『クリスマスに欲しい物ある?』

 母さんがそう聞いてくれた時、真っ先に浮かんだのが《《玉子焼き》》だった。いつも歪で、味も毎回違ったのに、俺にとってはおふくろの味に違いなかった。
 あの時間は、当時の俺には特別だった。忙しい母が時々、仕事の合間に作ってくれた料理。いつも「あ、入れ過ぎた。まぁいっか」とか言って、塩辛かったり、甘かったり定まらない玉子焼き。仕上がる頃にはキッチンはぐちゃぐちゃ。シンクの中は片付いてなかったけれど、俺は嬉しくて仕方なかった。一生懸命に作ってくれている。母の背中を見つめて、そう感じていんだと思う。

「そう言えば、どこで焼いてもらったらいいんだろう」

 ブツブツ言いながら、溝の口を歩く。今日は中川さんと現状の確認と、それ以降の商品の打ち合わせである。少しだけ時間の余裕を持って、わざわざこの街をプラプラしていた。どこかに、祖父母がいるのではないか、と思いながら。まぁ今すれ違っても、きっと気付けないだろうけれど。ふふん、と鼻歌を歌って角を曲がれば、もうそこは中川さんのアトリエだ。もう見慣れた扉の前に立ち、昭和の時代のチャイムを押す。それからようやく、担当者としての顔を整えた。

「こんにちは。佐々木です」

 出来るだけ明るい声を出してから、ん、と僅かに違和感を覚える。いつもならばすぐに顔を出すか、声が届く。それが今日はなかったからだ。そうして、少し経ってから顔を見せた彼を見てギョッとした。何だかひどく暗い顔をしていたのだ。でも中に誘われて打ち合わせが始まれば、いつもの中川さんだった。気の所為だったかな。クリスマス商品の確認とバレンタイン商品の売り出し方。それから春夏商品について。やっていることはいつもと同じだけれど、何と言うか、やっぱり変だ。彼の覇気がない。

 打ち合わせを一通り終え、いつもと同じようにコーヒーを淹れてくれたんだけれど。今日は上手く淹れられなかった、と苦笑した彼が心配になった。何だか今にも泣き出しそうに見えたのだ。一口啜って、何かありましたか、と問うてみる。だってきっと、彼がこうなる理由は母さんだと思ったから。中川さんを知っていくうちに、大体彼の浮き沈みの根底にはいつも母さんがいると気付いた。俺が問うていいことなのか。そんな気掛かりはあるものの、おずおずと聞いてみたのである。彼も何かが限界だったのだろう。一度目を合わせてから、盛大なため息を吐いた。