしない娘が。何も返せず、固まってしまった母の気持ちはよく分かる。私だって同じ立場なら、恐らく同じようだったと思う。ハッと我に返った母は、慌てて父を呼ぶ。カナコが料理をするって、と伝える声にはまだ、困惑の色が見えていた。
帰ってくるなり、怒涛のごとく投げられた母の言葉。たいした話じゃなかったが、煩わしくて仕方がなかった。だから逃げるように、予行練習も兼ねて、と立ち上がったのだ。もう寝間着に着替えていた両親には申し訳ないが、少しだけ付き合ってもらおう。教えてもらったように、ゆっくりとやれば大丈夫なはず。何日も練習したのだ。無心に、余計なことを考えないように。私は携帯に収めたレシピを見ながら、調理に集中する。呼び寄せられた父も唖然として、私がキッチンに立つ姿を見ていた。何だろう。ちょっとムカつく。
慎重に、慎重に。卵を割ろうとしただけで、小さな声が漏れ聞こえる。綺麗に割れれば、母は泣きそうな顔になっていた。それほどか、と言いたくもなるが、まぁそれほどなのだろう。フライパンを、温めて、油を注ぐ。テフロンだとか、鉄だとかで違うんだよ、とか言ってもいたけど忘れた。大丈夫。ここまでは練習通りだ。唯一心配なのは、ここはIHじゃなくてガスだということ。メモした物を見るだけでは、火加減は難しい。
「大丈夫。ちゃんと出来るから。座って待ってて」
そう言ってもなお、二人は台所の入口からこちらを見ている。手を出してはいけない。それだけは決めているのだろう。まるで小学生の娘を見守っているかのようだ。もしかして普通ならば、それくらいの年には通過しているようなことなのか。なら、仕方ないんだな。雑念に目を瞑って、私は料理に集中する。
「あっ」
失敗した。練習していた時だって、上手く出来たわけじゃないけれど。これでも上達したのだ。こういう時の対処法だって、ちゃんと聞いてある。慌てずにアルミホイルを出して、その失敗作を巻く。こうしておけば、多少のアラはなんとかなる。だから大丈夫だよ、と……宏海が言っていたから。懸命に教えてくれたのを思い出し、薄っすらと涙が滲む。これ以上、思い出さないようにしないと。そう自分に言い聞かせ洗い物を始めたら、後ろから鼻を啜る音がして、驚き振り返った。
そこで、母が静かに泣いていた。
「帰ってくるなり、何、急に。あるけど」
「分かった。ちょっと待ってて。玉子焼き作る」
「え?」
久しぶりに帰ってきた娘が、そう言った。普段料理をしない娘が。何も返せず、固まってしまった母の気持ちはよく分かる。私だって同じ立場なら、恐らく同じようだったと思う。ハッと我に返った母は、慌てて父を呼ぶ。カナコが料理をするって、と伝える声にはまだ、困惑の色が見えていた。
帰ってくるなり、怒涛のごとく投げられた母の言葉。たいした話じゃなかったが、煩わしくて仕方がなかった。だから逃げるように、予行練習も兼ねて、と立ち上がったのだ。もう寝間着に着替えていた両親には申し訳ないが、少しだけ付き合ってもらおう。教えてもらったように、ゆっくりとやれば大丈夫なはず。何日も練習したのだ。無心に、余計なことを考えないように。私は携帯に収めたレシピを見ながら、調理に集中する。呼び寄せられた父も唖然として、私がキッチンに立つ姿を見ていた。何だろう。ちょっとムカつく。
慎重に、慎重に。卵を割ろうとしただけで、小さな声が漏れ聞こえる。綺麗に割れれば、母は泣きそうな顔になっていた。それほどか、と言いたくもなるが、まぁそれほどなのだろう。フライパンを、温めて、油を注ぐ。テフロンだとか、鉄だとかで違うんだよ、とか言ってもいたけど忘れた。大丈夫。ここまでは練習通りだ。唯一心配なのは、ここはIHじゃなくてガスだということ。メモした物を見るだけでは、火加減は難しい。
「大丈夫。ちゃんと出来るから。座って待ってて」
そう言ってもなお、二人は台所の入口からこちらを見ている。手を出してはいけない。それだけは決めているのだろう。まるで小学生の娘を見守っているかのようだ。もしかして普通ならば、それくらいの年には通過しているようなことなのか。なら、仕方ないんだな。雑念に目を瞑って、私は料理に集中する。
「あっ」
失敗した。練習していた時だって、上手く出来たわけじゃないけれど。これでも上達したのだ。こういう時の対処法だって、ちゃんと聞いてある。慌てずにアルミホイルを出して、その失敗作を巻く。こうしておけば、多少のアラはなんとかなる。だから大丈夫だよ、と……宏海が言っていたから。懸命に教えてくれたのを思い出し、薄っすらと涙が滲む。これ以上、思い出さないようにしないと。そう自分に言い聞かせ洗い物を始めたら、後ろから鼻を啜る音がして、驚き振り返った。
そこで、母が静かに泣いていた。

