「ふぅー。気持ちよかったぁー」

 濡れた髪を、首にかけたタオルで軽く拭きながら。
 ミリアは、公共浴場を出てすぐ近くにあるベンチに勢いよく腰を下ろした。

 公共浴場の前は少しひらけた空間が広がっており、鉄製のベンチなども置かれていて、国民のちょっとした憩いの場になっている。
 ミリアはそこで夜空を仰ぎ見ると、その美しさに毎度ながら心の中で感嘆の声を漏らす。

(やっぱり、星って綺麗だよね。ひとつひとつ見ると、色も大きさも違っていて、しかも宝石みたいにキラキラーって光って……いつ見ても飽きないなぁ。でも、王都は少し明るいから、島より小さな星たちが見えづらいのは残念かも)

 そう心の中で呟くと、ミリアはふと周りの様子に目を向けた。

 適度な間隔で配置されたベンチには、ミリアの他にも、たくさんの国民が湯冷ましの為、ベンチに腰を下ろしている。

 子供たちの語る話に笑顔で相槌を打つ、お父さんやお母さんたち。
 老いた体を互いに労わり合いながら、昔話に花を咲かせるおじいさんやおばあさんたち。
 そして、明日の武術大会の試合の分析をしたり、優勝者を予想したりする若い青年たちや、大会出場者の誰が格好良いとか、将来性があるとか、そんなことを真剣にやり取りする年頃の少女たち。

 今日が、[武術大会]前日だからだろうか。
 只の湯冷ましとはいえ、皆、何となくそわそわしているようにミリアには感じられた。

(とうとう明日は、[武術大会]かぁー。確かにドキドキするよね)

 そう高鳴る胸を押さえ、ミリアは明日の大会に思いを馳せる。

「グレックさん、優勝すると良いなー」

 と、その時――。

「優勝は、フェリクスで決まりだろうな!」

 ミリアの耳に、そう断言する青年の言葉が飛び込んで来る。

(フェリクス……って、今日会った人、かな)

 そう首を捻りながら、ミリアはその青年の話に集中して耳を傾ける。

「考えてもみろよ、騎士なんて今はほぼ世襲制だ。その中でも、エリート中のエリートと言えば、現騎士団長エダン・シールズ様の息子フェリクスだろ? 剣の師匠が親父なんだ。もう、優勝はフェリクスで決まったようなもんだろ」

 そう、得意げに講釈を垂れる小柄な青年に。
 そばかす赤毛の青年は、腕を組みながらこう意見する。
 
「そうかな、俺は島の連中も気になるけどな。タラ島のロブナントなんて、まるで筋肉の塊のような男だったよ。あんな男から繰り出される一撃……フェリクスに耐えられるかな」

 そんな正当な意見を前に。

 茶色の髪の青年は、片手にオレンジジュースの紙コップを持ちながら、思い出したようにこう言った。

「そう言えば、グリフォオードっていうヨッパ島の奴、知ってるか? この間、訓練場の木人(ぼくじん)相手に剣の練習してだんだけど。あいつが繰り出す剣のスピードと身のこなしの素早さ、おれ……ちょっとびっくりしちゃったよ」

 そう言って、オレンジジュースを啜る青年に大きく頷くと。
 先ほど講釈を垂れた小柄な青年は、ふと思い出したようにこう言った。

「そういえば、ボークス島のグレックって奴、知ってるか?」
「グレック? ああ、やたら背の大きいガタイのいい男か。あれがどうしたの?」
「あいつって、どうなの?」

 その問いに、皆一斉に黙り込んでしまう。

(え、どういうこと――?)

 ミリアは思わず不安になり、膝の上で握っている手にグッと力が入ってしまう。

 それからしばらくして。
 赤毛のそばかす青年が、酷く悩まし気な顔でこう言った。

「うーん、何というか……平均的? 良い所も悪い所も無い。一言で言うと、地味?」

 そう言って、口を閉ざす赤毛の青年の言葉を受け。
 背の小さい青年は腕を組むと、ため息交じりにこう言った。

「なるほど。秀でた技が何ひとつないなら、そいつが試合に勝ち残るのは、無理かもな」

(勝ち残るのは、無理……)

 そこで、青年たちの話から意識を戻すと。
 ミリアは何だかひどく惨めな気持ちになって、思わずこう呟く。

「『勝ち残るのは、無理』とか……まだ試合もしてないのに、そんな言い方……」

 まるで自分事のようにそう呟いた、その時――。

「どうした、ミリア。何かあったのか」

 見ると、訓練が終わった後なのだろうか。
 風呂から上がって来たらしいグレックは、石鹸と濡れたタオルを入れた桶を右手に、服が入っているであろう大きめな巾着バックを左肩に背負いながら、ミリアにそう声を掛けて来た。

「あ、グレックさん」

――『何というか……平均的? 良い所も悪い所も無い。勝ち残るのは、無理かもな』

 そんな言葉が、ミリアの頭の中をぐるぐる回る。
 そんなミリアの心情など知ってか知らずか、グレックはいつも通りの清々しい笑顔でこう言った。

「それにしても、こんなところで会うとは、全く……奇遇だな!」

 明日の試合のことなど全く気にしていないというように、そう屈託なく笑うグレックを、ミリアはなんとなく直視することが出来ないのだった。