家に着き、大きな買い物袋と財布を手にしたミリアは、一路、市場へと向かっていた。
 理由はもちろん、明日の[武術大会]のお弁当を作る為である。

 市場へ向かう道すがら。

 ミリアは頭の中で献立を組み立てると、目的のものを頭に思い描いて気合を入れる。

(明日は、国を挙げての[武術大会]。きっと、見に来る人もいっぱいいるだろうから、食材も奪い合いになるに違いないわ。何としても、目的の食材を手に入れなきゃ……)

「メインは、[白身魚のガーリックバタームニエル]!」

 そう自分に十分言い聞かせると、ミリアは自分の顔を両手で二回叩く。

「よし!」

 そして、しっかり気合も入れて、やる気に満ち満ちていたミリアの目の前に、見慣れた大きな市場の屋根が目に飛び込んで来る。

 と、次の瞬間――。

(えっ――)

 ミリアは目を疑った。
 目の前に広がるのは、人、人、人の、人間芋洗い状態の市場。

 それに加え――。

「ちょっと、あんたどきなさいよ!」
「なによ! 後ろから押さないで!」
「あなたこそ、人の取った魚……横から奪おうとするんじゃないわよ!」
「ちょっと、それはあたしのタマネギだよ!」

 そう言って、女たちが互いに罵声を浴びせ合いながら、掴み合いの乱闘を演じている。
 そんな、女たちの凄まじい怒号飛び交う食材争奪戦を前に。

 ミリアは、ごくり……と、生唾を飲み込むと、思わず言葉を失ってしまう。
 
(これって、あの市場だよね?)

 そう自分に何度も問いかけると、ミリアはもう一度、女たちが激しく食材を奪い合い、怒号を飛ばし合う市場を見る。

 そして、もう一度、ミリアは、ごくり……と、生唾を飲み込んだ。

(生きて、帰れる……よね?)

 直ぐにでも家に帰りたい気持ちに駆られるものの、ミリアは頭を横に振ると、気を取り直しこう強く念じる。

(グレックさんの勝利ため、グレックさんの勝利ため……)

 そう、自らを奮い立たせると。

 ミリアは、奪い合いと怒号飛び交う女たちの戦場へと、勢いよく飛び込むのであった。



     ※     ※     ※



(グレックさんの勝利のために!)

 それだけを一心に念じ。

 ミリアは、思い切って人混みの中に突撃する。
 女たちの体と体の間に出来る隙間に狙いを定め、一生懸命体をねじ込もうとするものの。
 歴戦の女たちの圧倒的パワーとテクニックを前に、ミリアはいとも簡単に人混みから弾き出されてしまう。

 とはいえ、ミリアもここで負けるわけにはいかなかった。

 女たちを相手に何度も突撃を繰り返すこと、七回目。

 決死の覚悟で女たちが群がる人ごみに飛び込んだミリアは、うまい具合に人混みをすり抜け、店頭までたどり着いた。

(やった! 後は白身魚を見つけるだけ。白身魚、白身魚っと……)

 女たちの後ろからの圧や、髪の毛を鷲掴みされる攻撃に必死に耐えながら、ミリアは眼を皿のようにして白身魚を探していく。

 そして、次の瞬間――。

 真珠のように輝く白身魚の切り身が五枚、ミリアの目に飛び込んで来る。

(あった!)

 ミリアは迷うことなく白身魚に勢いよく手を伸ばした。

「店主さん、これ――」

 しかし――。

「その白身魚! 五つ頂戴!」
 
 ミリアの伸ばした手を言葉で振り払うかのように。
 凛とした女の声が店内に響き渡る。
 
 すると、ミリアの目の前にあった白身魚がごっそりと掴み取られた。

(あ……)

 目の前から白身魚が全て消え去り、ミリアは思わず涙目になってしまう。

 そんなミリアの気持ちなどお構いなしに、市場の店主は薄い木の皮に包んだ白身魚を高く掲げてこう言った。

「あいよー、お嬢さん!」
「ありがとう。これ、お代ね」

 そう言って、ミリアの隣に差し出されたそれを、笑顔で受け取ったその人物は――。

「あら、田舎娘じゃない」
「い、イヴォンヌ、さん……?」

 イヴォンヌは、ミリアの伸ばした手の先に白身魚が残っていないことを見て取ると、意地悪く笑ってこうい言った。

「あら……残念だったわね、田舎者さん。この白身魚は、私が美味しく調理して差し上げますから、安心してここから立ち去ると良いわ。それじゃ、失礼致しますわね」

 そう言って白身魚を受け取ると。

 イヴォンヌは意気揚々とその場から立ち去って行くのであった。
 


     ※     ※     ※



「お嬢ちゃん、そんなに魚を睨んで見ても……白身魚は出てこないよ」

 魚を扱う店の男は、そう言って、ミリアを店頭から追い払おうとする。
 しかし、ミリアはあまりのショックで、その場から全く動くことが出来ないでいた。

(せっかく、グレックさんに試合中、体力付けて貰おうと思ったのに……)

 そう項垂れるミリアの心は、悲しみや悔しさ、そして自分への怒りの感情でぐちゃぐちゃだった。

 そんな、ミリアの心の内など知ってか知らずか。
 魚を買いたいだけの他の女たちが、後ろから激しく押したり、髪を引っ張ったりしてミリアをその場からどかそうとする。

 挙句――。

「早くどきな、この田舎者!」
「買うものがないんなら、家に帰りな!」
「田舎者に売るものなんか、あるものかい!」

 そんな罵声まで飛び交い始め、店頭は修羅場と化し始める。

 それでも。

 魚を置く台の一点を見つめ、一歩も動こうとしないミリアに。
 店主は大きなため息をひとつ吐くと、徐に、店の奥へと入って行く。
 それから、二切れの白身魚を、薄く切った木の皮に乗せながら店頭に現れると、涙目のミリアに向かってこう言った。

「二枚しかないが、これで良ければ持っていきな」

 そう言って差し出された二枚の白身魚を呆然と見つめると。
 ミリアは、奇跡のような出来事に、戸惑いながらこう言った。

「え、い……良いんですか?」

 そう涙目で店主を見上げるミリアに。
 店の主人は、肩を竦めるとこう言った。

「元は俺とかみさんの夕飯に取って置いたもんなんだが……まあ、いいってことよ。それより、さっきは済まなかったな、嬢ちゃん。あの栗色の髪の姉ちゃんより、あんたの方が魚を見つけたのは早かった。それなのに、あの姉ちゃんに魚を売ったのは、俺の田舎者への偏見だ。ほんとに悪かったよ」

 そう言って謝る店主に。
 ミリアは口元を両手で覆い、頭を横に振るとこう言った。

「そんな……そんなこと! それよりも……お魚、ありがとうございます。感謝、します」

 そんなミリアの礼の言葉に大きく頷くと、店主は快く白身魚を差し出してこう言った。

「おう、それじゃ……美味く調理してやってくれよな。まいどあり!」

 ミリアは店主に代金を支払うと、零れた涙を服の袖で拭いながら、それでもまた、人混みの中へと突撃し、残りの食材を買いまわる。

 そうして、必要な食材全て買い終わったのは、辺りが薄闇に包まれ、星がちらほらと見え始める頃であった。