「カナコ。私、結婚しようかな」

 今日もいつもと同じように診察をして、いつもと同じような仕事終わり。煮詰まったコーヒーをデスクに置いた私に、暁子はサラリとそう言った。すぐに反応できなかったけれど、カップを落とさなかったことだけは褒めて欲しい。目を見開いて、はぁ? とようやく返した私に、してやったり顔をした暁子は楽しそうに腹を抱えている。

 昨日の今日。朝から、いつも通りの院長先生だった暁子。昨夜の彼女の気持ちを確かめようと、僅かな緊張を持ってコーヒーを持ってきたところだった。恋愛など不必要だと決めて生きてきた私たち。あまり早急に答えを出すものでもないだろうし、仕事の後にサラッと話をしようと思っていた。その結果がこれである。

「本気?」
「半分は本気」
「何それ、半分って」
「いやね。渉くんはとてもいい子だなぁって思って。彼と彼の家族には申し訳ないかなと思うんだけどね。結婚、してみたいなって思ったの。茉莉花はいても、戸籍は真っ白でしょう。経験値としてあってもいいのかなぁって」
「経験値って。簡単に言うものでもないわよ。離婚なんてことになったら、本当に面倒なんだから」

 過去の自分の経験を持って、素直に答えた。結婚のことを聞かれれば、九割方、思い出しては吐き気がするような記憶しかない。当然良いことだってあったし、幸せだった記憶もあるけれど。最後の最後の嫌な感情が、それを全て上書きしてしまっている。良いか悪いかで問われれば、先に出るのは後者なのだ。