「カナコ、何かあった? 最近、嬉しそうじゃない」

 煮詰まったコーヒーを片手に、暁子が私にそう問うた。あぁ、と曖昧に濁そうかとも思ったが、特に隠すようなことでもない。ただ、自慢するような事柄でもない。スルリと言葉が出てこないのは、そういった躊躇いがあるからだ。

「いやぁ実は……卵が上手く割れるようになって」
「は? 卵?」
「うん、卵。鶏卵」
「分かってるわよ、そんなの」
「最近ね、と言っても、ここ数日のことなんだけど。玉子焼きを……練習してて」
「はぁ? カナコが? 何でまた、玉子焼きを?」

 まぁ正しい反応だ。彼女もまた、私が頑なに料理をしなかったことを知っている。卵すら上手く割れず、悲惨な状況になることも。頑張って作ったとしても、別の一品が仕上がることも。全て。

「それがね。カナタにクリスマスプレゼントをあげたいなって思って。聞いてみたの。欲しい物あるかって。そうしたらね……言うの。玉子焼きって」

 あの夜、カナタが送ってきたのは『玉子焼きが食べたい』の一言だった。宏海と話をしていて、表情に出してはいけなかったのに。あの通知を見た瞬間、泣いてしまいそうだった。それくらい、玉子焼きは特別なもの。唯一、あの子に頑張って作っていた料理だった。幸せな小さなアパートの、狭い狭いキッチンで。

「それって……母の味ってこと?」
「まぁ……きっと。たかが玉子焼きでも、料理本を片手に頑張って作ってたのよ。でもさ、それも正しい味にならなかったけど。それに、あれから料理なんてほぼしてないでしょう。再現なんて出来ないし、じゃあ今レシピを見ながら上手く作れるかって言ったら、それも無理。だから、宏海に頭下げて教えてもらってるのよ。毎晩」

 宏海には感謝している。このどうしようもない料理下手は、毎晩毎晩心苦しくて仕方ない。それでも彼は、何も聞かず、私の願いを叶えようとしてくれる。本当に申し訳ないな。早くちゃんと全てを伝えたいし、カナタを息子として会わせたい。日に日にそう思うけれど、それがいつになるのかは分からない。