「あれ?」
「あ……」

 見知った顔の登場に、ミリアは思わずそう声を上げていた。

 オイルランプの明かりだけが頼りの、窓の無いフロアの一角にある食堂の片隅。
 そこで出会ったのは、さっきまで一緒に船尾に居た、柔らかそうな紅茶色の髪と眠たそうな目が印象的なアキであった。

「あら、あんたたち知り合いだったの? ……って。まだ乗船して数時間も経ってないじゃない! まさかアキ、この子になんか失礼なこと」

 そういって、指をボキボキ鳴らすエマを、ミリアは「待って、待ってください!」と、押し留める。
 そんなアキはというと、眠そうな目を横に逸らして、後頭部をかきかきこう言った。

「エマが《《思ってる》》ようなことはしてないよ。俺にしては、結構いい事したと思ってる。海に落ちかかってるところを助けたんだから」
「海に落ちかかるですって? ……ちょっと、何があったのミリア? ……アキ! もしや、あんたが突き落とそうとしたんじゃないでしょうね?」

 そう言って眉を吊り上げ、ずいずいと詰め寄って来るエマを前に。
 アキは、じりじりと後ろに追い込まれ、終いには壁際に押し込まれてしまう。

 そしてとうとう。

 アキは、口元をひくひくと引きつらせ、大声でわめきながらこう言った。
 
「だから、違うって! 人の話聞いてる? あのねエマ、俺は助けたの! 助けたんだってば! ねえ、ミリアちゃんも言ってやってよ!」

 横でハラハラしながら見つめていたミリアにそう声を掛けると、アキはエマの顔をキッと睨み付けた。
 話を振られたミリアはというと、いきり立つエマに縋る様な目でこう言った。

「ほんとです、エマさん。アキさんには色々と助けて頂いて、アキさんが来てくれなければ私……海の底に沈んでいたかもしれません」

 ちょっと大げさにそう言って、神妙な顔をするミリア。

「……ほんとにそうなの、ミリア?」

 それでも、眉間に皺を寄せ、疑り深く聞いて来るエマに。
 ミリアは、さっき起きた出来事をゆっくりと反芻しながら、感謝の気持ちを込めてこう言った。

「はい、アキさんには感謝してもしきれません。本当に……助けてくださって、ありがとうございました」

(ここはこうして頭を下げておくのがベストよね。アキさんにはたくさん借りも出来ちゃってるし。それに、アキさんの言ってることに嘘はないし……)

 そう思い、深々と頭を下げるミリアを目で指し示すと、アキは憮然とした表情でこう言った。

「ほら、ほんとでしょ?」
「まあ、ミリアがそこまで言うんなら本当なんでしょうけど。何か、腑に落ちないわね……」

 そう言って少し追及の手を緩めたエマの隙を突いて、追い詰められた壁際からひょいと逃れるアキ。
 そして、乱れた衣服を両手で整えると。
 アキは、エマの顔をジト目で見遣り、不機嫌そうな顔で尋ねて言った。

「てか、エマ……君って、俺の事どう思ってるわけ?」

 その言葉に、エマは一瞬きょとんとするものの、直ぐに、大真面目な顔でこう言い放った。

「油断も隙も許さない、危なっかしい奴」

(アキさんが、危なっかしい? でも、アキさんは明るくて前向きで、若いわりにすごく人生経験豊富な人みたいだから……ちょっと想像がつかないかも。だって……)

 ミリアがそう呟いた、その視線の先では。

 アキが、エマとギャーギャー言いながら、楽しそうにじゃれ合っているのである。
 危なっかしさなどというものは、一切感じられなかった。

「あー、そうですか、そうですか。エマからすれば、まあ、そうでしょうよ」
「ふん。悔しければ、少しは真面目に物事に取り組んでみなさいよ」
「嫌だね、絶対やだー」

 これはある意味、二人の特殊なコミュニケーション方法なのかもしれない、とミリアは思った。
 さっきの「油断も隙も許さない――」の件も、きっとその一環なのだろう。

(ふふ、アキさんちょっと幸せそうかも……)

 まるで、姉弟なんじゃないかと思うぐらい仲の良い二人の様子に、ミリアは少し羨ましさを感じずにはいられなかった。
 
 と、その時――。

「おい、アキ。お前、こんなところで何してるんだ?」

 そう言うと、長身でがたいの良い濃茶色の短髪男は、エマと戯れるアキをなぜか恨めしそうに見つめるのであった。