◯雛鳥が通う女子高校の教室、月曜日の昼休み

  生徒たちが机を寄せ合って、
  弁当を食べる準備をしている。

  雛鳥の友人、木戸さやかの、
  すっとんきょうな声が教室を揺るがせる。

さやか「イケメンを拾ったぁぁ?!」

  周囲の生徒が一斉に振り向いて、
  一瞬にして注目の的になる。
  雛鳥「しっ!」としかめ面。
  さやかは「てへへ、ごめん」と舌を出す。

一軍女生徒A「(嫌味たっぷりに)陰キャが芸能人のトレカかなんか拾ったんですって」
一軍女生徒B「しょおもな」
一軍女生徒C「ビンボー人はすぐ落ちてるもの拾うからね」
一軍女生徒A「というか、吹けば飛びそうな和菓子屋の娘が。この学園にいること自体、烏滸がましいのよ」

  背後にいた数名の女生徒たち、
  振り返ってクスクス微笑う。

  さやか、無言で鼻をつまむ。
  「気にするな」の合図だ。

雛鳥(ひな)M「そういうさやかは大手文具メーカーのお嬢様。この学校はいわゆる名門の女子校で、通っているのは一般的に言うお金持ちや大企業の令嬢がほとんどだ」

  雛鳥とさやか、声をひそめて、

雛鳥(ひな)「拾ったと言うか、助けたと言うか……」
雛鳥(ひな)「(独り言のようにぶつぶつと)いや、助けられたのは私か」
さやか「って意味わかんないんですけどっ。どう言うコト?!」


 《回想・雛鳥》

・危ないところを瑠偉に救われた。その際、瑠偉のスマホがトラックに轢かれて大破。

・娘を助けた瑠偉を手掛かりがつかめるまでウチで保護すると言って聞かない両親と、遠慮がちに頭を下げる瑠偉。

・週末、瑠偉を連れて着替えやら必要なものを買いに行った母親はどこか嬉しそうで。

・雛鳥は変わらず食事作り担当、雛鳥の手料理を(ケモミミと尻尾をぶんぶん振りながら)嬉しそうに食べる瑠偉。

 《回想終了》


雛鳥(ひな)「ふぅぅ……」

  雛鳥、大きなため息。
  控えめな声で、
  かくかくしかじかとさやかに事情を説明する。
  雛鳥、話しながら鞄をかき回し、

雛鳥(ひな)「(ひとりごとっぽく)お弁当、入れるの忘れた……かも」
さやか「それで、壊れちゃったんだ、その瑠偉って人のスマホ」
雛鳥(ひな)「完全に潰れてた」
さやか「再起不能?」
雛鳥(ひな)「(こく、とうなづいて)……たぶん」

  さやか「あちゃー」っと声をあげる。
  けれどその表情は明らかに楽しんでいるよう。

雛鳥(ひな)「(迷惑そうな顔で)うちの両親、娘を助けてもらったせいでこんな事になったんだから放っておけない……って」
さやか「スマホ壊れちゃったんだから仕方ないじゃん」
雛鳥(ひな)「そう、なんだけど」

雛鳥(ひな)M「(とほほとうなだれて)こうなったのは……私のせいでもあるし」

さやか「(身を乗り出して)てか、何が不満なのよ? 記憶喪失のイケメン拾うなんて羨ましすぎるよ! そんな幸運、一生かかっても来ないよ?」
雛鳥(ひな)「(もっと小声で独り言)……家の中うろうろされたら落ち着かないんだもん」

雛鳥(ひな)M「(回想を交えて)お風呂上がりの上半身はだかの首にタオルを巻いたままの瑠偉さんと、冷蔵庫前で鉢合わせた時の気まずさと言ったら」

さやか「えっ、なに、なに?」
雛鳥(ひな)「ううん、なんでもないっ。それより、さやかぁ」
雛鳥(ひな)「(顔の前で両手を拝むように重ねて)今日は食堂で食べてもいい? お弁当忘れちゃって」

  ラジャ! さやか、広げかけた弁当を片付けはじめる。
  と、教室の外の廊下がにわかにざわめいた。 

女生徒A「何、あのひと! 超カッコいい」
女生徒B「え、誰?!」
女生徒C「新人芸能人の学園潜入型ドッキリとか」

  瞳を煌めかせた女生徒たちの黄色い声。

  何だろう、と雛鳥たちが目を向けると。
  ジーンズにトレーナー姿の背高い青年(瑠偉)が、
  教室の前にいた女生徒に問いかけている。

  ギョッ、と目を見開く雛鳥。
  女生徒が指差せば、
  瑠偉がちら、とこちらを見た。

  瑠偉、雛鳥の姿を認めるとためらうそぶりもなく、
  教室の中に踏み込んでくる。
  ざわめきと好奇の渦に巻かれる教室。

  瑠偉、少しも動じる様子を見せる事なく、
  無表情のまま雛鳥たちの机に向かう。
  目を見開き、言葉を失ったまま固まる雛鳥の机の上……
  弁当箱の包みをコトンと置くと、

瑠偉「コレ……忘れ物。ちゃんと届けたから」

  瑠偉、どこから見ても、
  クールなイケメンオーラを漂わせている。

  ※雛鳥、ケモミミ、ブンブンのコミカルな瑠偉の回想

雛鳥M「あの人懐っこさはどこへ?!」
 
  瑠偉、一度背を向けたが、
  思い出したように振り返って、

瑠偉「そうだ……」

  腰を低くして、
  雛鳥の耳元に手のひらで隠すようにしながら唇を寄せる。

瑠偉「(ヒソ……)ひなが作る晩ご飯、楽しみにしてる」

  クラスメイトの中から「きゃっ」と声が上がる。
  雛鳥は岩のように固まったまま動けない。
  ただ、熱がのぼった頬が茹でたタコ並みに赤くなる。

  瑠偉、顔を上げて、注目されていることに気づくと、
  薄く微笑んでスマートに会釈。
  そして(挨拶がわりに)、
  雛鳥の頭を手のひらでぽふ、とやわらかく叩いた。

  教室から出て行く瑠偉、
  しんと静まりかえる教室内。
 
さやか「(ぼうっと見惚れながら)あれが迷子の拾われイケメン……」
 



◯雛鳥の自宅近く、住宅街の路地。

  周囲を気にしながら歩く瑠偉。
  
瑠偉M「雛鳥の弁当を届けたあと、細身の黒いスーツにサングラスをかけた若い男につけられているような気がした」

  最寄り駅を降りたあとも、
  物陰にその男の気配を感じた瑠偉は、
  咄嗟に駅前のスーパーに入り身を潜めた。

  瑠偉、店内で時間を潰したのち、
  入り口とは反対側の扉から店を出る。
  周囲に先ほどの男の気配は無い。
  瑠偉、物陰に隠れながら周囲の様子を伺い、

瑠偉M「(警戒心あらわに)うまく巻いたか……」




◯自宅兼和菓子屋の店舗前、夕刻。
 
  帰宅した雛鳥の表情は堅い。
  あえて店を覗かず(両親にただいまも言わずに)
  足早に家に入る。

  雛鳥、居間に瑠偉がいないことを確かめてから、
  居間の奥の自室へと駆け込んだ。
 
  雛鳥、鞄を放り投げてベッドにダイブすると、
  両手で頭を抱え込む。

雛鳥(ひな)「もう、やだ……っ。なんでこうなるの」


  《回想、雛鳥》瑠偉が教室を去ったあと

・クラスメイトたちがどっと押し寄せて、あれは誰だ、どんな関係なのだと問い詰められた。
 (雛鳥はタジタジとなるだけで何も答えられない。)

・今まで目立たずひっそりと陰キャを決め込んできた雛鳥だが、一瞬にして注目の的になった。

・瑠偉の嵐のような到来は、クラスだけにとどまらず、たった一日で学校中に広まってしまった。

・それどころか「突然に現れたモデルばりの美形が早乙女さんにキスをした」なんてあらぬ噂まで発生している(誤解だ)!
 
  《回想終了》


雛鳥(ひな)「お母さんがわざわざ持ってけって言ったに決まってる。ご飯なら食堂でだって食べられるのに……っ」

  瑠偉に耳元で囁かれてからというもの、
  雛鳥の心臓の鼓動は忙しく鳴りっぱなし。

雛鳥(ひな)「(ボソリと)もう……学校、行きたくない」

  雛鳥、涙目になり火照った顔を枕でぼふ、と覆う。
  頬にふれそうで、ふれない唇。
  あたたかな吐息——思い出すとドキドキが止まらない。

  フテ寝。
  雛鳥、枕から真っ赤に火照った顔を覗かせる。
 
雛鳥(ひな)「(涙目で)瑠偉さんのバカ……!」




◯自宅併設の和菓子屋の厨房。

  母親と夕食の片付けを終わらせた雛鳥。
  作務衣を身につけ、エプロンの腰紐をぎゅ、と結ぶ。

雛鳥(ひな)「……よし!」
雛鳥(ひな)M「もやもやする時は《修行》に限るっ」

  白玉粉と砂糖を計り水と混ぜ合わせて手際よく求肥を作ると、
  慣れた手付きで白餡と練り合わせていく。

雛鳥(ひな)M「練り切りアートは和菓子の『芸術』」
雛鳥(ひな)M「(憧れの目で)秋の県内和菓子コンテスト、挑戦してみたいんだよね……」
雛鳥(ひな)「(気持ちを引き締めて)それまでにしっかり腕を磨かないと」

  一生懸命に練り切り細工を作る雛鳥の姿を、
  廊下を通りがかった瑠偉がふと見やる。
 
瑠偉M「(何してるんだろって感じで)……?」




◯翌日の夕刻。

  学校帰りの雛鳥は疲れ切っている。


  《回想・雛鳥》今日、学校で

・今朝の心配は的中し、校内のあちこちで生徒たちからジロジロと見られた。
・雛鳥を陰キャと呼ぶ一軍の女生徒たちからも、以前とは比べものにならない敵意の目を向けられている。

  《回想終了》


雛鳥(ひな)M「神社に寄ろうかと思ったけど」

  気持ちが向かず、そのまま帰宅することに。
  横断歩道の向こう側に家業の和菓子屋が見える。
 
 雛鳥(ひな)「え……何っ?!」

  店の前に入店待ちの人がいる。
  そのほとんどが女性客。
  雛鳥、駆け足で近づいて店内を覗けば、
  作務衣(和菓子処『早乙女庵』のユニフォーム)を着た瑠偉が
  ショーケースの内側に立っている。

雛鳥(ひな)「瑠偉、さん……!?」

  愛想良くにこやかに微笑んで、
  包装した和菓子を手際よく客に手渡す瑠偉。
  ショーケースの奥のレジでは、
  美咲がせわしなくレジを叩きながら会計をしている。

年配の女性客「(会計しながら)早乙女庵に美形の店員さんが入った〜って聞いて寄ってみたら、この有様でしょう? もう驚いちゃって」
雛鳥の母(美咲)「まぁ、有難うございます。今後ともご贔屓に」
別の女性客「私の《推し》にちょっと似てるのよ、彼……! もう毎日でも会いに来ちゃう」

  雛鳥、見たこともない店の盛況ぶりに驚きながら、
 
雛鳥(ひな)M「そういえば居候のお礼にお店を手伝うって、昨日の夕飯の時に瑠偉さんが話してたっけ」
  
  こそこそと玄関に向かう雛鳥を、
  美咲の千里眼が捉えた。

雛鳥の母(美咲)「あら、ひなちゃん?! 帰った早々悪いけど、お父さんを手伝ってちょうだい。上用(饅頭)と薄皮と……あと葛餅もお願いね!」

  多めに仕込んでおいた季節の練り切りには完売の札が。
  普段はあまり人気のない種類の和菓子までほとんど残っていない。
  こちらを向いた瑠偉と、雛鳥の目が合う。

瑠偉『(薄く微笑んで)おかえり』
雛鳥(ひな)M「店内の喧騒でよく聞こえなかったけど、多分、そう言ったと思う」

  雛鳥、家の階段を上がりながらぶつぶつ。

雛鳥(ひな)「何が『おかえり』よっ。家族でもないのに」
雛鳥(ひな)M「そもそもこの不幸は瑠偉さんが学校に来たことから始まったようなもの(瑠偉さんのせいじゃはないにしても)」

  つい意地悪な口調になってしまって、
  唇を尖らせる雛鳥。

雛鳥(ひな)M「瑠偉さんのことまだ全然受け入れられていないのに。関わりたくないのに……あの不思議な色の瞳、目が合うとドキっとしてしまう」

雛鳥(ひな)「作務衣……なんかすごく、似合ってたし」
雛鳥(ひな)M「ギャップ萌え……?」

雛鳥(ひな)M「日本人離れした顔立ちの瑠偉さんに、和のテイストを持つ作務衣はおそろしく似合っていた」

  雛鳥、姿見の前に立ち、
  自分の作務衣姿をしげしげと眺める。
  映っているのは、
  なんの特徴もない普通の女の子。
 
雛鳥(ひな)M「何着ても似合うし、どこでもチヤホヤされて。イケメンは得だな……」
雛鳥(ひな)「(しみじみと)瑠偉さん、絶対モテるよね」

  見知らぬ女性の肩を抱く瑠偉のシルエットを想像する雛鳥。

雛鳥(ひな)「彼女とか、いるのかな……」
雛鳥(ひな)M「彼女にご飯、作ってもらったりしてたのかな」

  ×  ×  ×
 
  ・雛鳥が作った食事を幸せそうに食べているケモミミ瑠偉
  ・「ひなのご飯楽しみにしてる」と耳元でささやくクールな瑠偉

  ×  ×  ×

  雛鳥、想像してしまい、
  胸がキュ、と辛くなる。



◯雛鳥の家、その日の夕食。

  雛鳥が作った鯵のフライと豆腐サラダ、
  白ネギとなめこの味噌汁を両親と瑠偉で囲む。
  身体の大きな瑠偉は、
  相変わらず小さな食卓に馴染まない。

雛鳥の母(美咲)「このサラダ美味しい。ひなちゃん、またお料理の腕を上げたんじゃない?」

雛鳥(ひな)「(無愛想ぎみに)……ドレッシング変えたからじゃないかな。それに今日はお店が忙しかったから、有り合わせだよ」

雛鳥の母(美咲)「あら〜元気が無いじゃない。学校帰りに追加の和菓子まで作ってくれたから、疲れちゃった?」
雛鳥(ひな)「ううん、平気」

雛鳥(ひな)M「そう言ったものの、本当は嘘。学校ではさんざん気を使い、帰宅してからもずっと慌ただしかった」

  肩を落とす雛鳥に瑠偉が視線を向ける。

瑠偉「(雛鳥が心配になって)ひな。食事のあと、短い時間でいいから散歩に付き合って?」
雛鳥(ひな)「(胡乱な目を向けて)散歩ですか……?」

瑠偉「この辺りのこと、まだよく知らないから」
瑠偉「(にっこり笑って)案内してくれる?」

雛鳥(ひな)「何もないですよ、コンビニと公園くらいしか」
瑠偉「出歩いた方が、記憶が戻るんじゃないかと思って」

  それなら、と美咲が口を挟む。

雛鳥の母(美咲)「警察には遭難届けも出てないみたいだし。今度の日曜日、三津上神社にも行ってみたら? だって瑠偉さん元々そこに居たんでしょ。神社の周りとか歩いてみたら何か思い出さないかしら」

雛鳥の父(和夫)「それがいい。瑠偉くんがこんなに店に貢献してくれてるんだ、ひなも付き添ってあげなさい」
雛鳥(ひな)「えっ、でもお店が」

雛鳥の父(和夫)「今日だけでいつもの倍の売り上げだったんだぞ? 日曜は仕込み分さえ売れりゃあいい。店のことは心配するな」

  瑠偉を見上げれば「ごめんね」。
  眉根を下げて微笑んでいる。

雛鳥(ひな)M「《また》だ。瑠偉さんのその目を見たら断れないよ……っ」

  ※そんな自分に呆れてうなだれる雛鳥。




◯午後八時の公園。

  大きな公園なので、
  池の周りをジョギングする人や会社帰りのサラリーマン、
  若いカップルなんかも歩いている。

雛鳥(ひな)「ね、何もないでしょ? コンビニと公園とスポーツセンターくらい」

  池のほとりのベンチに座る瑠偉に、
  雛鳥が自販機で買った缶コーヒーを手渡す。
  (自分は好物のおしるこ。)

瑠偉「……ありがと」
瑠偉「大事なひなの小遣い、使ってくれたの?」

  雛鳥は聞き流し、
  瑠偉の隣に座っておしるこを飲む……幸せそう。

雛鳥(ひな)「私が飲みたくて……ぷはっ」
瑠偉「それ、どんな味?」

  瑠偉、おしるこの茶色い缶を、
  怪しそうな目でまじまじと見る。

雛鳥(ひな)「(缶を見つめて)うーん、ちょっと甘い。でも好き」
雛鳥(ひな)「(かわいい笑顔で瑠偉を見上げて)好きなんだけど全部は飲めなくて。勿体ないんだけど、いつも最後ちょっと捨てちゃうんだ」

  「あとで捨てるね」雛鳥が缶を足元に置こうとすると、

瑠偉「へぇ……その《最後》、飲ませて」

  瑠偉、返事も聞かず、
  雛鳥の手から缶をうばいとる。

雛鳥(ひな)M「待って、まだいいって言ってないっ」
雛鳥(ひな)「って言うか、それ私が口つけたやつだよ……?!」

  瑠偉、なんの躊躇いもなく口に含むと。

瑠偉「(真顔で缶を見ながらこくこくうなづいて)甘い」

雛鳥(ひな)「だから甘いって……」
瑠偉「(雛鳥を見て)《粒あんのプロ》が好む甘味ってのに興味が湧いたから」

雛鳥(ひな)「粒あんのプロ?」
瑠偉「勿論ひなの事だけど」

  とたん、雛鳥の頬にかぁっと熱がのぼった。
  瑠偉は綺麗に微笑み、缶を地面に置く。
  「あとで捨てよう」
  
雛鳥(ひな)「私なんて全然プロじゃないよ、修行中の半人前だよ?」

  照れ隠しに顔の前で両手をぶんぶん。

瑠偉「お客さんから代金を受け取った時点で、プロの職人だよ」
雛鳥(ひな)M「(ドキっとして)瑠偉さん……やっぱり大人だな」

瑠偉「それに美咲さんが言っていた。ひなが炊くあずきは早乙女庵の(かなめ)だって」
瑠偉「(目を細めて微笑んで)料理も上手いしね」

雛鳥(ひな)「えっ」
雛鳥(ひな)「(赤くなって一瞬止まるが)りょ、料理なんて普通の家庭料理だよ、それに和菓子屋の娘ですからっ。あずきくらい炊けて当然……」

瑠偉「いや、小豆を絶妙な塩梅で炊くには相当な鍛錬が必要で、職人技と言えるものだ。17歳でマスターしてるひなはすごいよ」

雛鳥(ひな)「(きょとんと目を丸くして聞いている)……」
雛鳥(ひな)「瑠偉さんは小豆に詳しいんですね」

瑠偉「……ん」

  今度は瑠偉が目を丸くする。

瑠偉「一般的な知識じゃないの?」
雛鳥(ひな)「そっ、そうなんですか……?!」
瑠偉「どうしたの、急に敬語」

  瑠偉、クスッと微笑って、

瑠偉「俺に敬語は要らないよ。あと《サン》も。俺のことは《瑠偉》でいいから」

  雛鳥、少し戸惑う。

雛鳥(ひな)「でも瑠偉さんきっと年上だし……呼び捨ては、その、なんか緊張するというか」
瑠偉「名前で呼ばれる方が落ち着くから、名前で呼んで。というか……ふはは。ひなも緊張するんだ」
雛鳥(ひな)「ひどい、そりゃあ緊張くらいしますよっ」

雛鳥(ひな)M「と言うか、瑠偉さんの隣にいるだけで緊張です!」

  雛鳥と瑠偉の目の前の道を二人の学生が通り過ぎようとしている。
  こそ、と漏れ聞こえてきた会話は、

女学生A「見てっあの人、すごいかっこいい……」
女学生B「あのふたりカップルかな?」
女学生A「女の子全然さえないし。カップルなわけないじゃん!」

  小さくなってうつむいてしまった雛鳥の肩を、
  瑠偉がぐいっと抱き寄せる。

瑠偉「晩ご飯、今夜もうまかったよ」
瑠偉「(雛鳥の髪に鼻を埋めて)今度、俺だけのためになんか作って」

雛鳥(ひな)M「えっと、えと、この状況は……っ?!」

  雛鳥、ドキドキと赤面がMAXになる。

雛鳥(ひな)「る、瑠偉……さん……?」
瑠偉「(雛鳥の耳元にささやいて)いいから。もう少しこのままで」

  雛鳥、おそるおそる顔を上げようとするけども、
  頭が瑠偉の大きな片手の中に包まれていて。

女学生B「ほら、やっぱカップルじゃん」

  二人組はこそっと話しながら目の前を通り過ぎていく。
  ドキドキのなか、雛鳥が気付く。

雛鳥(ひな)M「瑠偉さん、私に気遣って……?!」

瑠偉「……なんて、ね」

  瑠偉の腕が、す、と(ほど)かれる。

瑠偉「それに。サンは要らないって言ったろう?」
雛鳥(ひな)「……きゅ、急にビックリするじゃないですかっ(今更ちょっと怒り気味)」

  機嫌が良さそうに飄々と空を仰ぎ見る瑠偉。

瑠偉「ひな、見て。星が綺麗だ」

  ※瑠偉の横顔アップ

雛鳥(ひな)「ごまかさないでっ」

  ※引きで二人ベンチに座っている

  月のない夜空。
  それは本当に綺麗で、
  池の水面に映りそうなほどに星たちが煌めいている。

雛鳥(ひな)M「抵抗、できなかった」
雛鳥(ひな)M「男の人の腕って、力強くて、でも優しくて……あったかいんだ」
  



◯翌朝、雛鳥の家の台所。

  弁当を詰めていた雛鳥の背後で声がした。

瑠偉「(ボサボサの頭をかきながら)おはよ……ひな」

  瑠偉、ふわぁっと大あくび。

雛鳥(ひな)「あ、瑠偉さ……瑠偉っ(てれ気味に)」
雛鳥(ひな)「おはよぅ……ゴザイマス(タメ口を使おうとしたが使いきれず尻すぼみ)」

雛鳥(ひな)M「(呆れながらも微笑んで)相変わらず瑠偉……の、寝起きはひどい」

  まだほとんど閉じたままの目で、
  ボサ髪の瑠偉がのそのそと台所にやってくる。
  雛鳥、背を向けたまま、

雛鳥(ひな)「瑠偉……も、朝ごはん食べるよね?」
瑠偉「うん、食べる」
雛鳥(ひな)「おかず無かったから、お弁当もオムライスにしたんだ。ちょっと待って、瑠偉のもすぐに作るか……ら……」

  「ひゃあっ?!」咄嗟に叫んでしまった雛鳥。

瑠偉「(後ろから雛鳥を包むように抱きしめて、雛鳥の頭の上に自分の頭を乗せて)いい匂い」
雛鳥(ひな)「ちょっと、瑠偉……?! 寝ぼけすぎだよ!?」

瑠偉「……(無言で目を閉じながら雛鳥の髪に鼻を埋める)」
雛鳥(ひな)「あの、あの、あの!」
瑠偉「……ん?」
雛鳥(ひな)「腕……っ」

  雛鳥の目の前に肩から下がる瑠偉の二の腕が伸びている。
  瑠偉、目を閉じたまま、

瑠偉「(恍惚にふけって)ひなの髪、いい匂い」

雛鳥(ひな)M「いい匂いって、朝ごはんのことじゃなくて……そこっ?!」
雛鳥(ひな)「(ちょっと照れて)さやかにもらったヘアフレグランス使ってみたから……」

雛鳥(ひな)「腕、ほどいてっ」
瑠偉「ごめん、邪魔だった?」

  する、とほどかれる瑠偉の腕。
  雛鳥(ひな)、ふう、ふう、ふう。
  起こったことが飲み込めず何度も深呼吸。

  一分後、ようやく少し落ち着いて。

雛鳥(ひな)「……っ」

  食卓の方を向けば、瑠偉はすでに自分の席にきちんと座っていて、
  いつものケモミミと尻尾を生やしてにこにこしている。

雛鳥(ひな)「(なんだか一気に熱が醒めて)寝ぼけてるからって……!」
雛鳥(ひな)M「反則だよっ」

瑠偉「(悪びれる様子もなく)ひな、怒ってる? 俺、なんかした?」
雛鳥(ひな)「(涙目で)いきなりあんなっ」
瑠偉「(やっぱり悪びれる様子はなく)あんなって、ハグのこと?」

  「そう」と言わんばかりに雛鳥、首をぶんぶん縦に振る。
   寝ぼけまなこの瑠偉、ちょっと考えて、

瑠偉「……って、挨拶、だけど」
雛鳥(ひな)「挨拶……」

雛鳥(ひな)M「あれが?!」

  雛鳥、思い出して真っ赤になる。

瑠偉「(にこにこしながら)おはようの挨拶」
雛鳥(ひな)「(返す言葉を失って)なっ……!」

  雛鳥、くるりと踵を返して、

雛鳥(ひな)「そう、ですか……わかりました」
雛鳥(ひな)「私、急ぐので。瑠偉は適当に朝ごはん食べてね」
瑠偉「(ようやく半目を持ち上げて)どうしたの?」

  雛鳥、弁当を引っつかみ、

雛鳥(ひな)「……行ってきます」    
雛鳥(ひな)M「瑠偉のただの《挨拶》にドキドキした私、ばかみたい……」
  
  瑠偉の目は前髪に隠れて、半分しか見えていない。
  雛鳥の背中を見送った瑠偉、ぼそっと、

  ※(コミカル)ケモミミと尻尾を下げて、
  泣き出しそうな顔でしゅんとして

瑠偉「……俺の、オムライス」




◯同日、教室の昼休み

  雛鳥とさやかが机を並べてお弁当を広げる。
  雛鳥の弁当箱にはオムライスがきれいに収まっていて……
  美味しそう。

雛鳥(ひな)「(オムライスを豪快にほおばって)れね、るひったら信じられないの。わらしの気持ちなんて(ゴクっ)完全無視なんだから……」 

さやかM「(ニヤリと微笑って)愚痴ってるけど嬉しそうだし。瑠偉さんのこと呼び捨てに発展したな!」

さやか「海外だとありうるよね。ハグとかキスとか普通に《挨拶》だから。もしや瑠偉さん帰国子女?!」
雛鳥(ひな)「ここは日本ですっ」
さやか「まぁそんな目くじら立てなさんなって。《挨拶》だからって、ハグされるなんてふたりの距離が一歩近づいた証拠じゃん」
雛鳥(ひな)「近づかなくていいし」
さやか「(甘く揶揄いながら)ほーう? 公衆の面前で《キス》されたくせに……?」
雛鳥(ひな)「だから、あれはっ」

  ガタン。
  背後で乱暴に椅子を引く音。
  雛鳥とさやか、びくりと目を見張る。

一軍女生徒A「(敵意まる出しに顎をしゃくり)早乙女さん、ちょっと……」

 

 
◯放課後、三津上神社。

  雛鳥、とぼとぼと重い足を運ぶ。
  境内で手を合わせ、熱心に祈る。 


 《回想・雛鳥》学校の昼休み、呼び出された裏庭で

・一軍女子A「生意気だ! 陰キャのクセに」
・一軍女子B「あんたに彼氏作る資格なんか無いんだよ!」
・「傷物(きずもの)の醜いカラダ」だと罵りを受けたこと

 《回想終了》


  参拝のあとは、
  いつものように境内のベンチに座って大きく息をすう。

雛鳥(ひな)「ふぅぅっ……浄化、完了」

  頬をぱんぱんたたいて、気合を入れて。
  「平気、平気!」むに、と笑顔を作る。

雛鳥(ひな)M「あの木が燃えたんだ」
  
  無惨な姿に変わった大木を眺める。
  境内の向こうに広がるお屋敷の屋根を見て、

雛鳥(ひな)M「瑠偉……この辺に住んでたりして」

  そろそろ帰ろう、と立ち上がると、
  背後に視線を感じたような。

雛鳥(ひな)「ん……? 気のせいかな」

  鳥居を超えてお屋敷街に差し掛かるが、
  背中に人の気配を感じて、

雛鳥(ひな)M「なんだろ……怖い」

  雛鳥の後をつける気配は最寄り駅まで続いて。
  改札を入った雛鳥は、ちょうどホームに入ってきた電車に慌てて飛び乗った。
  一抹の安堵とともにぞくり、と冷たいものが背筋を伝う。

雛鳥(ひな)M「黒づくめの男……?」

  車窓から改札を見てヒヤリとする。
  雛鳥をつけていたサングラスに黒いスーツを着た若い男が堂々と改札の外に立ち、
  雛鳥が乗り込んだ電車を見つめていた。




◯早乙女の家、夕刻

  作務衣を着た瑠偉が、
  寝泊まりに与えられた5畳間の和室で休憩を取っている。
  
  ※壁にもたれ片足を立てて座る瑠偉。

瑠偉「(物思いにふけって)…………」

  おぼろに交錯する記憶をたぐり寄せている。

瑠偉「胸の焼印……許嫁」

  病室で見た夢の中で聞いた、くぐもった怒鳴り声。
  輪郭のぼやけた残影に浮かぶ初老の男。

瑠偉M「あれは俺の父親か……?」

  無理に思い出そうとすると、頭の芯がずくりと痛む。
  目頭を抑えた瑠偉、階下で「ただいま」という声を聞いて、

瑠偉「ひな?!」

  慌てて立ち上がる。

瑠偉M「謝りたい、今朝は怒らせてしまったから」

  瑠偉、階段の上から階下を見ると。
  玄関の上り框をあがったばかりの雛鳥が、
  青い顔で瑠偉を見上げる。




◯玄関ホール、階段脇。

  瑠偉、階段を急ぎ足で降りる。
  わざとらしく目を逸らせる雛鳥。

  そのまま無言で自室に向かおうとするのを、
  雛鳥の腕をつかんだ瑠偉が引き止める。

瑠偉「(心配そうに)顔色が悪いな……何かあった?」
雛鳥「瑠偉……っ」

  一瞬、思案して思い直し、

雛鳥(ひな)「(薄く微笑んで)ううん、平気。何でもないよ」

雛鳥(ひな)M「あの男、怖かった……!」
雛鳥(ひな)M「でも記憶喪失の瑠偉に余計な心配させられない」

  瑠偉、雛鳥の腕を取ったまま、
  青みがかった瞳でじっと見つめる。

雛鳥(ひな)「……あ」
瑠偉「……ウン?」

  ※それそれの顔面アップ

雛鳥(ひな)「(真顔で)そう言えば、今朝のこと」
瑠偉「(所在なげに目を逸らせて)あぁ」
瑠偉「俺、ひなを怒らせた……よね?」
雛鳥(ひな)「(上目がちに瑠偉を見上げて)……私に何したか、覚えてない、とか?」
瑠偉「え……と」

  瑠偉、目を逸らせたまま額に手をやって考え込むそぶり。
  雛鳥、呆れながらもやけくそに笑えて、

雛鳥(ひな)M「覚えてないんかい」

  瑠偉、申し訳なさそうに思い切り頭を下げて、

瑠偉「とにかくごめんッ」
雛鳥(ひな)「(少し微笑って)もういいよ。それより休憩中でしょ? 今のうちに休んでて。瑠偉が手伝ってくれてるおかげで、お店忙しそうだもんね」

雛鳥(ひな)M「と言うか……瑠偉は寝起きだと別人みたい」

  「私も着替えてくるね」と、
  笑顔を見せて背中を向けた雛鳥を、
  瑠偉が背中から抱きしめる。

瑠偉「これの事、だよね?」
   
  頭の上から瑠偉の声が降ってくる。
  雛鳥の心臓が「どくっ」と大きな音を立てた。

雛鳥(ひな)「あの、瑠偉……っ?!」
瑠偉「(まつ毛を伏せて真面目顔)ちゃんと覚えてるよ。ごめんな……俺、寝起きすごく悪くて」

  瑠偉、ちょっと赤くなって、

瑠偉M「どうやら好意を持った子に、必要以上、馴れ馴れしくしてしまう」
瑠偉「俺の悪いクセらしい」

  瑠偉の腕の力が、ぎゅ、と強まった。
  雛鳥、ぐ、と言葉に詰まる。

雛鳥(ひな)M「悪いクセって……誰にでもこうするってこと?」    
雛鳥(ひな)M「(真っ赤になって)やっぱりただの軽い男じゃん……っ」

  雛鳥、淡々と瑠偉の腕を抜け出して、
  数歩、歩いて。

雛鳥(ひな)M「ドキドキして損しちゃった」
雛鳥(ひな)「(カラ元気で)もーっ、本気で謝る気あるんかいっ」

  雛鳥、きょとんと目を丸くする瑠偉を振り返る。

雛鳥(ひな)「明日の朝だけど」
瑠偉「……?」
雛鳥(ひな)「私、いつもより早く出るからっ」

瑠偉「……そっか(残念そう)」
雛鳥(ひな)「瑠偉の朝ご飯、作ってあげられないからっ」

  顔を上げた雛鳥はちょっと不機嫌そう。
  雛鳥、自室に突進。

  瑠偉、生えたケモミミと尻尾がだらりと下がって、
  しゅんとして(コミカル)、
  
瑠偉「ひな……やっぱまだ怒ってる」




◯土曜日の昼間、雛鳥の学校近くの繁華街
 
  駅も近いので、
  土曜日ということもあって人通りが多い。

  雛鳥の下校を待つ瑠偉は、
  インナーに半袖のシャツを仕込み、
  サマーベストとジーンズというラフな格好。
  ノーブランドのファストファッションだが、
  他よりも頭ひとつ分背高い日本人離れした風貌は
  何を着ても似合い、目立っていて。
  すれ違いざまに道ゆく人が見惚れて振り返る。
  
  瑠偉、時間潰しに繁華街を歩く。
  何気に周囲を見渡せば、
  どこか懐かしいような気がして。

瑠偉M「(目を眇めて)俺の家は、やはりこの付近なのか……」
  
  雛鳥と同じ学校の制服を着たJK三人組
  (雛鳥のクラスの一軍女生徒たち)
  が前方からやって来る。
  そのうちの一人がスマホのカメラで自撮りをし、
  わいわい騒ぎながら夢中で動画を撮っている。

  女生徒たち、前方不注意。
  腰の曲がったお婆さんがえっちらおっちら……
  歩いてくるのに気づかない。
  いよいよぶつかりそうになった時。

  ※瑠偉がスマホカメラをかざしたJKの腕をつかむ

瑠偉「(冷徹に睨みつけて)前を見て歩け。危ないだろう」
女生徒A「ちょと! いきなり、何……よ……ッ」

  腕を掴まれた女生徒、怒鳴ろうとしたが、
  やっぱり瑠偉に見惚れてしまって。
  JK三人組、一斉に言葉に詰まる。

  彼らのすぐ横を何事もなかったかのように、
  お婆さんがのんびり通り過ぎて行った。

  瑠偉、JKの腕を離すとそのまま歩き出す。
  瑠偉の後ろ姿を唖然と見送るJKたち。

女生徒B「……ねぇ、あの超絶イケメン」
女生徒C「早乙女《陰キャ》の彼氏じゃない?!」
女生徒B「もう一緒に住んでるって噂だよ」
女生徒C「まさかの駅までお迎え??」

女生徒A「(頬を真っ赤に染めて、唇を噛み締めて)何で……ッ」
女生徒AのM「(嫉妬心と怒りが込み上げて)あの美形(ひと)の彼女が……何で早乙女雛鳥なのよ……!」




◯同日、三津上神社の境内

  瑠偉との待ち合わせ時間に少し遅れて、
  制服の雛鳥が小走りにやってくる。

雛鳥(ひな)「ごめんっ……遅れちゃって」

  ポニーテールの髪が背中でくるんと踊る。
  瑠偉、雛鳥がかわいくて、ふっと微笑う。

瑠偉「(木のベンチから立ち上がって)ひな……」

  小走りで目の前に到着した雛鳥を、ふわ、
  と両腕で受け止めて、

瑠偉「おかえり」
雛鳥(ひな)「(ぐい、と突き放して)言ったでしょ? 挨拶のハグは、受け付けてませんっ」

  雛鳥、くるりと踵を返して「はぁ〜走ったから疲れちゃった」と、
  瑠偉が座っていたベンチに倒れ込む。
  ふ、と小さくため息をついて、隣に座る瑠偉。

雛鳥(ひな)M「人がいなくて良かった……誰かに見られたら、また誤解されちゃう」
  
  はぁっと、まだ少し荒い息の雛鳥。
  額にはうっすらと汗が滲んでいて。
  空の高いところに太陽がキラキラ輝いて、
  風に髪を遊ばせる雛鳥は眩しそう。
  
  瑠偉、やっぱり雛鳥がかわいくて。
  だから雛鳥の言葉に戸惑ってしまう。

瑠偉M「(眉を下げて困ったように微笑んで)挨拶のハグ、か」

 

 
◯広い神社の境内を歩きながら

  雛鳥、今にもスキップしそうな軽い足取り。
  瑠偉、それをちょっと心配そうに見守りながら歩く。

雛鳥(ひな)「ねえっ、瑠偉の家ってさ、裏のお屋敷のどれかじゃないかな」
瑠偉「そうかもね」
雛鳥(ひな)「今から探す? 一軒一軒、瑠偉のお家はここですか〜って、聞いて回るの」

  瑠偉、「さすがに無謀でしょ」って感じで
  笑って受けながす。

雛鳥(ひな)「駅前の繁華街、通ったんでしょ? 何か思い出した?」
瑠偉「何となくここ知ってるなって、くらいかな」

  雛鳥、少しだけがっかりして、うつむいて。

雛鳥(ひな)「そっ……か。でもさ、お母さんが言ってたみたいにさ、失った記憶なんて何かの拍子にフーッと戻ってくるものみたいだから」
瑠偉「うん」
雛鳥(ひな)「焦んなくていいよっ。瑠偉が来てくれて、お父さんとお母さんすっごく喜んでるし。お店も大繁盛だし」
雛鳥(ひな)「(瑠偉を振り返って、可愛い笑顔で)……ねっ」

  瑠偉、雛鳥の初々しさに見惚れるけれど、

瑠偉「……うん」

  今度は少しがっかりして、

瑠偉「ひなは……」
瑠偉M「——俺が転がり込んできて、迷惑だった?」

雛鳥(ひな)「ん?」
瑠偉「何でもない」

瑠偉M「知らぬ間に彼女の無邪気さに救われていた」

  ※瑠偉の回想・雛鳥の困った顔、怒った顔

瑠偉「ひな」
瑠偉「手、繋ごうか」

  「え」と不思議そうな顔をする雛鳥。

瑠偉M「記憶を失くした不安や心細ささえ微塵も感じずにいられるのは」

  瑠偉、雛鳥の手を取って、そっと握って。

瑠偉M「ひながそばにいるから」

  ※瑠偉の回想・雛鳥の笑った顔、二人笑顔でご飯を食べたり

雛鳥(ひな)「(瑠偉を見上げて)ねっ、これも瑠偉の《挨拶》?」
瑠偉「えっ」
雛鳥(ひな)「(まるで達観したように)瑠偉にとっては、きっと握手的な……だね」

  雛鳥、瑠偉に握られた手をいたずらにぶんぶん振る。
  
雛鳥(ひな)「ねね。さやかと話してたんだけど、瑠偉って帰国子女? だったりするんじゃないか……って。顔もハーフっぽいし、前に言ってたでしょ、名前で呼ばれた方が落ち着くって。そういう、の……とかも……」

  雛鳥が言い終わらないうち、
  瑠偉、握った雛鳥の手を強く引っ張って、
  そのまま愛おしそうに雛鳥の身体を抱きしめる。

瑠偉「(困ったように目を閉じて)これがただの《挨拶》だと思うのか?」
雛鳥(ひな)「(やっぱり赤くなって、ドキドキして)…………っ」

  瑠偉の腕の力が強くなる。
  それは雛鳥に必死で訴えるよう。

瑠偉「あの日の朝、俺は確かにハグは挨拶だと言った。実際そうだと思ってる。けど」

  瑠偉、雛鳥の身体を離して、
  熱っぽく雛鳥を見つめて。

瑠偉「どうでもいい挨拶を交わすだけの相手なら、こんなふうに見つめたりしない」

  瑠偉の瞳のなかいっぱいに、
  驚いた顔の雛鳥が映っていて。

瑠偉M「無垢で……可愛い雛鳥(ひなどり)

  瑠偉の青みがかった瞳は真剣で。
  雛鳥、ますます戸惑ってしまう。

雛鳥(ひな)「嘘、だよ……そんなの」
雛鳥(ひな)「(視線を逸らせて)瑠偉みたいにかっこいい人が、私みたいな普通の子を相手にするわけないじゃんっ」
雛鳥(ひな)「(泣き出しそうにうつむいて)寝ぼけてるからって、挨拶だからって、簡単に抱きしめて。私の気持ちなんかお構いなしで……。それでも気持ち必死で入れ替えて、瑠偉のペースで笑おうってしてるのに……ばかみたい」

  ネガティブスイッチが入ってしまった雛鳥。
  抱えていた鬱屈があふれ出してしまう。

雛鳥(ひな)「(ポツリと)普通に生きるって難しいね」

  雛鳥の言葉が、瑠偉のどこかに刺さった。

雛鳥(ひな)「私ね、捨てられてたんだ……人も住まない山奥に。雅史(まさし)叔父さんに見つけてもらえなかったら、私……動物の餌になって、死んでたかもしれないって」

  突然の雛鳥の独白に言葉を失い、
  目を見開く瑠偉。

雛鳥(ひな)「(あふれそうな涙をこらえて)本当の両親、そんなに私が憎かったのかな……。いらない子だったのかな……っ」

  泣き出した雛鳥。
  瑠偉、遠慮がちに手を伸ばして、抱きしめて。
  
瑠偉「ひなはいらない子じゃない。少なくともひなのご両親と、俺にとっては」

  瑠偉、涙に濡れた雛鳥の頬に片手を添える。
  筋張った大きな瑠偉の手のひらの中に、
  雛鳥の顔が半分収まってしまう。
  瑠偉、親指で雛鳥の頬の涙をぬぐって、

瑠偉「俺の本気、見せようか」
雛鳥(ひな)M「ぇ……」

  翼のような睫毛を半分伏せた瑠偉の瞳が、
  しっかりと雛鳥をとらえる。
  雛鳥の背に合わせて長身を屈めた、
  瑠偉の秀麗な面輪《おもわ》が大写しになる。

  雛鳥の瞳がアーモンド型に見開かれて、
  身体ごと固まってしまう。
  鼻先がふれあいそうなほど近づいた——その時。

蓮「(軽薄な手拍子を添えて)おいおいおいおい」

  背後から、サングラスをかけ黒スーツを整然と着こなす若い男、
  神原 蓮(かんばられん)が現れる。
  
蓮「黙って見てりゃあ、行方不明の御曹司は仕事も大学もサボってかわいいJKとヒミツの逢瀬を決め込んでるってか? はっ!」

  軽薄そうな言いぶりだが、
  口調はしっかりとしていて揺るぎがない。
  瑠偉、雛鳥を後ろにかばって、
  ふたりわけがわからず固まる。

瑠偉「お前……ッ」
瑠偉M「俺の後をつけてたのはコイツだ」

雛鳥(ひな)M「……あの男……」

  雛鳥も蓮が駅まで追ってきた男だと気付く。
  とたん身震いが雛鳥の背中を脅かす。

蓮「(スマホをつまんでひらひらさせて)珍しいもんが撮れた。今日まで辛抱強く尾行してきた甲斐があったってもんだねぇ」
瑠偉「貴様、何を撮った。そのスマホを寄越せ」
蓮「言われてホイホイ渡す奴がいるかよ。会長んとこ持ってって、いいように使わせてもらうさ」
瑠偉「会長? 誰の事だ」
蓮「っは?! ふざけてんの?」

  蓮、瑠偉のラフな服装をまじまじと見て、

蓮「てか……瑠偉クン。その庶民的な格好はらしくないねぇ、どういう心境の変化?」
蓮「そこのJKのお嬢さ〜ん。このお兄さんはね、普段からウン十万もするスーツ着こなして、オトナのお姉さんをはべらせてるような奴なんだよ? 安易に近づいて泣かされないようにね」

  言いたいことを言ってしまうと、
  蓮はふたりに背を向ける。

瑠偉「待て……! 教えてくれ。貴様は俺の何を知っている?!」

  蓮、瑠偉の質問には答えず肩越しに見遣って、

蓮「そうだ……瑠偉クン。キミ、いつ帰ってくんの?」
瑠偉「(目を眇めて)…………」
蓮「ま、会長もキミを探す気はないみたいだけどね〜。なぜなら」

  蓮、サングラスを外す。
  見た目は瑠偉と同じくらいの年齢。
  瑠偉ほど背は高くないが、すらりとしていて相当な美形。

蓮「(半眼の蠱惑的な眼差しで)俺が瑠偉クンを見っけたから」