グレック、アキ、そしてエマと酒場で別れてから六日後。

 ミリアはいざというときに備えて、王城のすそ野に広がる森の、少し下の方に位置する国営農場で、臨時の収穫アルバイトをしていた。
 収穫というだけに、出来た野菜を明け方の五時から市場が始まる朝の八時まで収穫し続けるだけなのだが、王都民全ての胃袋を満たす必要を担っている仕事なだけに、その作業量は半端なかった。

 ミリアが収穫したキャベツたちが、大きな(かご)に詰め込まれ、男たちの引くリアカーに乗せられ市場へと運ばれていく。

「確か、これが最後のリアカーだよね……」

 そう言って、春の日差しに軽く汗ばんだ額をそっと拭うと、ミリアはホッとため息をひとつ吐く。

 と、そんなミリアの前に。

 国営農場の運営管理人の一人である、壮年の小太りの男性――チャド・ブーン管理人が、満面の笑みを浮かべながら近づいて来てこう言った。

「いゃあ、今日は助かったよ、ヘイワードさん。やっぱり農業経験者は未経験者と比べて手さばきが違うねぇ! ははは」

 そう言って、心底喜ぶブーン管理人に。
 ミリアも、人の役に立てた嬉しさから、心底嬉しそうにこう言った。

「ありがとうございます! それに、お役に立ててうれしいです!」

 そう言って、屈託なく笑うミリアに、ブーン管理人は腰に帯びた革のバッグの中から、茶色の封筒を取り出してこう言った。

「これは今日の分の賃金だよ。経験者という事もあるし、少し多めに入れさせて貰ったよ。今日は本当に良く働いてくれたね、お疲れさま。それじゃ、また明日もよろしく頼むよ!」
「あ、はい! 喜んで!」

 ミリアのその元気な返事に。
 
 ブーン管理人は目を細めて笑うと、満足そうに頷いて農場の方へと去って行くのだった。



 それから、十数秒後――。

 ブーン管理人の後ろ姿をしばらく目で追っていたミリアは、ふと思い出したようにに茶封筒に目をやると、期待に満ちた眼差しでそれをじっと見つめる。

(少し多めに入れてくれたって言ってたけど、どのくらいなんだろう。なんかちょっと、ドキドキしちゃうな)

 そんなことを思いながら、ミリアは茶封筒を恐る恐る開けた。

 すると、そこには――。

「あ、四タラント(約4千円)! 初めの約束より一タラント(約千円)も多い……」

 当初は、一時間一タラント(約千円)で働かせてもらう予定だったのに、最終的に一タラント(約千円)も賃金が跳ね上がっている。
 ミリアは、自分の働きが認められたことに嬉しさを感じ、思わず小躍りしそうになってしまう。

(多めって言っても、多くて1ルーヴ(百円)ぐらいだと思ってたから……ほんと、びっくり! それにしても、お父さんの農場手伝っていて良かったぁー。ありがとう、お父さん!)

 心の中でそう父に感謝すると、ミリアは、賃金袋を胸に抱え、嬉しそうに家路に着くのであった。



     ※     ※     ※



 家路に向かう途中、とある立札が目に入って、ミリアは足を止める。

 そこには――。

――バーン王国主催[武術大会]剣士団騎士選抜トーナメント、明日開催!

「あ、[武術大会]! そうだ。お弁当、どうしようかなぁ」

 そんなことをぼんやり考えていると。
 ミリアは自分の背後に何やら人の気配を感じ、思わず後ろを振り返った。

 すると、そこには――。

「お嬢さんも、この大会に出場するのですか?」

 そこには、十八、九ぐらいの、ミリアより一、二歳年上の青年が、顎に片手を当て、興味深そうにミリアを見つめていた。
 ミリアは、青年の醸し出す都人(みやこびと)の洗練された雰囲気に圧倒されながらも、意志を強く持ってこう言った。

「い、いいえ! 私は違います!」

 声を上擦らせ、そう完全否定するミリアに。
 青年は、顎のラインで綺麗に切り揃えた栗色の髪を、片手で鬱陶し気に搔き揚げると、灰茶色(はいちゃいろ)瞳を軽く伏せつつこう言った。

「そうですよね。最近は、女性の方でも試合に参加されることがあるので、つい興味がわいてしまって。すみません」

 そう言って、深々と頭を下げる青年に。
 ミリアは両手を横に何度も振ると、困ったようにこう言った。

「い、いえ。そんな……気にしないで下さい。それより、女性の方も大会に出るって……そんなことがあるんですか?」

(女性が出場するなんて。グレックさんならその時点で試合を欠場しちゃいそう)

 そんなことを本気で心配していると。
 栗色の髪の青年は、背筋をピンと伸ばしたまま、片手を顎に当てこう言った。

「ええ、たまにあります。今回は、無いとは思いますが。たぶん」
「そうですか。良かった……」

(それならグレックさん、自分の実力を十分に発揮できるよね)

 そうホッと胸を撫で下ろし、ため息ひとつ吐くミリアに。
 栗色の髪の青年は、ふと気付いたようにこう言った。

「ひょっとして、お嬢さんは今回、誰かの応援で試合を観戦予定なのですか」

 そう真面目な顔で尋ねて来る栗色の髪の青年に。
 ミリアは、この都人(みやこびと)の青年に失礼が無いよう、ひとつひとつ言葉を選びながら正直にこう言った。

「はい。友人が出場しますので。その応援に行くつもりなんです」

 そう言って、ミリアは青年の灰茶色(はいちゃいろ)の瞳を、あどけない顔で見上げる。

 と、そんな無防備なミリアの愛らしい表情(かお)に。

 思わず見とれてしまっていた栗色の髪の青年は、軽く咳ばらいをすると、平静を装いながらこう言った。

「そう、でしたか。それでは、そのご友人の為に、健闘を願わせて頂きましょう」

 そう言って微笑(びしょう)する栗色の髪の青年に、ミリアは嬉しそうに微笑むとこう言った。

「ありがとうございます!」 

 まるで、春の日差しのように優しく微笑むミリアに。
 栗色の髪の青年は眩しそうに目を細めるも、直ぐに厳しい表情(かお)を作りこう言った。

「今回の大会は、かなりシビアな戦いになるという予想があちこちで聞かれます。私も、気を引き締めていかないと……」

 その青年の言葉に。
 ミリアは眼をまん丸く見開くと、驚いたようにこう言った。

「あ、あなたも大会に出場されるんですか?」

 ミリアのその問いに。

 栗色の髪の男は、灰茶色(はいちゃいろ)の眼を鋭く細めると、きっぱりとした口調でこう言い切った。

「ええ。出るからには優勝を目指しています。絶対に、負けはしません。いや、負けられない……!」
「優勝……」

 そんな栗色の髪の青年の、勝利に対する並々ならぬ執着を目の当たりにし、ミリアは思わずたじろいでしまう。

(グレックさん、こんな人と戦うの……?)

 グレックの強さを信じていないわけではないが、この青年の執念を見るにつけ、ミリアは思わず、不安に駆られてしまう。
 
「お嬢さん? どうかしましたか」

 眉を顰め、体を固くするミリアを心配そうに見つめながら。
 栗色の髪の青年は、そう言ってミリアに声を掛ける。

「あ、ごめんなさい。ちょっと、考え事をしていて……」

 そう言って、少し引きつった笑みを浮かべるミリアに。
 男は、申し訳なさそうに微笑むと、直ぐに真面目な顔でこう言った。

「すみません、私事(わたくしごと)の話を長々と……。ですが、ここであったのも何かの縁。よろしければ、お嬢さんのお名前を教えて頂けませんか?」

 そう言って、真摯な眼差しでミリアを見つめる青年に。
 ミリアは、少しドギマギしながらこう言った。

「あ、わ……私は、ミリア。ミリア・ヘイワードと言います。し、島からの移住者です」
「ミリアさん、ですか。可愛らしい名前ですね。私は、フェリクス・シールズと言います。今後、気兼ねなくフェリクスとお呼び下さい」

 そう言って、片手を胸に当て軽く礼をするフェリクス。

「あ、はい。えっと……フェリクス、さん?」

 ミリアのその言葉に満足げに頷くと。
 フェリクスは、癖のない前髪を徐に掻き揚げると、灰茶色の瞳をゆっくり閉じつつこう言った。

「では、私は行くところがありますのでこの辺で。ミリアさん、またお会いしましょう」

 そう言って、深くミリアに礼をすると。
 フェリクスは、颯爽と身を翻し、王都の人混みの中へと去って行くのであった。

「あの人が、グレックさんの対戦相手の一人……」

――『出るからには優勝を目指しています。絶対に、負けはしません。いや、負けられない……!』

(ううん、いくら相手が強くても、グレックさんなら大丈夫だよね!)

 と、心の中で呟くミリアではあったが。

「フェリクスさん、か……」

 フェリクスの、いや、大会に参加するであろうすべての人たちの勝利への執念を思うと、ミリアは、何とも言えない胸騒ぎを覚えるのであった。